第12話 妖精に魔方陣
「――よし、休憩にするか」
「っ……はぁ、はい……」
「お前ら意外と体力あるなぁ!」
グリードの言葉に、サイラスとジークが地面に膝をつく。ジークはそのまま寝転がり、仰向けになって息を整えている。
共に訓練に混ざっていた黒騎士たちが各々一息ついている中、側に立ったアシルが感心したような声をかけてきた。
しかし、サイラスもジークも息を整えるのに精一杯で答えられない。
「やっぱり普段はここまで追い込まないか? だが、さすがに国王と王弟の子だな。筋が良い」
「グリードさん、手合わせしたことあるんすか」
「ない。団長に聞いた」
二人の会話に聞き耳を立てているサイラスたちに、グリードが苦笑した。
「俺、王様はともかく王弟の方は文官そのものに見えたけどなぁ」
「団長の話だと二人とも得意不得意の差はあれど、国軍でも上位に入るだろうって言ってたぞ」
「そうなんだ」
「それより、お前がいることの方が不思議そうだぞ」
「え、今更? 言ってなかったっけ? 俺、一応魔術師部隊にいるけど、どっちが得意かっていうとこっちなんだよね」
体を起こしたジークと座っているサイラスに、アシルは手にしていた弓を示した。どうやら彼は離れた場所で弓の練習をしていたらしい。
その終了後、彼はサイラスたちを観察していたのだ。
「――ん? シャナ、どこ行った?」
意外そうにアシルを見ていたサイラスたちに、ふと辺りを見回していたグリードが訝しげな声を上げた。
「え?」
「今度はどこ行ったんだよ、あいつ」
サイラスとジークは同じように辺りを見回した。
訓練を見学していたシャナの姿が見えないことに、慌てて立ち上がる。
しかし、探すまでもなく、それは高らかな叫びとともに姿を表した。
黒騎士城に到着して一週間目のこの日、ルーデンスは黒騎士城内の一室で、ある作業をしていた。
ルーデンスや数人の黒騎士たちの足下には円形の模様がある。円に沿って複雑な紋様が並び、それらがいくつかの円とともに中央へと描かれている。
部屋の床半分を占める程のその円陣は魔方陣――転移魔法を付与された魔方陣である。
ルーデンスは改めてその魔方陣を確認して、側の机に置いてある通信用魔道具へと話しかけた。
「こちらも準備が整いましたよ、セレグ」
それの先には自身の副官であるセレグがいる。
彼は現在、王族居住区の一室で同じ作業を行っていた。
既に別の場所での作業を終えていて、二ヶ所目を設置していた。
『さすがに二度目ともなると手早いですね』
「ええ、ここの魔術師たちは優秀です。おまけに働き者ですね。――うちのボンクラどもと違って」
『……。――ところで、どうします? こちらは個人を限定しますか?』
魔方陣の周りで疲労してはいるものの、ともに作り上げたそれの試運転を待っている黒騎士団の魔術師たちを見て、ルーデンスは頬を緩めたあとにため息をついた。
その冷ややかで険悪な表情に黒騎士たちがルーデンスを見ているが、セレグがそれを黙殺したことでルーデンスの表情は元に戻った。
「限定、ですか……。とりあえず、バカ王だけ転移不可ということにしておいて、あとは制限はしないことにしましょう。下手に制限してしまうと後々、面倒なことにもなりかねませんし。その部屋は近衛の方々に厳重に管理してもらいましょう」
『ですが、今は特に人手も少ないですし……。そちら側からの浸入を許すことはないと思いますが、近衛の方々に負担がかかりすぎるかと』
只でさえ警戒しなければならない現在、王族を守る近衛は多忙を極めている。
シャナと面識を持たせている騎士は近衛の中でも未だ多くない。
それを考慮した上での警備体制になっているのでより、負担が大きくなっているのだ。
そんな中で、黒騎士側に迷惑をかけてしまったらと、セレグは心配しているのである。
黒騎士たちが意外そうにルーデンスとセレグのその会話を聞いている。
ルーデンスはそれを気にも止めずに眉を寄せた。
「……セレグ、陛下から話を聞いていないのですか?」
『はい?』
