衛兵


          *


 その頃、数百メートル先のノヴァダイン城の城門前では、一人の衛兵が立っていた。


「……ふぁ、眠い」


 大きな欠伸をしながら、ラグ=ユーラムはつぶやいた。寝癖のついた茶髪を手櫛で強引に直しながら、天を仰いで大きく伸びをする。


 天井に張り巡らされている煉瓦に、これでもかというぐらい入っているヒビは、今にも崩おれてしまいそうな風格を漂わせる。


「崩れたら……死ぬな」


 不吉な一言をつぶやきながらに立ち、二、三回屈伸をする。ほかにやることもないので大した苦にはならないが、このノヴァダイン城に訪れる者など滅多にいないので、衛兵としての仕事は退屈この上ない。


「あっ、ラグ君! こんにちは!」


 まだ遠くにいるにも関わらず、ハキハキと透き通った元気な声で、執事のセシル=ディーバが手を振る。金色のポニーテールを揺らしながら向日葵のような笑顔を浮べる彼女は、誰しもが見惚れるほどの可愛らしさを放つ。


「ううっ……相変わらず、無駄に大声だなテメーは」


 低血圧の頭には、彼女の声はよく響く。


「今日もいい天気ですね! フンフフーンフフーン♪」


「……はぁ」


 音程の外れまくった鼻唄を歌うポニーテール美少女を眺めながら、ラグは大きくため息をつく。その姿は断じて健気などではなく、その他諸々がぶっ壊れているからだということを、長年の付き合いでわかっている。


「あっ、そうだ。昨日、手紙が来てて」

「手紙……珍しいな。こんな寂れた土地に……なんて書いてあったんだ?」

「それが、新しい領主様が来るんですって!」

「はぁ……次はどんなロクデナシが来るのやら」


 典型的左遷コースであるこの領主職では、あらゆる種類のヤサグレ貴族たちがやってくる。仕事もせず、毎日呑んだくれる『アル厨貴族』。


 城下町の民を好き勝手いじめて、悦に浸る『サディスト貴族』。無気力に、過去の栄光を終日衛兵に自慢する『昔、俺は凄かったんだぜ貴族』。


 ごくたまに、ここから奮起しようと善政を敷こうとする貴族もいるが、やがてこの痩せ細った土地に収益が見込めないとわかると絶望して頓挫するというのが定番だ。つい先日も、そんな『現実逃避領主』が行方不明になり蒸発したばかりだ。


「今度の人はきっといい人ですよ!」

「……ったく、テメーの能天気さが羨ましいよ。で、いつくるの?」

「今日だって!」

「えっ!? いくらなんでも急じゃないか?」

「言うの忘れてました!」

「ぐっ……」


 ハキハキしてればいいってもんじゃねーぞこの娘は。


 さすがに初日の出迎えは衛兵の仕事。数キロ先の城下町の門で待機しているというのが習わしだ。ロクデモない領主が来る可能性は高いが、だからと言って自分の職務怠慢をしていい理由にはならない。


 そんな中、遠目から明らかに豪華な馬車が見える。一際派手な装飾が施されており、どっからどう見ても領主が乗っていそうだ。


「ほら、来ちゃったじゃねーか!」

「わーい」

「わ……わーいじゃねぇよ」


 とツッコミつつも、この娘のアホはいつものことなので、とりあえずは放っておく。ここで、選択肢は二つ。前者は急いで駆けよって、非礼をわびる。


 後者は、何事もなかったかのように振る舞うこと。その風習自体伝統的であるので、別にそこにこだわらない貴族も多い。運がよければそのままことなきを得る場合もある。


「……よし」


 考えた末、ラグは後者を選択した。


 そして。


 降りて来たのは、黒髪の若い貴族だった。鋭い目。整いすぎた綺麗な顔だちだ。そして、もう1人は黒髪の少女。6歳ほどだろうか。こちらも目を見張るほどの美少女だ。


 黒髪の貴族は、真っ直ぐにこちらへ歩いてきて、ラグの方を見る。


「君は衛兵か?」

「はっ……はい!」


 数メートルほどの距離で声をかけられて、ラグは素っ頓狂な声を発するでる。いや、衛兵なのだがら声をかけられることは当たり前なのだが、通常、衛兵など気にも留めない者も多い。


「何を守っている?」

「えっ?」

「衛兵なんだろう? 何を守っているんだ?」

「そ、それは……」


 ラグは、思わず答えに窮する。この城には領主もいない。守るべき資産もない。ただ、任務だからと朝に起きて、ここに立っていただけだ。


「……次は、すぐに答えられるよう考えなさい。ただ、立っているだけだったらカカシでいい」

「し、失礼しました」


 慌てて深々とお辞儀を返す衛兵を、黒髪の貴族は一瞥もせずに歩き始める。


「君は?」

「はい! 私はここの執事であるセシル=リバーです。よろしくお願いします」

「……よろしく。新任貴族のヘーゼン=ハイムだ。この可愛らしいお嬢さんは、そこの無礼な衛兵とは違ってキチンと挨拶ができるようだね」


 ヘーゼンは振り向いて、ラグの方を見る。


「くっ……」

「エヘヘ……褒められちゃった」


 セシルは嬉しさを隠そうともせずに微笑みを見せ、ラグはその評価に不満気な表情を浮かべる。そもそも、このどアホ執事が手紙をすぐに渡していたら、少なくとも出迎えくらいはできたはずだと。


「挨拶は衛兵の基本だ。次からは、なにも言わなくても、できるようになりなさい」

「……はい」


 ラグはますます肩身が狭くなる。


「で、セシル。君の仕事は?」

「はい! 執事です! 部屋のお掃除をしたり、食事の準備をしたりしてます!」

「そ、そうか。多少、声は大きいがよろしく頼む」

「はい!」


 ヘーゼンと名乗った貴族は多少、げんなりするような表情を見せて、ラグの方へと振り返る。


「そこの……名前は?」

「はい! ラグ=ユーラムと言います」

「そうか。ラグ君。早速だが、この城の中を案内してはくれないか?」

「はっ!」


 身を翻すヘーゼンに対し、慌てて先導して城門を通るラグ。どうにも掴めない領主だ。これまで5年以上仕えてきた貴族たちとは明らかに毛色が異なる。


ともあれ、先導していろいろと案内する。


「……」

「……」

            ・・・


 歩いている間、会話もなく沈黙の音がうるさい。ヘーゼンは何かを考えながら無言。そばで歩いている


「あの……親子なんですか?」

「断固として違います」

「そ、そうですか」


 黒髪の少女は冗談じゃないという表情でラグを睨む。


「あの……ラグさん。気をつけた方がいいですよ?」

「な、なにをです?」





















「あの人、生粋の異常者ですから」

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