「死せる戦士の園」の片隅で。
@Takaue_K
第1話 Introduction
「ふわ、あぁ~~~ああ…」
あばら家の隙間から差し込む朝の日差しを浴び、目を覚ました俺はせんべい布団の中で大あくびをしてから身を起こした。
「あ~…ったく、今日も良く晴れてやがるなぁ。たまには雨降ってくれれば心置きなくサボれるのに」
俺はげんなりして吐き捨てる。
このエリアには基本快晴しか存在しない。
一応就寝に最適な常闇のエリアなども他にはあるが、そこは強力なモンスターが常時大量に徘徊しており、寝てても襲撃者を自動でぶっ殺せるぐらい腕に自信があるか、資産があってまっとうな家に住んでいるとかでも無い限り縁の無い話である。
それでも起床一番つい口にしてしまうのは野宿が当たり前だった時代に染み付いた習性のようなものだ。
「さて、と。そんじゃ起きますかね」
万年床のベッドから降りた俺は
「よっ、今日もよろしく頼むぜ」
唯一の相棒へのんびり声を掛けた。
相手は流し場の奥に鎮座ましましている我が家のペット、マンジュルヌだ。
マンジュルヌはその名が示すとおり、生きて動く饅頭である――大人の頭大の。毛は無く、つるりとしたピンクの肌、半円形のボディ、その中心につぶらな瞳とωに似た形状の口が付いていて見ようによってはなかなか可愛らしい。
声を掛けられ目を覚ましたマンジュルヌはつぶらな瞳を見開くと、一声鳴いていきんだ。
「ぴい!」
途端に、額の部分からにょきりと蔦が生えてくる。先端に掌大のマンジュルムにそっくりな実が一つ生えたので、それを俺は無造作に毟り取った。
「ぴっ…」
小さな悲鳴を上げたのは、手のひらに収まっている方のマンジュルヌだ。
目は閉じたまま。痛覚は一応あるようだが無精実なので決して覚醒や成長はしない。先ほどの声は、最初で最後の生命の証といったところか。
「ごくろーさん」
残飯を入れた餌箱を置いてやりながら掛けたねぎらいの言葉に、親マンジュルヌは一度ぶるんと身体を大きく揺らして応じると、再び目を瞑ると暢気に鼻提灯を作る作業に戻った。
「それじゃいただきます、っと」
手にした朝飯に歯を立て、むしりと齧る。
適度な甘みと旨味、そして仄かな苦味が絶妙にブレンドされた饅頭。これ一個が一日分の食事だ。
見た目の割りに美味しいし、腹持ちも良い、実にありがたい存在なのだが…
「さすがにこれも食い飽きたなぁ…ああ、たまには違うもん食いたい」
つい独り言ちるが、それも贅沢な話だ。これでも一昔に比べるとかなり食料事情はマシになったのだから。
この世界にペットが実装されるまでは、決して安くない金を払って店で食事するか、狩ったモンスターから素材を剥ぐついでに売り物にならない部位肉などをかき集めてそれで食いつないだもんである。
当然味は売り物にならない部位だから臭いわえぐいわでお察しだ。
料理スキルがあれば多少は変わったかもしれないが…生憎、俺はそんな洒落たもん持たせてもらえなかった。
そもそもペットは元々食用だったわけではない。
いつからか、徘徊するモンスターのいくつかが超低確率ではあるものの捕まえられるようになっていたのである。
神からの恩寵で与えられる品の中に、いつしか謎のアイテムが混じるようになっていた。
当初は用途が判らないためただのゴミだと思われていたが、腹立ち紛れにモンスターにぶつけたら偶然テイムできちゃった奴が現れたことで爆発的に知られるようになったといういきさつがある。
…俺も、ただのゴミだと思って幾つか捨てたけどな。後で知って凄い凹んだ。
で、その中にマンジュルヌも含まれていたという訳だ。
元々マンジュルヌはとても弱く、主に食用として新人に狩られることに定評のあるモンスターだった。そんなんでも抵抗されれば生産職辺りがまぐれ当たりを貰えば怪我を負うこともあるし、いちいち飯のために狩るのも時間がもったいない。そして何より、戦闘すると可食部がごっそり減ってしまう。
それが飼い主のお願いと残飯だけで抵抗すること無く継続的に実をつけてくれるとなれば、積極的に食用とされるようになったのは当然の成り行きといえよう。
ちなみに無限に生える尻尾をステーキに出来るドラゴンや、ミルクを提供してくれるメスのミノタウロスなんかもペットにできる…が、この辺りは非常に高値で取引されるので、運が無い奴か、貧乏人にはまず縁が無い。
かく言うこのマンジュルムも、それなりの金を溜めて買ったものだ。
実はその前にどうしても肉が食いたくて三回ほど大枚叩いてテイムアイテムを使ったこともあったが――結果は改めて言うまでも無いだろう。
俺はミニマンジュルムをむしゃむしゃやりながら空いている手で腹をぼりぼり掻きつつトイレに行き、小用を済ませると鏡を見る。
そろそろ中年にさしかかろうかという顔についている、覇気の無い目がこちらを見ていた。
節くれだった手を伸ばし、顎を摩る。
髭はまだそんなに目立たないから今日は剃らなくても良いな。無精者なので、こういうときは体毛の薄い体質がありがたい。
「さて、と。んじゃそろそろ軽く身体を動かして、神様が来るための準備をしておこうかね」
マンジュルヌの実を食いきり、台所においてある甕から汲み置きの水で喉を潤した俺は寝室に戻ると箪笥の前に行く。着古した普段着に着替えた俺は、そのまま家の裏手に出た。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺は首都在住だ…が、家があるのは首都は首都でも外れの外れ、城門のすぐ前だ。
俺がこの家を買ったのは、この辺りには人通りが無いからである。