「近衛に関しては問題はない、と今朝通信が来ましたよ」
『……今朝? そういえば、師長が呼び出されて行ったはいいものの、陛下には会えずじまいだったと……』
「呼び出しといて姿を消すなんて、相変わらず最低ですね。――まぁ、それは置いておくとしてこれで問題はないですね」
『ええ、では――『セレグ殿!』――え?』
溜め息をついただろうセレグに、ルーデンスは冷ややかに国王を批難する。その後で気を取り直して、魔方陣の試運転へと進もうとした。
しかし、それは通信魔道具の先で、突如介入した声に遮られた。
声の主は王弟、エルトのようだった。
ルーデンスは彼の用件を予想して、溜め息をついた。
『バ――兄上が来てませんか!?』
『陛下、ですか。今日はお会いしてませんねぇ』
『もう一方の転移魔方陣のところには現れたらしいんですが――まさか、すでに向こうに!?』
「あちらは接続を解除してきたので使用できませんよ、エルト。念のため、と停止してきて正解でしたね」
『ルーデンス殿? じゃあ、兄上はどこに? ――失礼、お邪魔してしまって申し訳ありませんでした。別のところを探してみます』
息をついて無理矢理気持ちを落ち着かせたエルトは足早に出ていったらしい。セレグが慰めの言葉をかけていたのを聞きながら、ルーデンスは再び溜め息をつくのだった。
「さて、嫌な予感がするのでさっさと終わらせましょうか」
『……そうですね』
「とりあえず、誰でも行き来できるのは確かに避けたいので、何か鍵となる言葉を組み込んでおきますか。シャナでも覚えられて、もう一人見送る側との合図を」
『ああ、なるほど。ですが、シャナ様でも覚えられる、ですか……。いくらなんでも、忘れはしないのでは?』
「いいえ、注意力のないシャナですから、簡単に抜けるんですよ。まったく……周りを見ているようでまったく見ていないんですから。よくあれで、生活できるもの――」
「ルー!!」
眉を寄せて続きを促したルーデンスにセレグが向こう側で苦笑する。しかし、ルーデンスは呆れたように話を続けた。
それにその場に居合わせた黒騎士たちが、シャナの姿を思い浮かべ苦笑していると、その彼女が勢いよく開いた扉から姿を現した。
とても上機嫌なシャナはそのままルーデンスめがけて走ってくる。傍には白虎のセスが並走していた。
「みてみてー!! シャナようちぇーみちゅけたったの――――」
そして、驚愕に彩られる空気の中、叫びの余韻を残して、シャナの姿は魔方陣の上でかき消えた。
時は少し戻り、黒騎士たちの訓練場――。
「ふきゃああああああ――――――!!」
歓喜をこれでもかと乗せた高らかな叫び声が辺りを満たす。
そして、森の方からシャナが姿を現した。
すっかりシャナと仲良くなった白虎のセスが、シャナの隣りを小さな姿で走っている。
ゆっくりとだが縮まる距離に、黒騎士たちは苦笑しつつも、シャナを待った。
「今度はなんだ?」
「いつもああやって叫ぶの?」
「うん。うれしいときとかはいつもあれ」
「わかりやすいよね」
「……おい、なんか上に浮いてるぞ」
「え?」
面白そうにシャナを見るグリードやアシルに、ジークが頷く。
サイラスも苦笑しながらそう返せば、黒騎士の一人が
全員がその視線の先を見て、首を傾げた。
それは、浮いていた。
「アシアシ、ようてーみちゅけたー!!」
シャナが叫びながら走ってきたところで、アシルははっとした。
「マジか! あれが妖精!?」
「その距離はなんだ?」
十歩ほど離れた場所で立ち止まったシャナにグリードが笑うが、アシルもシャナもそれどころではなかった。
「ここ! ――あれー?」
自身の肩を示したシャナはすぐに首を傾げた。
「セスっようていたんいなくなったったっ!?」
「シャナ、上だよ?」
ショックを受けたように傍らにいたセスに訊いたシャナに、サイラスが声をかけた。
シャナは理解して上を向こうとするが、
「あー、みっけー!」
シャナの頭よりも少しばかり小さなそれは、森の緑を写し取ったかのように落ち着いた色合いで、人形のような姿をしていた。手には一本の花を持っている。
