第22話 目覚めともう一人の赤



 その手紙を一読したシルキの瞳から、堪えきれなかった涙の一筋が伝う。

 あれだけ泣いたのに自分はどれだけ泣くのだろう、と可笑しくなってしまう。

 それでも、その手紙の存在はシルキに言い様のない感情を連れてきた。


「……っは」

「――」


 微かな嗚咽が漏れたとき、隣で息を呑む気配がした。

 慌てて目元を拭いながらそちらを見ると、思っていた反応とは違うものが返ってきた。


「うぅ……シキがにゃいたったーっ!」


 うわーん、と叫んだシャナが涙目でシルキを見上げている。


「お?」

「シキ?」


 面白そうなガランと、疑問を抱いたレイエルを気にせず、シャナは泣きながらはっとして、小さな鞄を引き寄せた。

 ごそごそと、シャナは鞄の中から驚愕するようなものを取り出した。


「シキ、シャナとおちょろい……らからこれあげりゅ! シキとシャナとおにゃじやつらよっ」


 おろおろしながらそれ――魔石をシルキに差し出すシャナは、どうやらシルキを慰めようとしているらしかった。

 その魔石は透き通っていて、綺麗な赤い色をしている。

 差し出されて思わず受け取ったシルキは、しばらくそれを見つめてその後絶句した。

 そしてまたしばらく固まった後で、その魔石を机の上にそっと置いた。

 隣でシャナがシルキの反応を窺っていたが、シルキの視線が魔石に固定されていることに表情を明るくさせた。


「シキのめとシャナのかみ、あかいからおちょろい! あねうえ、いっとはおとろいらっていってたよ!」

「……シャナ、もう少しゆっくりしゃべろうな」

「そうだな、お揃いだな。シャナ、お前ギルバートのとこからたくさん魔石を拾ってきたみたいだな」

「うむ! たんけんしてたらみっけたのら!」


 呆れたようなレイエルが口を挟むと、シャナはきょとんとして彼を見つめていたが、ガランが笑ったことですぐに笑顔になった。

 椅子の上に立ち上がっていたシャナが、自慢するように胸を張って叫んでいる。


「はは、それは誰の真似だ?」

「本当に何でもかんでも拾ってきたのか……」

「あのねー、にょろにょろがいての、ね! シャナにょろにょろきらいっ」

「蛇? 思い切り話が飛んだな」


 むぅ、と不機嫌そうに文句を言い始めたシャナにガランが笑う。

 隣でレイエルが溜め息をついたとき、ガランは再びシルキに視線を戻した。

 困惑して彼らを見つめていたシルキに、真剣な表情で語る。


「それはお前の母が、俺に書いたものだ。お前を想い、迷惑をかけることを承知で、俺に送ってきた。手違いでそれを受け取ったのは昨夜だがな」

「……シルキ君の母親はスクナ殿なのか?」

「ああ。道理でいないはずだろう?」

「そうか……」


 訝しげにガランを見たレイエルが静かに目を伏せた。

 ガランは、同じように目を伏せてから、再びシルキに向き直る。


「それで、お前の答えは?」


 シルキはガランとレイエルを見返して、シャナを見る。

 そして、手にしていた手紙を見つめて頷いたのだった。


「――行きます。俺を連れていってください」


 そして、改めてガランとレイエルに向き直る。


「俺はまだ十一で、役に立てるわけではないと思います。でも、だから、俺は強くなりたい。今まで、自分でこの状況をどうにかしようなんて考えたこともなかった。でも、今度は、……人の考えを変えることができなくても、自分だけは自分を肯定できるように、強くなりたいです。もう二度と、何もできずに大切な人たちを失いたくはないから、前に進みたい。だから、俺を連れていってください」