そのため、モンスターをばら撒くテロが起こると、いつまで経ってもモンスターが駆逐されないという事態が頻繁に起こった。首都であるにも関わらず、モンスターと戦ってから家に帰るまでにまたモンスターに襲われるということが割とよくあったのだ。
当時を偲ぶように視線を向けてみれば、ぽつぽつ建つ民家の壁にはあちこち幾つもの傷痕があるのが離れていても良く見える。それらはいずれも外気の取り入れに存分に役立っており、うちでも採光の役を大きく担っていた。
ちなみに今では人口が減りすぎていてテロ自体過去の遺物となっており、最近はこの辺りの購買価格が上昇しているそうな。
それを聞いた以上、手放す気は無くなった。例え改修する金が無く、隙間風をバンバン通す穴だらけであってもだ。
がらんと静まる通りを抜け、東城門を潜り抜ける。
昔はこんなとこにでも露天を出していた酔狂な商人は一人や二人はいたんだがな…。
「あっ、ベガー殿! おはようであります」
と、門をくぐったところでちょうど目があった門番がくいっと縦長の近衛帽を持ち上げ挨拶してきた。モンスターが暴れるときにはいつの間にかいなくなっている、役に立つことの無い門番だがそれでも会話が出来る相手がいるというのは心が豊かになるな。
「おはよーさん。てか、いい加減ベイカーと呼べっての。俺は乞食じゃねーぞ」
「あはは、でもその綴りだと
「うるっせえな。んなこたぁ知ってるが、それでも気にいらねーんだよ」
俺の名前をつけてくれた守護者様はBakarにしたかったらしいが、現在俺の名前欄には燦然とBeggarの文字が輝いていた。
俺の守護者様は筋金入りのしみったれで、改名にはそこそこ宝珠が必要とされるため、未来永劫この名前が変わることは無さそうである。
にやにや笑う門番に俺は深く嘆息して、この話を打ち切った。
いつものことだ、実に心が豊かになるなくそう。
「んで、今日も鍛錬に?」
「おうよ」
「熱心ですねぇ」
「ま、癖みたいなもんだからな」
俺がこの首都に現れてからというもの、毎日朝の訓練は欠かさずやってきている。心配性ゆえに為せることだが、まさに癖だ。
「それに、何かあったときのことを考えると、常日頃から鍛えておくに越したこたぁねぇからな」
「まったくです」
門番が深く頷いた。
「まあ、最近は大分減りましたけどね。突然固まる新人とか」
門番が言っているのは、時折戦闘中にぴたりと動きが止まる症状のことだ。
幸い俺は一度も掛かったことが無いが、酷い奴は数分おきに固まるなんてこともあった。剣を振るモーションが振りかぶってから5段階で動く奴とか、見ている分には面白い。
だが一方でモンスターはそんなことお構いなしだから、もし戦闘中に起きたならそりゃもう酷いことになる。
実際、それまで華麗に戦っていた奴が突然身動きできなくなり、何もできずに殴り殺されたなんて瞬間は俺も何度か目撃したことがある。
俺も、これまでに一度もなったことが無いというだけであり、これからもずっとならないという保障があるわけでも無い。何より、俺は自分の幸運をそこまで信じていない。
運が良ければ、或いは実力が大きく上回っていればそんな不幸な事故も何とかねじ伏せることもできる。が…それでも、魔法をはじめとした複雑な行動は取れない。
そんな不測の事態がいつ起きてもいい様に、普段から備えて相手の攻撃を耐えられる、しのげる基礎を鍛えておくことは大事なのだ――幾らHPが0になっても死なない世界とはいえ。
「ともあれ、気をつけてくださいね。弱体化しますので」
「ああ、わーってる。せいぜい気をつけるさ」
そういうと、門番は道を開けた。
……………………
………………
…………
首都を出てしばらく歩いたところで、俺は足を止めあたりを見渡した。
人気はまったく無く、野生のマンジュルヌが何匹かぽいんぽいんと気の抜ける音を立てながら跳ね飛んでいるのが見える。
のどかだ。
ここは昔っから変わらんね、おかげで気兼ねなくて良い。
他人と無駄に関わるのは億劫だ。
特に人気のある狩り場でたまに現われる、昔のことに気安く触れてくるような奴と関わるのは心底うんざりする。
…さて、まず筋肉をほぐさねーとな。
俺は右腕をさっと横に伸ばす。その動きに併せるようにして、真っ白い帯が空中に軌跡を残した。
大きく右へ伸ばした腕を今度は垂直に振り下ろすと、それに呼応するようにして白い帯が枠と化して下へと広がり、半透明の四角い画面が表示された。
そこに書かれている文字のうち、最上段に書かれている一文を軽く指先でつつく。
<<編成切り替え…重剣士>>
鈴の音のような女性の声が響いた途端、体を包むように空間がひずんだかと思うと、俺は重厚な全身鎧、剣と盾を身にまとっていた。
豪華な装飾が付いていて一見豪奢に見えるが、あちこち目を凝らして見れば細かな傷やら修繕の痕やらに気づくだろう。
中古の、『歴戦プレートメイル+6』『歴戦大盾+4』『斬奸刀+9』。
これが、今の俺の一番強力な武器防具にしてもっとも付き合い長い相棒だ。
いずれも一時期一斉風靡したことのある品なものの、神の武器が次から次へと出回るようになった現在ではロートル扱いである。それを買い漁り、可能な限り強化した奴だ。
強化値がまちまちなのは、数値が高くなれば高くなるほど失敗する確率が上がり、そうなれば消えてしまうので、
替えを潰しながら強化した限界がこの数値だからである。斬奸刀だけは、よくここまで育てられたものだと我ながら鼻が高い。
反面、数が出回らなかった盾は結構不満の残る数値だが…。
ともあれ、鎧を着た俺は軽く屈伸したりして身体をほぐしていく。
鎧は着込めばそれで終わりじゃない。
着込んだ上での立ち回りこそが重要なのだから、イザというときへばってしまっては意味が無いのだ。
