訓練2日目(1)


           *


 その夜。ヘーゼンは夢を見ていた。でいる前の、かつての自分の姿。水面から見える姿は、腕も足も痩せ細り、身体を支えるのもやっとの状態だ。その時、悟った。これは、死ぬ直前の映像だと。


 別の大陸で、200年もの時を経た時の身体。


「これが、史上最強の魔法使いと謳われた者の最後か。哀れなものだな」


 懐かしい弟子の声が響く。横たわっているのは、心臓を押さえながらうずくまっている自分。発作で苦しみあえぎ、薬を取ろうともがいている。


 無様な死。しかし、それでも構わなかった。それが、老いると言うことだ。人はみな老い、死ぬ。それが万物のことわりなのだから。


 しかし、ヘーゼンは実験をしていた。

 それは、自身の命と魂を懸けた実験。

 結果はどちらでもよかった。

 死すべき運命なのか。


 それとも。


 神か悪魔のどちらが微笑むか。

 結果として。

 悪魔がヘーゼンに微笑み。


 ヘーゼンは若々しい肉体で目覚めた。


 今から、3年前の出来事である。


           *

           *

           *


 翌日の午前5時。朝の日差しでヘーゼンは起床した。洗面台へ直行し、歯を入念に磨き、顔に冷水を浴び、着替えをテキパキとこなす。5分と経たず準備が完了し、すぐさま食堂へと向かった。


 食堂の調理場には、集団での毒殺を防ぐため、それぞれの隊に専属の料理人たちがいる。食材もそれぞれ別管理だ。ヘーゼンは第8小隊の料理人たちの下に直行する。


「へ、ヘーゼン少尉! おはようございます!」


 彼らはすぐさま料理をやめ、直立不動で敬礼をした。


「気にせずに続けてくれ」


 恐らく、昨日の話が伝わったのだろう。料理人たちの緊張した様子が伝わってくる。しかし、そんなことは気にも止めず、ヘーゼンは調理の様子を眺める。


「料理は階級に関わらず均等に配膳してくれ」

「はい!」

「お代わりは2回。酒は夜に3杯まで。無理に欲する者がいれば、僕に報告しろ」

「はい!」

「君たちが気を配らないといけないのは配膳までだ。もし、仮に食中毒が発生した時。それが単独の人数であれば問題ないが、第8小隊全員であれば君たちに責任を取ってもらう」

「は、はい!」

「質問があれば、今、ここで聞く。あとで質問はするな」

「……はい!」

「ないか?」

「……」


 しばらく沈黙が流れ、一人の料理人が手をあげた。小太りの中年で腹がデップリと出ている。


「あの、料理長のガジイと言います。通常、お代わりはありませんので、料理の分量は増えると思います。予算がオーバーした場合はどのようにすればよろしいでしょうか?」

「献立の計画を練り直し、予測分を報告してくれ。食事も鍛錬の一つだ。予算は多めでも構わんが、オーバーはするな」

「わかりました。もうひとつだけお伺いさせてください。ヘーゼン少尉は好き嫌いがありますか?」

「……特に無いと思う。基本的に出された料理は文句を言わずに食べるタイプだ。栄養のバランスさえ取れてれば、すべて君たちに任せる」

「わかりました」


 ガジイ料理長は納得した表情で頷いた。彼には真面目な印象を受けた。ヘーゼンは安堵の笑みを浮かべて彼の肩を叩く。


 特に歩兵隊においては、食事は鍛錬と同等の重要さを持つ。しっかりと管理してもらわなければいけない。


「できた料理は僕の部屋へと運んでくれ。では、よろしく頼む」


 そう指示をして、時計を見る。時刻は5時半。一度、部屋へと戻り、壁に貼った地図を眺めながら周辺の地理を頭に叩き込む。


 ここガルナ国境警備は、ディオルド公国と隣接している。この国は互いに領土を食ったり食われたり。そんな鍔迫り合いが日夜行われている。さらに、異民族のクミン族が時折出没してその対応にも追われているとのことだ。