 今まで以上にはっきりとした言葉に、レイエルもガランも目を細めて彼の言葉を最後まで聞いていた。

 そして、その答えと眼差しに、ガランとレイエルは笑みを浮かべたのだった。







「お菓子を取り出すのはもうダメだぞ、シャナ。さっき朝食を食べたばかりだろうに、食べ過ぎだ」

「えー! おかしシャナのだよっ」

「それはわかってるから、今はおあずけだ。――ほら、ちゃんと肩に掛けて」


 レイエルの言葉に頬を膨らませたシャナに、レイエルは鞄の紐を持ち、片手と頭をくぐらせた。

 あい、と頷いたシャナはされるがままに鞄を身に付ける。

 そして、側に立ったシルキを見て嬉しそうに笑った。

 現在の彼らは、麓の調査隊と合流しようと準備している最中だった。


「シキ! シャナがにもちゅもったげます!」

「え?」

「これ、ははうえのかばん! いっぱいはいるんらよ!」


 シャナに言われて初めて、その鞄の異常に気付いた。

 大きさと比較してもありえないほど多くのものを、シャナたちは取り出していた。


「実験的に施した空間収納魔術が成功してしまってね。大きさとか制限はあるけど、結構何でも入るんだ。……まぁ、そのおかげで、こちらとしては迷惑してるんだけど」

「便利でいいじゃないか。なぁ、シャナ」

「えへへー、シャナすごい?」

「――まぁ、必要な荷物は後で下の魔術師たちに協力してもらって持っていこう。今はいつも身に付けているものとかあったら、取っておいで」


 言われて考えてみるが、簡単に身仕度は整えたので特に持つものはない。

 しかし、シルキは机の上に置いたままのそれに気付く。

 恐る恐るその魔石を手にしたシルキに、レイエルが察したように溜め息をついた。


「……ええと、これ、を」

「ああ……それね」


 シャナはきょとんと差し出されたそれを見つめて、何故か涙目になった。


「しき、いらない……?」

「そうではなく預かっていて欲しいということだよ、シャナ。失くしてしまったら大変だろう?」


 シャナの反応を読んでいたらしいレイエルに諭されて、シャナは満面の笑みになる。


「じゃあ、シャナがもってたげりゅ!」

「それと、シキ君ではなくシルキ君だろう?」

「えー? シキはシキだよ! シャナはシャナ! それににゃんこのセスにー、よーせーのロトれすよ!」

「……いや、自己紹介をしろとは言ってないんだが」

「はっはっは! 良かったな、シャナ。家族がまた増えたな!」

「にゃんこ……?」


 いつも簡単に話が通じることのないシャナに、レイエルは溜め息をつくが、隣にいたガランが口を開いた。

 その言葉に、シャナは首を傾げてから瞳を輝かせ始める。


「シキ、かぞく? シキ、シャナのおとうとになるにょ!?」

「…………」

「まるで弟が欲しかったという反応だが、弟はもういるだろう? シルキ君の場合は兄上、だろう?」

「シャナおとうといるんらよ! あのね、ふたろ、ご、なんらって! ……で、れもね、たまにぶんれちゅするんらよっ」


 嬉しそうなシャナにシルキが何も言えずに困惑していると、レイエルが額に手を当てて溜め息をついた。

 しかし、シャナは変わらず話し続ける。途中ではっとしたように、内緒話をするかのように神妙な表情を浮かべている。


「ええと、ぶんれつ……?」

従兄弟いとこ、だろう? ジークの弟だからな」

「きっと、いたずらじゅきのゆーれーしゃんがまねっこしてるんらよっ」


 シャナはレイエルの訂正も聞こえていないようで、真面目に訴えている。


「そういえば、初めて三人並んでいるのを見たときは大騒ぎだったな」

「今もだろ。お前が訂正すればそれで済むんだがな」

「飽きなくていいだろう?」

「……はぁ」

「あにうえもいるよ! ジークも! あねうえといもうとと、ははうえと、スーリもいるの! エルもディも、ルーもいるの! じぃはねぇ、さいちょーさんなんらって! ほかにもいっぱいいるんらよ! みんなシャナのかぞくなの! らからシキとみんなもかぞくなんらよ! あー! せスとロトもらよ!」


