第5話 準備?
「これみょってく!」
「それは必要ないよ?」
「じゃあこれは?」
「それもいらないかな?」
「かな、じゃなくていらないから。シャナ、もう準備は終わったんだって」
「えぇー」
「えーじゃない。椅子なんていらないし、花だっていらない。宝物だって持ち歩くものじゃないだろ」
「シャナ、ひつようなものは馬車にのってるから、これは置いていこう?」
「……ぜんぶ?」
「母上にいただいたおやつだけ持っていけばいいよ」
「――おやちゅ! ははうえこれにいれてくれた!」
「はいはい。じゃ、ささっと馬車にのって出発するぞー」
「あーい!」
サイラスとジーク、そしてシャナが居住区の一室で顔を合わせている。
初めての外出をするシャナの旅支度に付き合っていたサイラスとジークはそっと溜め息をついた。
そもそもの事の始まりは昨日、準備が整ったので明日出発するという報せを受けた時である。“準備”という言葉のみを受け取ったシャナに言葉の意味を教えてしまったために、彼女は新たな試みを始めてしまったのである。
昨日に続いてあれもこれもとそこら中の物を持ち出してはサイラスとジークに止められるという行動を繰り返しているのだ。
そして、出発直前になってやっと彼らは解放されたのだった。
目を輝かせて小さな肩掛け鞄を大切そうに身に付けたシャナがジークに続いて歩き出す。
レスティアのお手製のその鞄には、彼女が非常食にとお菓子を詰めていた。シャナ専用のおやつ鞄なのである。
「おれたちは西門からでるんだぞ。いくら人払いしてあるっていっても静かにな、シャナ」
「うんっ――あー! じぃにいってきましゅしてくりゅ!」
「さっきしただろ! 毎日毎日、何回すれば気がすむんだよ!」
「えー?」
「えーじゃない!」
初めての外出にすっかり興奮したシャナは何度も身近な人間に“いってきます”を告げている。
サイラスが二人の会話に溜め息をついた。
「……シャナ、早く行かないと置いてかれちゃうよ?」
「っやだ! シャナおでかけしゅる! ――あにうえ、ジークはやくー!」
慌てたシャナがジークも追い越して走り始める。そして、途中で振り返るとサイラスたちを急かして再び踵を返すのだった。
「くろちゃんあれにゃにー?」
「あれはオレリア学園だ。子供らが勉強しに行くところだぞ」
「くろちゃん……」
「ぶふっ」
「サラリア王女が通っている学校ですよ、シャナ」
「サイラスとジークも通う予定だろ?」
補足するようにルーデンスが言うと、ギルバートはサイラスたちに問う。彼らはそれに頷いている。
王城の西門を出て、シャナたちを含む黒騎士一行はしばらく南下した。途中、もう一つの幌馬車と合流し、二つの幌馬車は西の森へと走り始めた。
そんな中、郊外にあり西の森に程近い場所に佇む大きな建物に気づいたシャナが疑問の声を上げた。
現在のシャナはルーデンスの魔法により髪と瞳の色を赤と青銀から、ごくありふれた濃茶へと変えている。サイラスとジークも同様の魔法をかけられているのでいつも以上に兄弟のように見えていた。
“くろちゃん”ことギルバートは身を乗り出しかねないシャナを見る。同乗している黒騎士たちが後ろで笑っているが気にしていなかった。
「まぁ、初等部と中等部はもっと街側ですがね。あれは高等部――十五歳以上の子達が通ってるんですよ。魔法や魔術、武術、薬学など色々なことを学んでいるんです」
「俺たちも通ってたな。カテルと副団長殿たちは同級だ」
「え……?」
ギルバートの思いがけない言葉に反応したのはサイラスとジークだった。
シャナはギルバートが呼んだカテルという女性と目が合ったとたんにルーデンスの後ろに隠れている。
カテルはそれに苦笑するとサイラスたちを見た。
「学園から黒騎士へってのは何も珍しいことじゃないさ。国立ではあるがその後の進む道は自由だからね。情報統制だってほとんどしてないから、学園で学んだことを故郷に持ち帰って故郷の発展に役立たせる奴もいるよ」
「それでも当時は黒騎士になる人間は多くありませんでしたけどね」
さばさばした口調で肩を竦めたカテルに、ルーデンスが溜め息をついている。
「多くなった原因はまず間違いなく、陛下たちが高等部に上がってきたことですね。――ああ、陛下を避けてというわけではありませんよ」
「ほとんど交流がなかった国と黒騎士を繋いだのは今の国王だからね。より自由に先を選べるようになったんだよ」
「つないだ?」
サイラスが首を傾げた。
傭兵という、依頼内容と報酬が見合えば国の仕事さえも受けていた黒騎士団は、それまでも国との関係を築いていたと聞いていた。
「俺たち黒騎士はいつだって強欲な貴族や他国に狙われてたからな。この国の先々代の王は土地を与えてくれた上、不可侵という取り決めをしてくれたがそれは王族だけのことだった」
「ちょっかいを出す人間ってものはどこにでもいるのさ。だから黒騎士の大半が貴族を嫌ってた」
「それを陛下は逆に利用して、王族に反意を持っていた――いえ、民を蔑ろにしていた貴族を排除したんです」
「まぁ聞くところによると、高等部に上がるまではあいつ自身相当荒んでたらしいがな」
最後のギルバートの言葉にはルーデンスが溜め息をついた。
「かなり近寄りがたい空気を纏ってましたねぇ」
「そうなの?」
「今とぜんぜん結びつかないけど?」
「ええ。王子としては優秀でしたが、どこか孤立してましたね。まともに行動を共に出来るのはエルトとレイエル殿だけでしたから」