こうして鎧を着込んだまま俺はあちこち走ったり飛んだり跳ねたり周囲の小山を数往復した後、更に小一時間剣を素振りした。
「よし、“重剣士”は終わりっと。次は…そうだな、“賢者”にするか」
ノルマを達成した俺は剣を鞘に納めると、さっと手を振り再びウィンドウ画面を呼び出した。一旦鎧だけ収納して汗を拭こうかと思ったが、どうせまた汗を掻くのだからと考え直す。
今度は先ほど選んだものより三段下にある文字を軽くタッチすると、今度は鎧と剣、盾が豪勢なローブと杖へと変化する。
『風詠みの杖+3』、『風纏の衣+4』。
これもそこそこに値の張った一品だが、生憎俺は魔法を使う立ち回りが余り好みではないため重戦士装備よりも出番が少ない。そのためまだ幾分かは小綺麗に見える。
「あらよっ」
すばやく縦横無尽に炎の壁を周囲に張り巡らし、つづけて殲滅用爆炎魔法の威力を変えて放つ訓練を数セット。
魔法の訓練では重剣士のそれと違い、もっぱら二人用の立ち回りをイメージしている。
威力を変えているのは、高威力の魔法は強力なものの、加速度的に比例して詠唱が長くなるためだ。
炎の壁で俺自身の安全を確保するようにしているが、永遠に燃えてくれる訳ではないし万能という訳でも無い。平然とぶち破ってくるような強力なモンスター相手にちんたら詠唱しているのは殺してくださいというようなもんである。
そのため、威力を捨てて速攻で相手の動きを阻害する魔法をまずは放つ。ひるんだところに時間を掛けて練り上げた高威力の魔法をお見舞いする――そうすることで極力相手の攻撃を食らわないようにするのが賢者の基本的な立ち回りとなる。
こうすれば、囲まれたときにも比較的冷静に対処できるというわけだ。
ま、どんな相手にでも全力しかぶっ放せないのは唯の阿呆ってこったな。
そうこうしている間にも俺は炎の壁を途切れないよう上手く調節したまま、立ち位置をほとんど変えず大魔法を立てつづけに撃つ練習を繰り返す。
ひとしきり練習し、腕(というか口?)が鈍っていないことを確認した俺は、更に“商人”の練習に取り掛かることにした。
「…誰もいねぇな? よし」
今度はウィンドウを開く前に、周囲を確認する。
ちゃんと誰もいないことを確かめ、俺は改めて商人にチェンジした。ローブと杖が消え、代わりにウォーアクスと軽鎧、そして荷車が現れる。
これらは特筆することも無い、安いが装備可能な中でもっとも重い武防具だ。戦闘が主目的のジョブでも無いし、身体を慣らすならこれで十分。
「…んっ」
視線が低くなった俺は、軽くウォーアクスを振って頷く。その声は、明らかに先ほどより高かった。
「この格好が一番力があるから、ウォーアクスを軽々振れるのは爽快だが…しっかし、やっぱこの姿にゃ慣れねぇわ」
俺はひらひらのフリルが付いたロングスカートを摘みながら苦々しげに吐き捨てた。
…そう、商人のときの俺は小柄な少女の姿になっている。ついでに言うと、自分でも結構可愛いと思える造詣だ――覇気の無い目だけを除けば。
これは別に俺は特別なアイテムを使ったり、病気にかかったからというわけではない。もっと言えば、俺自身が好き好んでしているわけでもない。
この世界では、誰でも幾つかの姿を持っている。
もちろん、持っていない人も多い。事実、賢者と重戦士は俺も見た目同じだし。
男女両方の姿を持つ理由は、人によってそれぞれであろうが、俺の場合は至極合理的なものだ。
男女によって身につけられる物に制限があることもあれば、身につく技、もっと言えば職に制限があることもある。それに応じてジョブを変えたり、或いは一つのジョブを男女でこなしている者もそこそこいるためだ。
顕著なのは“弓手”の派生職で、男性は槍を得意とする“吟遊詩人”、女性は鞭を得意とする“踊り子”がある。
ま、総計を取ったらもっとも多い理由は『普段と違う姿になりたい』だろうけど。
誰でも、今の自分じゃない自分に憧れを持つという気持はあるからな。
「…にしても、この見た目はやっぱねぇわなぁ…幾ら【守護者】様の意向つってもなー。せっかく変わるならもっと筋肉が欲しかったよホント」
これまで重戦士をメインにしてきた以上、どうしても自分でも普段のイメージがそのときの長身痩躯に囚われる。
だからなるべく、オマケしてもらえる素材売却のとき以外はこの格好はしないようにしていた。
…だって、店の奴ら俺を見るといつもくすくす嗤うんだもの。
「ベガーちゃん、パパのお使いでちゅか~? えらいでちゅね~? おまけしてあげまちゅね~」とか判ってて言われるんだぜ。いい歳した身としては辛い。本気で辛い。
お返しで「うん、ありがとうねおじちゃん、だぁい好き❤」と作り笑いで返してやってお互い吐き気を堪えるのに必死になったりもしたっけ。
これもまた、ペットを手に入れるのにやっきになった理由の一つだ。
ちなみに守護者というのは、正体不明の謎の存在だ。
彼らと直接声を聞いたり、会うことは決して無い。
ただ、この世界の冒険屋にとっては、自身が生まれついて以来のもっとも親しい存在である。
誰も見たり会ったりしたことが無いのにも関わらず存在を確信されているのは、降臨すると幾つかの加護を恒久的に得られることを体感できるからだ。
まず誰もが受ける恩恵としては、守護者が降臨すると感覚が大きく広がることが挙げられる。
具体的には、視野や聴覚が魔法を使ったわけでもないのに普段より拡大化されるのだ。
背後からの襲撃や、壁の向こうや普段では見えない遠くにいる敵の数・種類が瞬時に把握できるようになる。他にも暗所ですら見通しが利くようになったり、初見の相手の弱点を看破できるのだから戦いに身を置くものとしてはまったくもってありがたい話だ。
また、装備や荷物をいつの間にか整頓してくれることもある。