 完全に面白がっているガランとあからさまな溜め息を吐いたレイエルを余所に、今度は満面の笑みを浮かべたシャナが、嬉しそうに人の名を挙げていく。

 その隣でシャナ曰く、“猫”のセスがなおん、と鳴いた。

 妖精のロトはシャナの頭の上で落ちそうになりながらも、花をくるくると回していた。


「さて、行くか。ルーデンスたちと合流するぞ」

「ルー?」


 仕切り直すようにガランが言うと、シャナが首を傾げた。


「ルーいるのー?」

「ああ。お前が会ったことのある奴らが下にいるんだぞ。勝手に動いたら怒られるから、合流しなければならん」

「ここにいる時点で怒られるけどな」

「ルーはまじゅ……まじょ、なんらよっ!」


 ガランは笑うが、レイエルが溜め息をついている。

 シャナが、じっと二人の会話を聞いていた後で、笑みを浮かべてシルキを振り返った。

 噛みながらも自慢するように言った彼女にシルキは困惑する。


「魔女……?」

「まほうつかうひとは、まじょ、なんらって! あねうえ、ごほんよんでくれた! ルー、いっぱいまほうちゅかうの!」

「魔女は女のことを指すんだぞ、シャナ。それも昔の呼び名だな。今は男女とも魔術師、というんだぞ」

「ちょうなの?」

「ああ、その方がかっこいいだろ?」

「うん、かこいいー!」

「……何故ガランとだと、まともに会話が成り立つんだ?」


 シャナとガランが話しているのを見ていたレイエルが、ぼそっと呟いている。

 シルキは首を傾げたが、彼は一息つくとシルキに向き直った。


「さて、そろそろ――……ガラン、誰か来るぞ」


 にこやかな表情から一転して、扉へと体を向けて剣に手をかけたレイエルは、シルキをガランたちのもとまで下がらせる。


「ん? 声がするな」


 言われてみれば、と微かに聞こえた声に耳を澄ませる。

 だんだん近づいてくるそれに、シルキは途中ではっとした。


「あ、あの、知り合い、です」

「知り合い? もしかして、お前の友人か?」

「はい。クード――クード・ゼスターです」

「……“ゼスター”?」


 ガランの問いかけに向き直って答えれば、レイエルから訝しげな声が上がった。

 しかし、そこでがん、と大きな音とともに扉を押し開けられた。

 怒鳴り声が、よりいっそうはっきりと聞こえると同時に、シルキと同じくらいの少年が姿を見せる。


「――い、シルキ! ここから逃げるぞ! はや――え?」


 外の様子を窺いつつ入ってきた少年は、家の中に視線を向けた途端、呆けたように口を開けて固まった。そして、彼らと見つめ合うこと数拍、動揺を隠さず叫んだ。


「お、お前ら誰だ!?」


 困ったようなシルキが、とりあえず落ち着かせようと動き始めた中、ガランとレイエルはその少年の首筋に視線を固定していた。

 そこには、子供の手のひらほどのあざがある。その痣は、花のような形をしていた。

 この国にしか咲かない、この国の象徴花ともいうべき雪花せつかに似た形だった。

 しかし、その色はその名の通りに白ではなく、赤かった。シャナとシルキと同じ、鮮やかな赤がそこにはあった。


「シルキ! こっちに来い!」

「クード、この人たちは――……?」


 叫ぶクードに声をかけながら近寄ろうとしたシルキは、途中で小さな抵抗にあい、首を傾げた。

 下を見れば、シルキを盾に隠れたシャナがシルキにしがみついていた。

 涙目でぷるぷる震えている彼女は、やがて叫んだ。


「っし、しき、しゃなのらから、らめ――――っ!」


「え」

「……」

「お?」


 その拙い叫びに、レイエルとシルキが驚く中、ガランが面白そうにシャナを見ていた。

 そして、ガランはクードの反応を見る。

 彼はシルキが足を止めたところでやっとシャナの存在に気付いたようで、訝しげにシルキの足元を見ていた。

 しかし、すぐにその瞳は驚愕に彩られていく。


「なっ、赤い――は……?」


 そして、タイミング良くシャナが叫んだところで、彼は首元を押さえるような仕草をした。

 彼は次の瞬間、自身の目元を伝う涙に絶句したのだった。



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