曇天
だーさひ
曇天
私は空を仰ぐ。涙が溢れないようにするためだ。ほんの数時間前に中学校の卒業式を終えたばかりで少し感傷的な気分にはなっている。が、泣きそうになっているのは別にそのためではない。今しがた物心がついた頃からの親友と別れてきた。しかしそれが理由でもない。高校が別々になるとはいえ、家が近所なのでまた会うことは少なくないだろう。
ならば私は何故泣きそうになっているのか。それは三年間片想いした女子にフラれたからである。それも綺麗さっぱりとフラれていれば、私はさっさと帰宅し、自室で思う存分咽び泣いて翌日には気持ちの整理をつけられているだろう。しかし、そうはいかなかったがために家にも帰らず近所の公園のベンチに座って空を仰ぎながら涙を堪えているのだ。何故自分がこんな所で時間を無為に過ごさなければいけないのか、矛先を向ける相手に困る怒りに駆られる。
今日のあの卒業式後の出来事は例えるなら、ねばねばした深緑色の汁を啜ったら飲めなくもない程度の味だったような、そんな微妙を微妙で割った、ただモヤモヤだけを生んだ出来事であった。
*
卒業式の後というのはラブイベントの発生率が上がるというのは周知のことと思う。特に、まだ付き合っていない者が離れ離れになる前に、という考えに大いに背中を押され、想い人にその溜めに溜めた想いの丈をぶつけ合う、というのが卒業式後によく見られる告白の傾向である。中学三年生の多くは「たとえダメでも高校入ったら離れ離れになるから気まずくないし」という保険があることをいいことに、あっちでフラれ、こっちでフラれする。そう、大抵の場合、成功率はフラれ率を下回るのである。
もう言わなくてもわかると思うが、私が今日卒業した中塚東中学三年二組でも前述したラブイベントが発生した。それもクラス全体を巻き込んでだ。
この話を語る上で最も重要になるのが、クラスのマドンナ吉野さんの存在だ。
吉野さんは、私のような肉親以外の異性からてんで見向きされない、至って平均的な男子中学生のちょうど対極に位置する存在で、老若男女を問わず人気がある向かうところ敵無しの少女である。大抵、完璧すぎる人間というのは同性から嫌がらせの標的になるものであるが、そんな噂をまるで聞かないのはひとえに吉野さんの人徳が為せる業であろう。
まさに理想を形にしたような吉野さんであるから、当然同学年の男子は大半が首ったけになっていた。何を隠そう私もそのうちの一人である。
ただ、あまりに高嶺の花であったがためにアタックする勇気の無い有象無象は、もはや花も見えない僻遠の地で極めて不毛な牽制のし合いに三年間精を出し続けた。
そしてその結果、今日を迎えるまでに吉野さんに告白をした猛者はたった二人しか現れなかった。
その二人の猛者について話しておく。
片方は小学生時代に女子からそこそこ人気があったがために自分のカリスマ性を過信してしまった質で、吉野さんによって恋心とプライドを木っ端微塵にされた数ヶ月後、そこそこ可愛い女子で手を打ったように付き合い始めた。これが吉野さんを想って悶々と恋心及び性欲を募らせていた私を含むその他大勢の男子の怒りを買ったのは至極当然のことで、彼は我々から総すかんを食らった。しかし、よくよく考えたら三年間彼女の一人も作れずに叶うはずのない片想いをしていた我々に比べるとよっぽど有意義な三年間である。
一方、もう片方の猛者は私を含むその他大勢のように異性からの人気度は最底辺の、どこにでもいる風采の上がらない漢であった。
彼は誰にも成功するなどと思われていなかったにも関わらず、何を思ったのかわざわざ大勢のギャラリーを呼び集め、放課後の教室で勝負に出た。そして案の定、丁重に木っ端微塵にされた。ただ、彼のその自ら痴態を広めていく鉄の精神が謎の評価を生み、多くのモテない男子たちから人気を得るという結果になった。別に異性からの人気は微動だにしなかった。
そんなこんなで二人の他に告白をする猛者は現れなかったのだが、遂に今日、卒業の力を借りて吉野さんに告白をした三人目の猛者が現れた。
その男の名は神山という。神山は誰もが「格好いい」と口を揃えるような万人受けする男前で、更に勉強もスポーツも何でも出来るというハイスペック人間である。そのくせ何故か異性にはとことん奥手で、なおかつ吉野さんに対して一途であったので彼女はできたことがなかった。そのことのお陰か男子とも仲が良く、「神山になら吉野さんをとられてもいい」などと色んな男子から言われていたりしていた。ただ、それは『どうせ神山は告白する勇気なんか無いから安心』という考えの裏返しであった。