その場合、大抵使いやすい配置になっていたり、あるいは狩場に適した部防具が装備しやすい位置に置かれている――人によってはとんでもない配置になっていることもあるらしいが…守護者にも整頓が下手な者がいるということだろうか。
俺の場合、先ほどの重剣士の装備などは守護者様の指定で馴染んでいるため、普段から同様にセッティングしてあるくらいだが、おかげで戦闘中に魔法が必要になったときのような突発的な事態にも対処しやすい。
そして、自分が買っていない装備が極まれに倉庫に置かれていることもある。
…頬紅がそうだった。
商人を作成する前の話だが、普段何もよこさないくせになんでまたこれだけ…と呆れたものである。
ちなみに、頬を赤らめて見せるだけのなんの効力もステータスアップも無い代物だ。とどめに捨てることも売ることもできないため、ある意味呪いのアイテムと変わらない。
ぶち込まれていたということは使って欲しいと言うことだろうが、流石に男の状態では似合わないのでやむなく商人のとき専用としている。
最後は…
そこまで考えたところで一陣の風が吹き、俺はぶるっと身を震わせた。
そういえばまだ運動の途中だったな。
せっかく温めた体が冷えちまう、先にやることやっちまおう。
商人になった俺は荷車を自在に動かしたり、斧を振り回す訓練をはじめた。
見た目から侮る無かれ、荷物を積んで重量がたっぷり乗った荷車をぶつけるスキルは実は下手な戦士より瞬間火力が高い。
戦いにおいては何が起きるか判らない。どうしても倒せない強敵用の、一撃必殺の技としても鍛えておいて損は無いのだ。
「…うし。今日のとこはこんなもんでいいだろ」
ひとしきり斧(と荷車)を振り回し終えた俺は額の汗を拭う。
素振りしはじめた頃は倍の時間が掛かり、最初の重剣士だけでへとへとになったものだが、今では四分の一ほどの時間で終えることができるようになっていた。
おかげで少し行った先にある小さな渓流で顔を洗う余裕すらある。今の季節はそこで顔を洗った後、守護者が降臨するまでの間しばらくぼーっと佇むのが日課になっていた。
「…あん?」
渓流に近づいた俺は、思わず顔をしかめた。
かすかにではあったが、普段めったに聞かない人の声が確かに聞こえたからだ。
渓流はとても澄んでいて冷たい。そこでのひと時が憩いの時間だったんだが…
係わり合いになりたくない俺はきびすを返しかけた。
「いいじゃん、ちょっとくらい貸してよ~」
「俺ら、そういう普段見かけないレア憧れてるんだよ~。わかるっしょ、この気持ち」
聞こえてきた声の大きさからしてそう遠くないようだ。
「ちっ…」
俺はもう一度舌打ちするとそちらに向けて歩き出した。
「デモ…ワタシ、コレ貸スト他、武器無イヨ」
「へーきへーき。そのための臨時パーティーじゃん?」
「そうそう。それに大丈夫大丈夫、すぐ返すからさ~」
到着してみると、せせらぎの
「<<鑑定>>」
俺は見つからない距離で彼らを目に留めると、早速鑑定スキルを使うことにした。 これは元々は商人専用のドロップアイテムを鑑定するのに使うが、それ以外にも他人に使うことで簡単な強さを測ることが出来る。
まずは真ん中から…と意識を集中させた。
「真ん中のはレベル1か。だが…おーおー、すっげえなぁ。【神の武器】の移動博覧会でもしてるつもりかよ。なるほどありゃいい鴨だわ」
俺は思わずこめかみを押さえた。
頭には『聖者の帽子』『クロノグラス』『トレファス』。
防具は『鬼神の鎧』『天魔の兜』『魔王の具足』『堕天の小手』フルセット。
武器は『磁双剣マグネティウム』。
何れも最上位とは言わないまでもなかなかに強力なレアアイテムばかりで、一つで俺の一年分の生活費が賄える。宝の持ち腐れという言葉が二足歩行してるようなもんだ。
Lv1じゃ何れも使用制限付きまくりで、到底まともに戦えないだろうに……。
おまけに、重剣士と魔法使い、双剣士…と適正がてんでんバラバラでまったく揃っていない。
とことん守護者に甘やかされたのだろうなと思うと反吐が出る。
「んで、後の二人は…レベルたったの15か。ゴミめ」
どいつもこいつも…
その間にも、ゴミのゴミによる
「ほらー、はやく貸してダンジョン行こうぜー」
「そうそう、俺らが使ったほうがその装備も喜ぶって」
「俺レベル30もあるから、ばりばり倒せる分そっちも経験値が入るんだぜ。そのほうがお得だろ、な?」
残念、レベル15でも全部装備制限が掛かってるので変わりません。
恐らくしょぼい装備としょぼいレベルから見て元々は手っ取り早く寄生するつもりだったのが、相手が完全に素人と判ってアイテムを毟り取る方針に変えたのだろう。
「ああもう…」
俺は太い息を吐いた。
俺は他人と関わるのは嫌いだが、他人を食い物にする手合いはもっと嫌いだ。
「おい」
「うわっ?!」
出し抜けに声を掛けられた連中がこちらを向く。
「…なんだよ、商人かよ…しかもガキの」
「びっくりさせんな、管理者かと思ったぜ」
レベル15のゴミどもが一旦は慌てたものの、声を掛けたのが(俺が言うのもなんだが)可愛らしい少女だったことに安心して胸を撫で下ろしたようだ。
「んで、何のようだよ。こちとら臨時パーティーの準備で忙しいんだけど」
「何が臨時パーティーだ。カツアゲするならモンスター相手にしてろや」
俺がそういうと、剣を使うゴミが目を吊り上げた。最初は丁寧口調で油断を誘うことも考えたが、こいつらが百人いたとしてもそんな小細工必要ない。
「あぁ? なんだと?」
と、魔法を使うゴミがちょっと考えなるほどともらした。
「ははーん。なんだよあんた、仲間に入れてくれってことか。そういうことなら回りくどい真似しねぇでよ、はっきり言えよ」
「あ?」
こいつ、何言ってんだ?