「その花で風に乗って飛んでいたのか?」
「これが、妖精?」
「お前、妖精見たことなかったの?」
「なんの妖精だ?」
空を飛んでシャナの後を追いかけてきたらしいその妖精は、注目を受けて手にしていた花を左右に揺らしている。
シャナが妖精の姿を見ようと頭を揺らしているが、妖精は気にせずシャナの頭の上で座っている。
その時、新たな気配がその場に現れた。
「あら、その子にも気に入られちゃったの?」
「あー、ムーム! ろこいってたのー?」
「愛しい子に呼ばれたの!」
水精霊の姿にシャナは笑みを見せつつ、途中ではっとした。
「あー! ルーにとうこくっ!」
「ちょっと、話聞いてよっ!」
「報告?」
そうして、再び走り出そうとしたシャナは、改めて視界に入った人物に固まった。
「お?」
「なんでグリードさん見て固まるんだよ、シャナは」
「警戒してるみたいじゃないけど、なんでだろうね?」
「腹黒さに引いてんだな」
「お前ね……」
シャナと目が合ったグリードが、面白そうに見返すと、シャナはジークたちの会話にも気付かずに、慌てていたが、やがて、勇気を振り絞ったかのように叫んだ。
「と、と、っとちゅれきーっ!!」
そして、グリード目掛けて走り出せば、頭上にいた妖精は浮き上がり、セスもまた走り出す。
挑むようなシャナに、誰もが先を予想して、溜め息をついている。
そしてその後、シャナは皆の予想通りに、軌道修正して逃げるように走り去るのだった。
時は現在、見慣れた少女の姿が消え、その場に残ったのは、休憩していた黒騎士たちとルーデンス。
――そして、見慣れぬ緑の生き物。
ふわふわと浮かぶその生き物は、まるでシャナの姿を探すように、魔方陣の上を行ったり来たりしている。
誰もがその生き物に気を取られていたとき、通信用の魔道具から驚愕の声が響いてきた。
『シャナ様!?』
『あー、セーグ! セーグもあちょびにきたのー?』
『……ええと、――え』
まるで状況を理解していないシャナの言葉にセレグが困惑している。
しかし、それは再び驚愕の色に染まる。
そして、
「……? ――に”ゃあああ――――! セーグがルーになったったっ!?」
ルーデンスと目が合ったシャナがそう叫んだ。
そして、再びシャナの姿はかき消えた。
「こんじょはルーがセーグになったった――――っ!!」
再び現れたシャナはそう言葉を残して再び消えた。
そして、あちら側でも同じような叫びが響いている。
それを幾度か繰り返した後、その場にいた面々は我に返った。
「……ど、どういうことでしょうか、セレグ様?」
ルーデンスの隊に属する魔術師、ミラリア・レガリスが、代表するようにセレグに声をかけてきた。
十数人の隊長を筆頭に数部隊に分かれる魔術師団の中でも、ルーデンスの部隊は全員がシャナと面識がある。
そして、元より魔法、魔術的、または精霊や妖精、人ならざるものに関心の高い魔術師たちだ。
シャナに紹介された時より、この者たちは、シャナの味方となった。
騎士団も同じような構成であり、ディセイドの部隊もまた、シャナの味方であると言っていい。
こちらはほとんどが王となる前のガランを慕っている者たちなのだが、シャナとの相性も良かったようで、振り回されながらもシャナを守ろうとしてくれていた。
現在、ここにいる騎士、魔術師はその隊の者たちだ。
騎士たちは先程から繰り返されるシャナの奇行に肩を震わせている。
魔術師たちは興味深いものを見て目を輝かせていた。
そんな中、使い物にならなそうな先輩たちを見たミラリアが困惑したようにセレグに声をかけてきたのだった。
基本的にルーデンスほど厳しいわけではないセレグは、仲間たちの様子を見て、溜め息をつくだけに留めた。
「……どうやら、あの神獣――白虎の仕業のようですね。それにしても、あちらは妖精のようですが、初めて見る種ですね」
「……神獣!?」
セレグの言葉に驚きの声を上げたミラリアに、仲間たちが即座に反応する。