そのため、神山がクラスメイトの見ている前で告白した瞬間、教室は騒然とした。同時に、あの神山でさえ勇気を出したのだから俺たちも続こう。どうせ今日で卒業なんだから記念だ。という考えが他の男子生徒の間に瞬時に広がった。その中でも神山の次、二番目に告白してやろうという中途半端な猛者は何も言わずにスッと神山の隣に歩み寄った。神山がフラれ次第、間髪入れずに告白するつもりだったのだろう。
かく言う私も三番目に告白してやろうとちゃっかり二番目の男子、大村君の隣に並んでいた。今思えば何故並んでしまったのかわからない。あんな男らしさの欠片も無い三番目というポジションで告白するのは本意ではなかったというのに。私は告白するなら背景が桜色になるような恋愛ゲーム的シチュエーションでしたいタイプなのだ。
しかし、その時の私は
『赤信号 皆で渡れば 怖くない』
といった様な不思議な集団心理によって正常な思考ができなくなっていた。
そんな時だった。吉野さんの澄んだ声で
「はい」
という返事が教室中に響き渡ったのは。
初めは何が起こったのか判然としなかったが、次第に正常な思考を回復するにつれてどうやら吉野さんも三年間、神山に対して恋心を抱き続けていたらしいことがわかってきた。まったく純愛もいいとこである。教室内に「え? 今日これでお開き?」といった空気が流れ出した時にふと目が合った、大村君のあの何とも言えない顔を私は生涯忘れないと思う。
結局、私のクラスで起きるはずだった未曾有の告白祭りは、一人の勝者と立派に散ることも許されなかった大量の敗者を生んで終わった。
*
私は空を仰ぐ。回顧しているうちにまた自分が情けなくて泣きそうになってきた。
今に思えば神山がフラれる前提になっていたのがおかしな話である。あれほど吉野さんに見合う男もそうそうおるまい。奴は非常に真面目で優しい男だ。正直に言って、私も奴になら吉野さんをとられても構わないと思っていた。だから吉野さんと付き合うことになったことへの祝いと惜別の意味を込めて、私の服に付いていたボタンというボタンをほぼ全て奴の下足箱に放り込んで帰ってきた。そして第二ボタンだけ吉野さんの下足箱に入れておいた。とても粋で気色の悪い置き土産だと自分でも思う。
いつの間にか、どんよりと重苦しい暗雲が私の頭上を覆っていた。この雲は私の心から漏れ出たモヤモヤが形になったものの様な気がしてきた。
「ええい、降るなら降れ。そうすれば雨粒が頬を伝う涙も隠してくれよう」
と、心の中で呟いてみても雨は一向に降り出さない。さすが私のモヤモヤから発生した雨雲だ。私の思う通りにはなってくれない。
それにしても、どうしてこのモヤモヤは晴れないのであろうか。もう吉野さんの気持ちは知ってしまったし、フラれたという事実も受け止めているつもりだ。やはり面と向かってフラれていないからであろうか。しかし、告白が成功したのを目の当たりにしてそのまま告白なんて出来る訳がない。全ての穴に弾が装填されているのを把握しておきながらロシアンルーレットをやるようなものだ。気が狂ったと思われて仕舞いだ。
「せめて神山より先に告白しとけばなぁ……」
せめて弾が入っているかどうか知らないうちに引き金を引いておきたかった。だがもう遅い。結果は完璧に分かってしまった。それなのに。分かっているのにその引き金に妙に魅力を感じるのは何故か。
悶々と考え事を巡らせている間にどんどん空模様が怪しくなってきた。辺りは一層暗くなり、屋根のある場所を探して駆けて行く誰かの足音が、どこからともなく聞こえてきてまた遠ざかっていった。
そして次の瞬間、辺り一帯が眩い閃光に包まれ、少し遅れて轟音が鳴り響いた。その音と同時に私はハッとして立ち上がり、自嘲的な笑みを浮べた。
ああ、そうか。ようやく分かった。結局のところ、私は告白の結果なんてものはどちらでも良くて、やはり告白がしたかったのだ。別に付き合う為にするのだけが告白じゃない。弱い自分を内側から突き破り、新たな一歩を踏み出すことこそ『告白』の真髄だ。付き合いたいと言うのではなく、ただ好きだということを、吉野さんが神山に対して三年間抱き続けた恋心にも負けないくらい強い恋心を私も抱き続けてきたんだということをキチンと伝えよう。たとえ気持ち悪いと言われても構わない。これは私が変わる為の戦いだ。
そうと決まれば急がねば。雨が降りだす前に想いを伝えるのだ。私は鞄を掴み上げ、ボタンを失った制服が風ではためくのを煩わしく思いながらも吉野さんの家に向かって全力で駆け出した。
その後、どうなったかは言うまでもないだろう。ただ、あの空を覆っていた分厚い雨雲はどこかへ行ってくれた。
了
曇天 だーさひ @morita_asa
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