雇用


 突然の発言に。モズコールは、混乱していた。最初は幻聴かと思ったが、これ以上ないくらいハッキリとした『第2秘書官として』の紹介。これが幻聴であれば、頭が少しおかしくなっているので、それはそれで困るレベルだった。


 モズコールは恐る恐るヘーゼンに尋ねる。


「あの……私は、現在バドダッダ内政官の秘書官ですが」

「もちろん、辞職後ですよ」

「じ、辞職? いえ、そんな予定は」

「あなたは筆頭秘書官なので、行方不明になったバドダッダ内政官に対して責任が発生するでしょう? それならば、潔く自分から辞職した方がいい」

「……っ」


 誰のせいでそうなったのか、とモズコールはヘーゼンの胸ぐらを掴んで怒鳴りたい衝動に駆られる。しかし、そんな罪悪感を毛ほども感じていないだろうヘーゼンは、むしろ『よかったね』と祝福するような様子で話しかけてくる。


「しかし、これも何かの縁だ。あなたには家族もいるのだし、無職となって路頭に彷徨うのは、本意ではないでしょう」

「せ、せっかくのお話ですが。私も多少のツテはありますので、なんとか食いつなげるよう励みます」


 もちろん。こんな頭のおかしい男の部下になど、ごめんだ。バドダッダも酷い秘書官だったが、それ以上に嫌すぎる。


 しかし。


 そんな想いを地面に捨ててグリグリと踏み潰すかのように。悪魔のような微笑みを浮かべた男は、鋭い瞳でモズコールを射抜く。


「最近の就職活動は、そこまで甘くありませんよ。ハッキリ言って厳しいでしょう」

「あの、せっかくですが多少のツテもありますので」

「理由によるでしょう? 風の噂と言うのは、どこからともなくやってくるものですから」

「……っ」


 この男。完全に脅迫している。就職しなければ、全部バラすぞ、と。隠蔽工作のみならず、その後の人生までも破綻させると言ってきている。


 なんと、恐ろしい悪魔だろうか。


「もちろん、帝国の法律で奴隷以外の強制労働は禁止されています。まあ、道義的にも、もちろんそんな気はありませんがどうですか?」

「か、考えさせてください」


 情報が滝のように押し寄せてきて。とてもじゃないが冷静に考えることができない。一度、少しでもいいから気を落ち着かせて、ゆっくりと考えたい。


 しかし、ヘーゼンは不思議そうな表情で首を傾げる。


「考える?」

「え、ええ。重要な話ですので、少しお時間を頂きたく思います」

「なるほど。では、このお話はなかったことにしましょう」


 !?


「い、いえ。その……」

「どうしましたか? 強制ではないと言ったでしょう。私は即決できない人は好きではないんです」


 そう謝りながらも、モズコールは密かに胸をなでおろしていた。脅迫されていると感じたのは、自分の勘違いだったのか。もしかしたら、今のやり取りで自分のことを買ってくれていたのかもしれない。


「申し訳ありません。せっかく、ご厚意で誘って頂きましたのに――」


 そう謝罪の言葉を並び立てようとした時、ヘーゼンは射貫くような眼差しをモズコールに向ける。


「だってそうでしょう? これを逃せば、再就職先は難航する。家族に影響が及ぶかもしれない」

「ひっ……」

「非常に残念ですが、ご縁が無かったということに。じゃ、行こうかヤン」


 そう言って速やかに席を立ち、外へ出て行こうとする。


「ま、待ってください」

「はい?」

「……や、やります。就職します」


 なんとか言葉を吐き出した。嗚咽しそうなほど吐き気のする、苦渋の決断だった。嫌すぎる。もう、死ぬほど嫌すぎるのだが、他に選択肢は存在しないと何度も自分に言い聞かせる。


 しかし。


 この人間の皮を被った悪魔は、笑顔で首を横に振った。


「先ほど言ったでしょう? 即断できない人は好きではないんです。私は人のことを利用価値が『ある』か『ない』かだけで判断します。今、あなたは『ない』と判断しました」

「はっ……くっ……」


 初めて聞いた。面と向かって、こんなおおっぴらに。この男はヤバすぎる。間違いなく、生まれながらのサイコパスだと認定した。


「まあ、他にもいるのでね。ああ、先ほどの件も忘れてもらって構いませんよ。では、失礼します」

「ちょ、ちょっと! ちょっと、待ってください!」


 モズコールは再び地に頭をつけた。


 今を逃せば破滅する。


 必死で。


 この想いを。


「お願いします! あなたの第2秘書官として働かせてください! この通りです!」

「……」


 ヘーゼンは、しばらくその様子を眺めて。やがて、『やれやれ』というような表情を浮かべ、モズコールの肩に手をかけた。


「負けましたよ、あなたの熱意に。仕方ない。雇ってあげましょう」


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