別れ
ヤンの住んでいる孤児院に到着した。外観を眺めると、かなりボロボロであり、至るところに修理跡が見られる。そこには小さな中庭があり、子どもたちが遊んでいる。ただ、明らかに面積が不足していて窮屈そうだ。
バズ曹長が事前に段取りしてくれていたので、すでに施設の管理人らしき人が外に出ていた。優しそうな老婆で、魔法で捕縛したヤンを心配そうに見つめている。
「初めまして。帝国軍少尉のヘーゼン=ハイムです」
「孤児院院長のノルウェ=ラグです」
「早速ですが、本題に。このヤンという娘を引き取りたいのです」
「……あの、それは『軍が』と言うことでしょうか?」
「いえ。私が個人的にです。彼女の持つ類い稀な才能を伸ばしたいと考えています」
そう答えると、ノルウェはヤンをチラッと見ながら、言いにくそうな口を開いた。
「その……今、ヤンはなぜ捕まっているのですか?」
「抵抗しましたので」
「……とりあえず、彼女を解放してもらえませんか?」
「わかりました」
ヘーゼンは牙影を左右に振って、ヤンに巻きついている紙状の影を消した。黒髪の少女は自由になるや否や、ノルウェ院長の懐に駆け込んで、ヘーゼンをキッと睨む。
「ノルウェ院長! この男、人さらいです!」
「や、ヤン! こら」
「いいのですよ。子どもの戯言ですから。可愛いものです」
「……っ」
穏やかな老婆の表情が如実に曇る。あまり人には好かれない
「あの。私は可能な限り、子どもたちの意思を尊重したいと思っているんです」
「素晴らしいお考えです」
「ヤンは賢いし、他の子たちの面倒見もいい。彼女だったら、他にもいいお話があるような気がするんです」
「……そうでしょうか?」
「えっ?」
「ヤンは、この幼児体型で、すでに13歳なんですよね? そんな明確なハンディを持った子を、数万人の孤児から選んで引き取る者が本当にいるのでしょうか?」
「……」
この言葉に、ノルウェ院長の表情が曇り、ヤンもまた、わめくのをやめた。
「私が彼女の素質に気づいたのは偶然です。現に、13歳の孤児は、言葉を選ばずに言うとすれば、とっくに賞味期限切れ。だいたいは10歳前後までで、すでに選定対象にも上がっていないのでは?」
「……ヤンは賢い子です。例え、引き取り手がなくても、手に職を見つければ」
「確かに彼女は地頭がいい。だからこそ、危険を冒してクミン族との交易をして、子どもたちの食費を賄っているのでしょう」
「クミン族……ヤン、なんのことかしら?」
ノルウェが尋ねると、ヤンが焦ったような表情を浮かべる。やはり、秘密裏にやっていたのだろう。もしかすると、この娘は最初からクミン族との通訳を引き受ける気だったのではないだろうか。
バズ曹長が通訳を探していると言う噂を聞きつけたが、幼児など試験の前に門前払いだ。だから、直接自分を売り込もうとした。
そうだとするならば、ますます欲しい。
「この孤児院の建物を見ればわかります。とてもじゃないが、潤沢な運営ができているとは思えません。ヤンは賢い。だから、あなたの困った顔が見ていられなかったんじゃないですか?」
「そうなの、ヤン?」
「……ごめんなさい」
「彼女がここの孤児院にいれたとしても、後2年。いくら地頭がいいと言っても、学がなく非力な幼児のままで交易を続けられるほど世間は甘くない。本当はノルウェ院長もわかっているのではないですか?」
「……」
「誤解しないでもらいたいのですが、私は彼女の価値を安く見積もる気はない。まずは手付けでこれだけ出します」
「こ、こんなに!?」
ヘーゼンは小金貨を1枚を渡す。これは、孤児院の子どもが10人以上買える額である。
「現在の少尉としての給料が月に小銀貨3枚。このうちの1枚を追加で毎月送り続けます。もちろん、ヤンが私の下にいる限りはずっと」
「……そんなに」
ノルウェ院長が、孤児院にいる子どもたちの方を見た。この給料の額は子供たちの食費、半月分に該当する。
「ヤンの将来に関しても考えがあります。現状、私は少尉という地位に甘んじている平民ですが、将官試験を突破した身でもあります。中尉と言う地位に上がるのも、そこまで時間はかからないはずだ。そうすれば、下級貴族の地位に上がることもできる」
「……」
ノルウェはジッとヘーゼンの目を見た。下級貴族の最下位『御倉』と平民の扱いは、天と地ほど違う。ヘーゼンの血縁として、戸籍登録を行えば、ヤンは晴れて下級貴族として扱われる。
ちなみに、ヘーゼンはすでに帝国国民の戸籍を取得している。平民とは言え、一般的に身元不詳者が戸籍を得ることは非常に難しい。しかし、これも、事情はかなり入り組んでいる。
不法に奴隷を斡旋しようとしていた帝国国籍の性悪女を拉致、監禁して強引に養子として登録させ、一時はヘーゼン=ダリとして生活をしていた。その後、成人したので、名前を再びヘーゼン=ハイムに戻しているのだが、それはまた別の物語である。
やがて、ノルウェ院長はヤンの側に駆け寄り、優しく抱き寄せる。
「ヤン……私はあなたの意志を最大限に尊重したいけど、いいお話じゃないかしら?」
「……」
しばらく、ヤンは俯いたまま黙っていたが、やがて、口を開く。
「……ヘーゼンさん」
「なんだい?」
「足りないです。私を利用しようとするなら、小銀貨2枚」
「……」
「クミン族との通訳。それに、私にはわからないけれど。あなたが投資するだけの価値があるんでしょ?」
その問いに、ヘーゼンは笑みを浮かべて頷く。ヤンは複雑そうな表情で、優しき老婆の顔を見る。
「あと、ノルウェ院長……」
「ん?」
「お願いがあるんです」
「……なに?」
「これで、最後かもしれないから……もう少しだけ、抱きしめてください」
「……うん」
ヤンの地面には数滴の雨が降り注いでいた。
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