「本物!?」
「まさか一週間前の雷って……」
「白虎って、うそだろ!」
しかし、セレグの思考は二度目以降のシャナの転移から姿を見せた緑の生き物だった。
そして、たっぷり五往復しただろうタイミングで、シャナの訪れは途絶えたのだった。
魔方陣の上で座っている白虎の尻尾が床に触れる度に消えては戻ってくる、その小さな一行は、ルーデンスが手を鳴らしたことでやっと落ち着きを見せた。
「セスにまで遊ばれるなんて、情けないですねぇ、シャナ。注意力が無さすぎですよ」
「……?」
あまりの混乱から涙目になってルーデンスを見上げたシャナが、首を傾げている。
「っ、は、腹いてぇ……っ」
「どんだけ鈍いんだよ、シャナ……っ」
周りで黒騎士たちが肩を震わせてうずくまっている。
そんな中、その場に一番の笑い声が響いた。
「あっはっは! また面白い遊びだな、シャナ!」
「――あー、ちちうえー!!」
途中から平然と魔方陣の上の立っていたその人物に、ルーデンスは顔をしかめている。
「まったく……。――セレグ」
『すみません、ルーデンス。いらしたのは気付いていたのですが、止める間もなく混ざってしまって……』
シャナたち――正確には白虎――の遊戯に気を取られていた中、途中で国王ガランが室内に現れたことにセレグと騎士たちは気付いていた。
しかし、
本当に止める間もなく自然と魔方陣の中に入ってしまったのである。
本来なら起動中、またはその前後に魔方陣に触れるのは危険な行為である。
しかし、この国王はそういうことを平然としてしまう――というより、危険か安全かを判断する能力が高い。その安全である一瞬にさっさと身をねじ込ませたのである。
「まぁ、セスがシャナの身内に気付かないわけがないですからね。まったく警戒を見せませんし」
「ちちうえもあちょびにきたの? ちゃっきセーグもいたったの! ちょしたら、セーグ、ルーになったったの! れもまたもろったの! ルーとセーグはおんにゃじしと……?」
「面白い発想だな、シャナ」
シャナがおろおろしながら父ガランに説明しているが、言いながらよくわからなくなったのか、首を傾げている。
ルーデンスは溜め息をついて、シャナたちの元へと寄っていく。
「シャナ、下をよく見てください。これは離れた場所に移動するための魔法を、簡単にできるようにしたものです。シャナは今、王宮に行ってこちらに帰ってきたのですよ」
「瞬間移動だ、シャナ」
「しゅんかんいろう? ――あー! あねうえ、とんれくっていってた! とーいとこにばびゅんてとんれくって!」
「まさしくそれだな!」
「れもシャナとんれない……」
「なに、そのうち飛べるようになるさ」
「ほんとっ!?」
わーい、と喜ぶシャナを見て、ルーデンスは溜め息をつくとガランを見て、眉を寄せた。
「エルトが探していましたよ、陛下」
「はは、息抜きくらい許せ!」
「朝からこれまで息抜きですか。ずいぶん長い息抜きですね。――まぁいいです。来てしまったものは仕方ありません」
「ちちうえ! みてみてー! シャナようていたんみつけったった!」
小言を繰り返すかと思われたルーデンスが、早々に思考を切り替えたことに驚きながらもガランはすぐに納得した。
シャナの頭の上に乗っている謎の生き物にルーデンスの視線は向かっている。
「見たことのない種ですねぇ。見た感じでは植物――花を持ってるので花精の一種でしょうか」
ルーデンスがそう言えば、その生き物――妖精は、手にしていた花を掲げた。
「ロトロトはおはなのようてーなんらって!」
「ロトというのか。よろしくな」
「セスはセスらよ!」
「白虎はセスか。よろしくな!」
ガランが笑えば、妖精ロトは花をくるくる回し、白虎セスは尻尾を揺らしたのだった。
ルーデンスは何かが釈然としないまま、けれど今さら気にしても仕方がないとばかりに頭を振って、暢気なその親子に溜め息をつくのだった。
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