意表外の反応に、思わず間抜けた声をあげてしまった。が、剣を使うゴミはこれで理解できたのだろう。
「ああそういうことね。
「まあ、今アクティブで動いてる中でも俺ら強い方だからそう考えるのもしゃーねーな。だから乱暴な口調で優位をとろうとしたんだろ」
「…はぁ」
俺は呆れ果てて大きなため息を吐いた。
初歩スキルの鑑定すら使えない癖に何をボケたことを。幾ら安物を装備しているからとはいえ、何が悲しゅうて俺がレベル百分の一以下のお前らに寄生せにゃならんのだ。
俺のことを知らんのは良いが、こういうパターンも面倒だな。やっぱ余計なことに首を突っ込むんじゃなかった。
「よし、そんじゃ後で固定パーティー組むべ、ベッドの中まで…」
「寝言は寝て言え。俺がそこの鴨と五十どころか五歩十歩程度しかないお前らヒヨコと組んで何の得がある」
もうまともに会話するのも面倒になった俺はさっさと本題に入ることにした。
「全盛期に比べたら鈍りに鈍った身ではあるが、お前らのような寄生虫と組むぐらいなら一人で行くわボケ。判ったらこんなとこで他人様の経験値吸おうとしてないで、さっさとおうちへ帰ってママのおっぱいでも吸ってろや」
ゴミ二人がぴたりと口を噤む。
そして、季節の広葉樹のように顔色を黄色、赤へと鮮やかに変えた。
「んだと…いい度胸だ、商人風情が!」
「おい、せっかくだ。こいつもぶちのめして有り金巻き上げようぜ」
「それもそうだな。よし、やるか!」
魔法を使うゴミの提案に剣を使うゴミが同意し、剣を抜き放つ。同時に、たらたらと魔法使いが詠唱をはじめた。
その間、鴨はおろおろするだけ。
他二人もバカならこいつもバカだな。この間に逃げればいいだろうに。
「…いや、バカというなら俺もか」
「へっ、今更後悔してもおせぇぜ!」
真のレベル30戦士相手ならもう5回ほど切り殺されているだけの間を置いて放った魔法を、俺はみじろぎもせず受け止める。
「おら、これで終わりだ!」
派手な爆風の見た目を縫い、ゴミが剣を振るった。それを、俺は斧を持つ手首のスナップだけでぺちんと叩き落とした。
「ほう、何が終わりだって?」
「…えっ?!」
驚いた隙に俺は懐に飛び込み、荷車を横殴りに振り回す。傍からは軽く剣を振るくらいの速度に見えたろうが、中には先日買い置きした水薬が100本はじめ種々雑多な荷物が所狭しと放り込まれている。ぼきごきめしゃあっという骨がこっぱみじんになる音と共に、剣を使うゴミは宙を軽やかにぶっ飛んでいった。
「なん、え?! 商人、え?!」
「呆けてる暇があるか、次はお前だ」
魔法を使うゴミ、そしてぶん回したカートの車輪の向きと俺とが同一線上に並んだのを見計らい、全力で突進する!