 ヘーゼンは隊員の日誌を手にとり、目を通し始める。


「……」


 あまり、参考になる内容が書かれていないようだ。全員の分が揃っている訳でもない。もともと、下士官は平民出身が多い。識字率も高くはないので、ある程度は仕方がないが。ため息をつきながら日誌を読み進めていた時、一冊の日誌に目が止まった。


「カク・ズ」


 扉越しで声をかける。


「な、なんだ? 寝てないぞ?」


 巨漢の男は、焦った声で答える。


「嘘をつくな。ゼレガ曹長に指示してくれ。この日誌を書いている者を呼び出せ、と」

「わかった」


 数分後、ゼレガ曹長と中年の兵士が息をきらしながら入ってきた。


「お呼びでしょうか?」

「ゼレガ曹長は呼んでいないが。まあ、いい。君の名は?」

「はっ! エダル二等兵であります」


 中年の兵士が緊張した様子で答える。


「エダル。君が書いた日誌。ディオルド公国との交戦時刻。地点。クミン族襲撃の時刻。地点。これが書かれているが、これはすべてか?」

「いえ。自分が記憶しているものだけです」

「そうか。なら、隊員全員に聞き取りを行なって、書けるだけ書いてくれ。君は要点をまとめるのが上手い」

「は、はい!」

「ゼレガ曹長」

「はっ!」

「目的意識のない日誌は、意味がない。それに、文字が書ける者だけが書くのでは、すべての情報を網羅できない。これからは、日誌を廃止。代わりにエダルに報告させるようにしてくれ。曹長以下全員だ」

「はっ!」

「エダルの負担が上がる分については、費やす時間分だけ賃金の支給額を上げるか、実技の時間を削減するかで調整してくれ。こちらとしては、申告してくれれば、そのように対応する」

「はっ!」

「以上だ。質問がなければ戻っていいが、後から質問はするな」

「ありません」


 指示を受けた二人は速やかに戻って行った。


 それから、15分後に食事が運ばれてきた。


「カク・ズ」

「ん? な、なんら」


 扉越しからモゴモゴとした声が響く。


「これ。僕と同じ食事量が食堂でも配膳されてるか、見てきてくれ」

「ええっ! 食べてるのに」

「お代わりついででいい。お礼にパンを分けてやる」

「んー。わかった、しょうがないな」


 カク・ズは嬉しそうに、階段を降りて行く。その間、料理を食べる。肉料理の味付けはいい。牛乳に若干だが異臭がしたので、これはついでにカク・ズに差し入れることにした。


「保管が上手く行ってないな」


 食料の品質管理が杜撰であれば、食中毒の危険度が増す。料理人には釘を刺したが、これは調達計画の問題かもしれないと、食べながら思う。


「みんな一緒だったよ」

「そうか。わかった、ありがとう」


 戻ってきたカク・ズにパンと牛乳を渡す。彼は、なんの躊躇もなくそれを食べ始める。


「でも、食事量なんて人それぞれでいいのに」

「よくない。特に職位に応じた差別はうちの隊ではやらない」

「なんで? 偉い人はそれだけ食べてもいいんじゃないの」

「その差別は無意味だ。通常、下士官の方が身体を酷使するので栄養が枯渇する。上官は身体は動かさないので、栄養が過剰になる。あの曹長たちの腹を見ただろう?」

「まあ、確かに」

「部下が上官に求めることの多くは、平等さだ。これは、多くの場合、働きに見合った平等さだ。僕は、上官として、平等さを突き詰めていく」


 ヘーゼンは断言した。


 同じ働きには、同じだけの褒賞を持って報いなければいけない。これは、意外とできそうでできない。それぞれ、役割も異なるし、運、不運の要素も大きく存在するからだ。


「はぁ。食事なんて、みんなでワイワイ食べられればそれでいいじゃないって。エマなら、言うと思うけどなぁ」

「……そうかもしれないな」


 黒髪青年はフッと懐かしげに笑った。

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