「父さん?」
「エルトは周りに何を言われても、兄上を信じていましたからね」
サイラスとジークが問えば、ルーデンスは苦笑してそう言った。
周りと距離を置きたがる第一王子を問題視する者は少なくなかった。王は次代国王はガランだと意を変えることはなかったが、周りには確かにそれに難色を示す者もいたのだった。
そうなれば当然彼らの矛先はエルトへと向き、エルトに接触する者たちは絶えなかったと聞く。
しかし、エルトは何故か兄に恭順を示し、絶大な信頼を寄せていたらしい。
「あいつらも大概不思議な兄弟だな」
「そうですね」
「……ルーたちは何でか知らないの?」
ニヤリと笑うギルバートにルーデンスは溜め息をついている。そして、サイラスの口から出てきた疑問にわずかに驚いた様子で彼を見た。
「……ああ、言ってませんでしたね。私たちは陛下が高等部に上がってきてからしか行動を共にしていないんですよ。それ以前のことが聞きたければレイエル殿に聞くといいでしょうね。彼だけは幼い頃から二人の側にいましたから」
「まぁともかく、そこで黒騎士団の次期団長てのが決まってたギルバートとも顔を合わせることになって、利害が一致していろいろやらかしてくれたおかげで、黒騎士たちはより自由になった」
「自由……」
現在のこの国は比較的身分による差別が少ない。
先王やガランたちの努力あってか、身分を重要視して民に貧困の種を撒いていた貴族たちはそのほとんどが没落していった。
そして、ガランの行動は多くの貴族の子弟たちを動かした。
同時期に学園に滞在していた彼らは皆、優秀だが人を寄せ付けないということ以外耳にしなかった第一王子の変わりように戸惑いを隠せなかった。
しかし、それ以上に彼らの心を占めたのは第一王子の中に見た、次代王の姿だったのだ。
それから、彼らはガランの手足となるべく己を磨き、時に協力し、時に巻き込まれ、時に散々な目に遭い、苦楽をともにしてきたのだ。
だからこそ、彼らの学年と在籍期間が被っていた人間は、ほとんどがガランに対して絶大な信頼を寄せているのだ。
「あたしも巻き込まれた口だからね。ガランの人柄も知ってる。国に仕えるのもありかな、とも思った。――けどやっぱり、貴族の中にいたくなかったんだ。だからあたしは黒騎士になったんだ」
「…………」
「でも、黒騎士団は団長至上主義、なんですよね?」
「団長至上主義っていっても何でもかんでも命令を聞くわけじゃないよ。国内に故郷を持つ奴らだっているからね。そういう奴らが家族や故郷を捨てざるを得ないような命令には従えない。あたしらにだってそれぞれ、誇りや守りたいものがあるからね」
カテルの言葉は不思議とサイラスたちの心に響いていた。
「とは言ってもあたしらは傭兵みたいなもんだからね。仕事を依頼されて報酬が見合えば仕事を受けるけど、もし途中で命の危険があればすぐに身を引くよ。逆に守りたいものが守れるならなんだってやる。――周りからは誠実に見えないかもしれないけど、それが黒騎士なんだ。まぁ、今の団長を見たらかなり胡散臭く思えるかもしれないけどね」
「おかげで厄介な仕事は来なくなっただろう?」
はっはっは、と豪快に笑うギルバートに、カテルもルーデンスも溜め息をついたのだった。
そして、そこへ放たれるシャナの間の抜けた言葉とともに、彼らの愉快な“おでかけ”が始まるのだった。
「ねールー! おにゃかしゅいたー!」
ちりんちりん、と軽やかな音が跳ねていく。同時にやや高めの聞き心地の良い声がこれまた軽やかに紡がれている。
「にゃんにゃんにゃーん!」
「シャナ、遠くに行かないように」
「にゃー!」
ご機嫌にどこからか拾ってきた木の棒を振り上げているシャナに、ルーデンスが声をかけると肯定するように返事が返ってくる。
シャナの側をサイラスとジークが見張るように付いている。
「シャナ、何したいの?」
「にゃにゃにゃー!」
「シャナ、にゃーにゃーうるさい。それにその鈴なんだよ?」
「に″ゃー!」
「ふりまわすなっ!」
同じ言葉を叫ぶシャナに、ジークが鞄に着けている小さな鈴を見て首を傾げている。
しかし、シャナはうるさいという言葉に反応を示しただけである。
シャナが動く度に鞄に取り付けられた鈴が跳ねている。
会話にならないシャナにサイラスが戸惑う中、ジークは木の棒を向けられて憤慨していた。
少し離れたところでは、大人たちが夜営の準備を終えて休息を取っている。
時刻は昼過ぎという夜営の準備をするには早すぎる時間帯だが、この先の夜営できる場所が離れすぎているため今日はここで一夜を明かすことになったのだ。
「猫が好きなんすか?」
微笑ましげにシャナ達を見ていたルーデンスに、黒騎士の一人――アシルがそう訊いてきた。
ルーデンスは肩を竦めて苦笑する。
「どちらかと言えば好きみたいですよ」
「普段はそうでもないのかい?」
「動物全般、見つけると近寄っていきますけどね。執着することはないですね」
「じゃあ、ただ機嫌がいいってだけ?」
不思議そうにカテルが問うと、ルーデンスは頷いた。アシルもまた不思議そうにシャナを見ている。
しかし、彼らは次いで呟かれたルーデンスの言葉に首をかしげることになる。
「機嫌はいいですね。ですが、理由が理由ですがね。なんでも、これから捕まえるらしいですよ。――猫と妖精を、ね」
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