「おげっ」
どずんっ、という小気味いい衝突音を立てて魔法を使うゴミが渓流へとぶっ飛んだ。くるくるくるくるくるくるくる~っと七回転半したところで、顔面から川面へ突き刺さった。うむ、新記録だな。
「そこで頭を冷やすんだな…って、死亡判定出てるじゃねーか」
俺が呟くと同時に、魔法を使っていたバカの体が一瞬ざざ…と歪んでから消えた。
「ああもう、どんだけもろいんだよ…つか久しぶりだったから加減間違えた」
嘆いている俺の背後で、剣を使うバカの喚き声が聞こえた。
「ああっ! は、はもチン! て、てめぇ、よくもやりやがったな! もう絶対ゆるさねえ、お前のことは必ず殺す!」
はもチンって、魔法を使っていたバカの名前か。名は体をあらわすじゃねーが、奴さんの守護者様はなんともセンスが無いようだ。
…いや、名前のセンスは俺のも他人のことを言えた義理じゃねーな。名前を弄るのは止めよう、その口撃は俺に効く。
まあいい、今は一応戦闘中。すぐに思考を切り替え、俺は振り向く。
この間に剣を使うバカは回復ポーションを浴びたようで、きらきらした光をまとっているところだ。
「おいおい、逃げないのかよ」
逃げてくれよ、手加減も案外難しいんだからさ。面倒くさいなぁもう。
「当たり前だろうが! 商人ごときに尻尾巻いて負けられるかよ!」
威勢の良いことを言いながら剣を構えると、同時にシャキーン!と鋭い、しかしどこから出てるのか判らない音が周囲に鳴り響いた。
「…はぁ」
負けられるかよ、といってやったことが<<オートカウンター>>かーい…。
呆れた俺はバカの横をとことこと回り込み、そのまま蹴りを技発動中で動けないどてっぱらに入れてやった。商人の場合、無手の格闘が一番火力が弱い。
「げほぁ!? な、なんで…」
どうと横倒しになったバカに何度も蹴りを入れてやりながら、俺は解説する。
「なんでも糞もあるか。カウンターは発動後前方160度までにしか判定ねーし、発動後はしばらく硬直で動けない。だから低レベルでも覚えられるの」
「なっ…お、お前? だって…」
商人だろ、そう言いたいのだろう。
「そう、普通の商人ならしらねーだろうな。けど俺は三回転生してる」
要するに、レベル300は越えている。
蹴りつけつづけながらそう説明してやったところで、剣バカは顔面を蒼白にした。ようやく自分と相手の力量の差を理解したらしい。
「んでもう三つ説明してやると。ここ、俺のお気に入り。俺、カツアゲ嫌い。だからお前凹る。オーケー? …ありゃ」
返事は返ってこなかった。
代わりにこいつも歪んで消えた。
「でぇえええ?! おいおいおいおい、もうかよ?! 戦士だろ、もうちょっと粘れっての!」
絶対に許さないとかほざいていたので念入りに心を折っておこうと思ったのが間違いだったらしい。
呆れる俺をよそに、問答無用で両手のうちにバカ連中の使っていた武器が握りこまれる。相手を倒したことで、使っていた武器が自動的にこちらに渡ったのだ。
この世界では、冒険屋は一定の条件の下で他の冒険屋や一般市民を襲撃して装備や金を奪うこともできる。だが強盗した奴は永続的に、相手に返り討ちにあうと逆に奪われるようになってしまう。
つまり、こいつらは過去にも他の冒険屋を倒して装備を奪っていたというわけだ。
ま、奪っちまったもんは今さら嘆いたところで仕方ない。売って財布の足しにでもするかと鑑定したが。
「…おいおい、数打ちどころか練習用の剣じゃん。訓練所のパクってんじゃねぇかこいつら」
最後に触れたのが余りに遠い昔なもんで意匠とかすっかり忘れてたが、確かにこれ最初に渡された刃引きの剣だ。
こんなもん棒切れよりマシって程度でしかない。
せめてそこいらのモンスターを狩って武器を拾うなり、素材売って数打ち買うくらいしろよ…。
呆れ果てて脱力する俺をよそに、不意にどこからかヴィー、ヴィーという姦しい警戒音が鳴り響いた。
「げっ…」
それを聞いた俺はさぁっと顔を青ざめさせる。
おいおい、まだ時効になってねーのがあったのかよ!
この音は、所謂人殺しが行われたことを周知させる警報音だ。すぐにここへ犯罪者――この場合俺のことだ――を捕らえようと衛兵がやってくるだろう。
少し駆け出したところで俺は振り返り怒鳴った。相手はこの期に及んでも未だに呆然と事の成り行きを見守っていた鴨君だ。
「おい、そこのお前! 衛兵が来るぞ! 俺は逃げる、面倒ごとが嫌ならお前もチンタラしてねーで逃げろ!」
「ア…」
鴨が何か言いかけてたがそんなものを悠長に聞いている暇など無い。
俺は奪った剣をその場に放り出し荷車をしっかり掴むと、今度こそ一切振り向くことなく全速力でその場から駆け去った。
……………………
………………
…………
「とほほ、余計なお節介焼いたせいでまーたお尋ね者になっちまった。ここ数年大人しくしてたってのになぁ…まーた一年ほど汚れ仕事しねぇとならんとか、やってらんねーわ…」
荷車を曳きながら捕縛に向かっただろう警吏に見つからないよう遠回りした結果、首都門前の草原に着いた頃には昼前になってしまっていた。
「やれやれ、スカートの中まで汗みずくになっちまったぜ…あっ」
今更になって気付いたが、考えてみれば商人のままでいる必要なんか無いじゃん。早速俺は重剣士の格好へ戻った。
「このベイカー様も動転してたってことかねぇ…お」
丘を越えたところで俺は、こちらに向けて笑顔で手を挙げて歩み寄る人影に気付いた。
「よぉ! …っとと、
いや、相手は歩み寄ってなどいなかった。
肩の高さまで挙げた手を下ろした俺は顔から笑みを消しすれ違う。
Ra_R5は、虚空の誰かに向けて笑いかけつづけていた――五日前からまったく同じままに。そして、これからも永遠にその誰かに向けて笑いかけ続けるのだ…恐らく、この世界が消滅するそのときまで。
「もう五日になるんだっけか、お前が【停滞者】になっちまったのは…気のいい奴だったんだがなぁ」
