悪魔の中の悪魔
「……」
「……」
・・・
パタン。
ヘレナは、思わず扉を閉めた。とんでもない不幸が、たった今、やってきた。何度も何度も幻覚であってくれと願った。幻聴であってくれと祈った。
「閉められましたけど」
呑気な少女の声が聞こえる。その瞬間、ヘレナは思う。ヘーゼン=ハイムに少女? そんな訳ない。これ以上ないくらいミスマッチだ。やはり、幻覚だったのだ。彼女は何度も自分に言い聞かせる。
しかし。
「朝だからな。
「はっ……くっ……」
幻聴ではなかった。
幻覚でも。
間違いない。あの冷酷無比な声。人の感情を逆なでするような他者分析。まさしく、悪夢で見た悪魔。悪魔の中の悪魔。ヘーゼン=ハイムだ。
「うっ……うおえええええええええっ」
瞬間、とめどない吐き気が込み上げてきた。気持ちが悪くて、寒気がする。精神面のストレスが半端じゃなく身体に襲ってくる。
ヘレナは、震える手で再び、ドアノブを回す。まるで、煉獄の門を開けるような心地だったが、だからと言って開けない訳にはいかない。
開けなければ、まず扉を破壊される。
「お、お帰りなさい」
「ただいま。
ヘーゼンは満面の笑顔を浮かべ、ヘレナは全然嬉しくない笑顔を浮かべる。そして、彼の後ろに、ちょこんと小さな少女が立っていた。6歳ほどだろうか。
「えっと……その子は?」
「ああ、紹介するよ。今度、義母さんの子どもになるヤンだ」
「……えっ?」
またしても、妄言が聞こえた。しかし、目の前にいる狂人は、そんな異常なことを真面目に言い出しそうなのである。現に、出会った初日にビンタされ、その後、拉致監禁。無理やり、とある男と偽装結婚させられ、親子関係を結ばされた。
今、ヘレナは33歳だったが、ヘーゼンは19歳。この年齢のギャップを埋めるため、若い頃、乱行に勤しんだ結果、13歳で妊娠して生まれた子どもだというストーリーまで描かれた。
「……」
これらの過去と照らし合わせた結果、ヘレナは理解した。
ああ、私は二児の母親になるのだ、と。
「さあ、ヤン。自己紹介して」
「……あの、すごく戸惑っているみたいだから、もう少し説明した方がよくないですか?」
「必要ない」
「……っ」
相変わらず、可愛げのカケラも存在しない息子。それに比べて、後ろにいる少女は必死で初対面の自分をかばってくれている。
「な、なんでそんなに冷たいんですか!? 義母なんですよね?」
「正確には違うな。戸籍上、僕は実の息子で血縁関係があるということになっている。一人目の養子縁組だと、他国のスパイと疑われかねないからな。ただ、心情的には吐き気がするので、義母と呼ぶことにしている」
「じょ、情報を言えってんじゃないんですよ。実の親子なんだったら、なおさらじゃないですか」
「彼女にそんな価値はない」
「……っ」
地獄。ヘレナは、単純にそう思った。
「
「……っ」
至極勝手な自己紹介をヘーゼンが代わりに行う。
「も、もういいです。ヤン=リンです。ヘレナさん、これからよろしくお願いします」
「……はぐっ」
可愛い。ペコリとお辞儀をして、満面の笑顔を浮かべる童顔美少女。目の前の衝撃(ヘーゼン)に囚われていて気づかなかったが、この少女、規格外に可愛い。こんな子だったら、全然娘にしていい。
「フフッ……可愛い」
思わずヘレナが頭を撫でようと手を伸ばすと。
瞬時にヘーゼンが彼女の腕を掴んで捻じ曲げる。
「がっ……痛い痛い痛いっ!?」
「……おい」
「ひっ」
ヘーゼンは鋭い瞳で、ヘレナの心臓を握りつぶしそうなほどの圧をかけてくる。完全に意味がわからない。ただ、頭を撫でようとしただけなのに、なぜこんな目に遭うのか。
しかし、そんな彼女の疑問など構いもせず、ヘーゼンは、吐き捨てるように言葉を続ける。
「ヤンを奴隷ギルドに売ろうなんて、少しでも考えてみろ。生きてることを後悔するほどの目に合わせてやるぞ」
「お、思いません! そんなこと、夢にも思ってません」
「夢にも思わない奴は、悪事には手を染めないんだよ。お前のように共感能力のないやつは、なにをやらかすかわからないからな」
「やめてあげてくださいよ! 可哀想じゃないですか!?」
たまらず、ヤンがヘレナをかばう。
「はぁ。君も頑固だな。こういう輩は懲りないから、念には念を入れておいた方がいいんだよ。君は、もう少し警戒心を持った方がいい。仮に、二人っきりになれば、力では義母さんには敵わないんだ」
「あなたは、もっと周囲に優しさを持ってください!」
「はは」
「冗談じゃないんですってば!?」
ガビーンと驚愕の表情を浮かべるヤンを尻目に、ヘーゼンはヘレナの元に振り返る。
「そう言えば、夫のサンドバルとはどうだ?」
「え、ええ。今は一緒に住んで、円満に暮らしてます」
その点だけは、この悪魔に感謝せざるを得ない。完全初対面で結婚させられて、最初は愛情など毛頭なかった。しかし、今は違う。彼も……サンドバルも同じような罪を犯していたから。
お互いヘーゼンに無理やり、泣く泣く、連れてこられて。意気投合するのに時間はかからなかった。これは、今までの罪なんだ。一緒に背負って、行きていこうと決めた。
断言できる。
正真正銘、彼を、愛してーー
「離婚しろ」
「……えっ?」
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