俺は足を止めることなくぽつり、もらしていた。
この世界において、肉体を破壊されることで訪れる”永遠の死”というものは存在しない。
仮に肉体が破壊され、生命活動が維持できなくなる死亡判定が出ても、蘇生魔法、あるいは蘇生薬を使えば人はたちどころに蘇る。そうでなくても、一定時間放置されるか自ら望めば拠点となる町の中心部へ転送され蘇ることが幾らでも可能だ。デメリットもあるが装備を紛失したり、多少弱体化するくらいなもので過剰に恐れるほどのものではない――まあそれこそ死ぬほど痛い思いはするが。
が、その中にあって尚、唯一の回復不能な状態異常として認識されており、冒険屋全員から恐れられるものが一つだけある。
それが【停滞】だ。
これは原因不明の奇病で、健康そのものだったはずの冒険屋がある日を境に活動を止めてしまう。
日常をそこだけ切り取ったように、ぴたりと動きを止め…そして、そのままだ。
一切の物理干渉も魔法も効かず、何ら手が打てないままやがてその身は木石の如く緩やかに苔むし、自然の一部となる。
冒険屋にのみ掛かるため原因は守護者を失ったためというのが現在の一般的な解釈だが、一方で直前まで接していたという者も稀にいる。十年前神の武器がこの世界に顕れてからというもの急激に増加しているという噂がまことしやかに流れており、また、ある者は停滞の間際に守護者から『ソツギョウ』だとか『シュウショク』、『アキタ』という託宣を受けた者もいるそうだが真相はなった当人にしかわからないのが実情だ。
問題は、未だに解決どころかなんらの対策も採れていないにも関わらず、罹患者が増加の一途を辿っていることだ。
このせいで、一時期一般人から俺たち冒険屋は蛇蝎の如く忌み嫌われた。冒険の最中にどっかから拾ってきたと思われたからだ。
しばらくして一般人には一切罹患しないらしいことが判明したことで表向き落ち着きはみせているものの、未だ冒険屋に好感を抱く者は昔に比べ激減したままだ。
まあ、そうなったのには神の武器が出回るようになったことも大きいと俺は見ているけどな。神から強力な武器を与えられたことで偉ぶり、それまでお世話になった鍛冶屋などを見下すようになった冒険屋は枚挙に暇が無い。一方で神の武器に縁が無い俺は店屋の連中とはそこそこ上手くやっていると思う。
今いる冒険屋たちもまた、表にこそ出さないが、いつ自分たちも停滞するか心の底では怯えている者が大半だ。それもあって周囲で神の武器を得ようと狂奔する者が加速度的に増えてきているように思う。もしかしたら、いつ来るとも知れぬ停滞の不安を、神の武器に縋ることで紛らわせようとしているのだろうか。
さっきの若者も、自ら鍛えるよりも手っ取り早く不安を解消させるために紙の武器をかき集めたのかもしれないな。
「…ちっ、嫌なことを考えちまったな…」
そういえば結局水浴びも出来なかったし…まったく、余計な仏心を出したばっかりに踏んだり蹴ったりだ。
だが、落ち込む気分にさせられるのはまだ終わらない。
とぼとぼと城門をくぐる俺に門番が向けてきた冷たい視線が痛い。どうやらすでに俺が何したか、情報が伝わっているらしい。
彼には門だけを守るという重大な使命()があるから拘束しには来ないが…たった数時間前は談笑したっ間柄だってのに、まったく世間の風は冷たいもんである。
あの絡まれてたのが管理者に説明してくれれば解決するだろうが…終始ぼんやりしてやがったのを見るにそんな気の効いたしてくれるなんて期待はできないだろうしなぁ。参るわホント。
ただ、相手が犯罪を犯していたことはすぐ判るだろうし、最小限の人死だから処置がそんなに重くはならないであろうことだけは救いか。連絡が行けば、門番もすぐに元通りに接してくれるだろう。
凶悪な場合正規店での売買まで制限されるが、露天商がそこかしこに溢れていた昔ならともかく、現在そんな羽目になったら到底生活が立ち行かない。
よし、気持を切り替えていこう。
むしろ朝っぱらから悪いことつづきなら、後は上がるだけじゃないか。
そうだ、午後。これからならいいことがあるはずだ。
ちょうど酒場も開く頃合だし、もしかしたら楽してがっぽり稼げる依頼が張り出されているかも知れない。
守護者が降臨するまではまだ幾ばくかの時間がある。
普段なら家へ直帰したいところを足を伸ばし、俺は首都の中心へと向かうことにした。そこにはランドマークの噴水広場があり、北東の一角に面するようにして首都最大の酒場がある。
だが畜生、『午前が悪かったから午後こそは良くなるだろう』という俺のささやかな楽観は適わなかった。
「うわぁ…」
広場へつづく角を曲がったところで俺は思いっきり顔をしかめてしまう。
噴水広場の前には高台が設置されているのだが、その周囲にはちょっとした人だかりができていた。
「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」
注視の中、高台の上でそう大声で呼んでいるのは大神官だ。遠目からでもよく判る弛んだ面が、普段奢侈な生活に浸っていることをよく示している。
その前でにやけたアホ面をさらして立っているのはルークとかいう、ある意味良く見知った男だ。
それは他の野次馬も同様で、
「ちっ…まーたあいつかよ」
「いい加減使いこなせるようになれよ」
「他の奴ならともかくルークかよ、アホくさ。帰るか」
といった声がちらほら聞こえてくる。
当の
「偉大なる神ヴァール・フォーズルよ! 敬虔なるかの者は素晴らしき供物を用意いたしました。その功を認め、あなたの力を分け与えたまえ!!」
幾度と無く言いなれた口上を述べ終えた大神官が、ルークから人の頭ほどもある【宝珠】を受け取ると大きく捧げ持つ。
直後、眩い光を放った宝珠は頭上へと浮かび上がった。
かと思うと十の光球へと弾け、ゆっくり一つずつ順番にルークの元へと降りてゆく。掬い上げるようにした掌に触れた光の球は、様々な武器や防具、道具へとその姿を変えていった。
「吼竜剣ディノブランド! 氷杖アウラーエ! 音叉剣ゲイド・メギデイオン! 炎皇拳カグツチ! 聖凱盾ギルバレオ! 氷杖アウラーエ! 炎皇拳カグツチ!」
「…ちっ!」
呼び上げるにつれ、顔が目に見えて険しくなっていくルーク。それに反比例して、大神官の口調が焦りから早口になっていく。まったく、これじゃ神に仕えているんだかルークに仕えているんだか分かりゃしないな。
「おお…これは!」
しかし、幸い大神官はルークが最悪の機嫌になる事態は避けることができた。
最後の最後、一際大きな光の球が荘厳な雰囲気を称えた長剣になったのだ。
「至高剣ノーイ・ラーテム!!」
周囲がいっせいにどよめく。俺も思わず身を乗り出していた。
『至高剣ノーイ・ラーテム』。
これはこの世界で二番目に優れるとされる剣で、至高神ヴァール・フォーズルの佩剣の分霊だとも、彼の魂を削って生み出されるとも言われている。
二番目なのに至高とはこれ如何にとは思うが、能力はその伝説に相応しく、装備するだけであらゆるバッドステータスを跳ね除け、傷を癒し、弱いモンスターを寄せ付けない。剣の能力も優れたもので、一閃で古竜数体の首を跳ね飛ばしたという噂さえ聞く。おまけに自分の攻撃力を上回る相手と切り結んだときには、己が身を犠牲にして使用者を守るカウンター機能付きだ。
そんな飛び抜けた高性能装備なので、一本手に入れば俺が普段身につけている装備はダース単位が新品で買い揃えられる。まさに至高の逸品だ……本来なら。
そんな剣を手に入れたルークはしかし、ふんと鼻息一つ鳴らすと詰まらなさそうにウィンドウを開き、倉庫へ送ってしまった。
「またノーイ・ラーテムか。これで5本目だぞ。何が伝説なもんかね」
その独り言で、あちこちから唾を吐き捨てる音が聞こえた。もっとも身近なものは俺の鼻先からだ。
隠しきれていないにやにや笑いを俺は見逃していない。あいつは野次馬の反応が知りたいからわざわざでかい声で独り言を呟いたのだ。
そして、ルークを更に悦ばそうと取り巻きどもが周囲で騒ぎ出す。あわよくば覚えを良くしておこぼれを貰おうと狙っている連中だ。
「でもさすがっすね! 至高剣ノーイ・ラーテムを五本も持ってるなんて他にはいませんよ!」
「まったくですわ。三種の至宝の残り、至聖弓ジェールピュール、至極典シトルリデンもお持ちなのはルーク様しかおりませんわ!」
「他にも八極防具も揃えているんだからさすがっすわ!」
ルークはそれらの賞賛に対し、鷹揚に頷いている。
何れも、一つで一財産築けるほどの俺からすればまったく手の届かないところにある品だ。それを、あいつは一人で幾つも持っている。
だが、何よりかにより不愉快なのが、こいつはそれを使う気が一切無いということだ。
鑑定で見れば分かるが、こいつはレベル280ちょっと。ここ一年変わっていない…どころか、五年前から5レベルも上がっていない。
三種の至宝も八極防具も、強力すぎるが故に全うに使うにはレベル制限がある。確か八極は300、至宝は400だったか?
つまり、ルークの奴は使う気も強くなる気も無いのに、世界でも有数の武防具をただ死蔵するためだけに毎日貴重な宝珠を捧げていることになる。
我らが神ヴァール・フォーズルが捧げられる宝珠に応じて武器防具などを分け与えるのは、『やがて来る終末に神と魔の最終戦争が起こるが、それに備えて人々に強くなってもらいたい』という願いの顕れらしい。それがこの体たらくでは、神様もさぞやご立腹だろう。
「じゃあ、そうすると残る未入手は…」
その間、取り巻きたちと談笑していたルークが笑って頷いた。
「ああ。伝説の【神槍、『ゲイングニュル』】だけだ。それさえ揃えば、我がコレクションは完成する!」
神槍ゲイングニュル――俺も噂にだけは聞いたことがある。
今現在、誰一人として手に入れたことのない伝説の槍。
一度振るえば山を砕き、海を割る。
無数の龍を降らせる。
金運が上昇する。
恋人ができる。
成績(…何の?)も上がる。
などなど…正直実在するかどうかすら分からない、嘘臭い伝説には事欠かないシロモノだ。
まあ、実在しようがするまいが。
「…俺にゃ関係ねーな」
天上の話しすぎて俺程度がどうこうできる筋合いではない。俺はとっくに、神の武器なんてもんは自分の人生において決して交わることの無いものとして割り切っていた。
唯一仮に手に入る可能性があるなら、宝珠をヴァール・フォーズルに捧げることだけだ。
しかし、宝珠は二種類しか手に入れる方法は無い。
一つは、国が主催する討伐依頼などの大型任務での褒章。
ただ、これは手間隙がべらぼうに掛かるので毎日は到底不可能だし、何より小さくくすんでいるのを見て判る通り質が悪いのでノーイ・ラーテムどころか八極防具すらめったに出ない。
そしてもう一つ――それは、俺たち一人ひとりに憑いている守護神からの贈り物だ。
ただ、この加護だけはそれこそ守護者によって能力がピンからキリまで変わる。俺のなんてそりゃもうしけたもんで、一度足りとて贈って貰ったことは無い。
今となっちゃこういうのは人それぞれと割り切れるようになったが、神の武器が出始めた頃はどうして俺には加護が無いのだと恨んだもんだっけ。特に、頬紅が倉庫にぶち込まれていたときはこんなもんいらんから宝珠くれよとしばらく荒れた。
ともあれ、これ以上ここにこうしていても胸糞が悪くなるばっかりで何も良いことは無い。万が一、俺を敵視して止まないルークに見つかったら厄介なことになるのは火を見るより明らかだし。
俺は小さくため息を吐いて未だつづく広場の喧騒から眼を背けると、割の良い依頼を確認すべく酒場に向かったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます