押し花

輪円桃丸

いちまいめ

穏やかな春、森の小道。鳥が囁く昼下がり。車輪をからからと回しながら、荷馬車は無惨に横倒しにされていた。

馬が嘶いて土を踏む。青年は血だまりに突っ伏した死骸から財布を抜き取って中身を確かめた。

「ちっ、ハズレか」

掌の上で逆さにした財布から、少々の硬貨と塵が落ちる。青年は空になった財布を投げ捨てると、荷馬車を調べていた中年たちに声をかけた。

「なんかいいもんあったか」

「おお兄貴、これなんですがね」

長顎の男が手招きする。青年が近づくと、荷馬車の影から細い足が飛び出て男を蹴りつけた。

「痛えな、大人しくしやがれ」

「……んだよガキじゃねえか」

「いやそれが、いてっ、珍しい色してますぜ」

長顎が暴れる足を捕まえ損ねて再び蹴られる。青年は腕を掴まれ吊り上げられている子供をまじまじと見た。

歳は十までいかないだろうか。無造作に切られた短い髪が、灰でも白でもなく銀に輝いている。ぼろ布を纏った体は痩せているが、さして弱っているわけでもなさそうだ。暴れて動くたびに重い音をたてて枷が揺れる。青の強い紫色の瞳が必死にこちらを睨んでいた。

「確かに髪も目も高値がつきそうだな。競売に行く馬車か」

「銀髪ってぇと隣国の王族じゃありやせんか?だったらそこらの物より価値がありやすぜ」

荷を片っ端から開けていた髭面の男が木箱の影から顔だけを出す。王族という言葉に反応して、子供は宙に浮く体を捻って髭面のほうに向いた。

「王族なんかしらねーって言ってるだろ!」

急に怒鳴られた髭面が肩を竦める。子供はきっ、と青年のほうに向き直ると、仔犬が威嚇するように睨みつけた。

「とっとと離せよ!」

「あ?立場を分かってねぇなてめえ」

「うるせー、気に入らないならころせよ悪党!」

「はっ、生意気言いやがる、あいてっ」

長顎が脇腹を蹴られるのを横目に、青年は改めて子供を眺めた。口が悪く五月蝿いが、顔立ちは悪くない。

「そうだな……」

青年は考えると、未だこちらを睨む子供から唐突にぼろ布を剥ぎ取った。

「「あ」」

髭面と長顎が同時に声を上げる。なにも纏わぬ姿となった子供は、目を見開いて顔を真っ赤にした。

「なっ、なにすんだへんたい!」

「女か。決まりだな」

「ふざけんな返せ!」

「なんでえ、てっきり小僧かと思ったぜ」

身をよじって喚く子供を眺めながら髭面が言う。

「飼うんですかい?」

「ああ。それなりに使い道はあんだろ」

「いいから返せへんたい!」

「うるせえな、んなちんちくりん見たってなにも感じやしねえよ」

青年は布を子供に適当に巻きつけると手を打った。羽を休めていた鳥が驚いて飛び立つ。

「このガキと、あとはそっちの荷だな。馬に乗せてずらかるぜ」

「へーい」

男二人が返事をし、子供は荷物と共に馬に括りつけられた。まだなにか喚くのを轡で黙らせると、青年達は倒れた荷馬車と御者を置いて小道の脇に消えた。


「どうした?食えよ」

青年は椅子の背もたれに体重を預けながら言った。向かいには子供が座り、二人の間には豪華とは言えないが十分な量の食事が用意されている。子供は皿に盛られた肉料理を見つめながら唾を飲み込んだ。

「い、いらねー」

「腹減ってんだろ?意地張んなよ」

「腹なんかへってな、」

反論を遮って腹の虫が響く。青年が吹き出すように笑うと、子供は赤面して恨めしげに自分の腹を睨んだ。青年はその様子を眺めて肩を揺らすと紫煙を吐き出した。

「お前うちに置いてやるよ」

「なんだよ急に」

「また市場に戻るのは嫌だろ?」

「そんなこと言っておまえらもおれを売り飛ばすんだろ」

「も?何度もそんなことあったのかい」

ぐっと子供が黙る。青年からそらした瞳が暗く陰って、膝の上の拳が強く握られた。

「……うちのこにしてあげるとか、なかよくしようとか言って、でもみんなきもちわるいことするんだ。あきたらまた売られて、その、くりかえし」

「生粋の奴隷ってやつか。じゃあ相当仕込まれてんだろうな」

「……っ」

俯く子供の体が強張る。青年はそれを見ないふりして、グラスに注いだ果実酒を飲み干した。

「俺はお前みたいなのは趣味じゃねえよ。せめてあと五、六年は経たなきゃな」

青年の言葉に子供が複雑な表情を見せる。

「貴族が嫌いか」

「……きらいだ、だいっきらい」

恨めしげに子供は呻いた。青年はにやりと笑った。

「俺もだ」

「?」

「デカイ顔して贅沢して、庶民をゴミと同じように扱いやがる。胸糞悪いクズ共だ。俺も大っ嫌いだね」

忌々しげに吐き捨てる。子供は意図が掴めない様子でただ青年を見つめた。

「まあ食えよ」

「……」

子供は訝しげに青年の顔を眺めたあと、おずおずとテーブルのフォークに手を伸ばした。

「飯食うときは『いただきます』っつーんだぜ」

意地悪く口角をあげる青年の言葉に子供がむっとする。

「そのくらい知ってる」

青年はおどけて肩を竦めた。

「……いただき、ます」

「おう」

料理を小さな口に頬張る。子供の表情が少し明るくなった。そのまま、黙々と食べ続ける。

青年はその様子を眺めながら、空になっていたグラスに再び果実酒を注いだ。


「名前は?」

満足げに手の甲で口を拭う子供に手巾を投げ渡しながら青年は尋ねた。

「えっと、リリス」

「はっ、ずいぶん可愛らしいじゃねぇか」

「その前がアンジェ、もっと前はペチュニア、カリン」

つらつらといくつもの名を並べる子供に青年の動きが止まる。

「そりゃ買ったやつがつけた名前だろ。ほんとのお前のだよ」

「覚えてない」

子供はくるくると手巾を回しながら口を尖らせた。

「親の顔だってしらねーもん、覚えてるわけない」

そう言って寂しそうな顔をする。

青年は食器を水桶に沈めて、短く溜息すると手を振って水気を払った。

「じゃあ適当につけてやるよ、俺が」

「別にさっき言った中のでいいだろ」

「何にしようか……」

「おい聞けよ」

睨む子供をよそに青年は家の中を見渡した。質素な土壁、歪んだ椅子、戸が外れた棚、傷だらけの窓硝子、その向こうに見える蔓の這う土塀。

「お、じゃああれだ、『クレナ』にしよう」

「クレナ?」

「見ろよ」

青年が窓際に手招きするので、子供はしぶしぶ椅子を飛び降りた。埃の被った窓枠に掴まって背伸びする。

「あの花、知ってるか」

壁にもたれ掛かって青年が指を指す。奔放に伸びる蔓の中に青紫の花が咲いていた。

「しらねー」

「あれはクレマチスってんだ。お前の目と同じ色だろ」

「ふーん……」

「名前の最後に『ナ』を付けんのはお嬢さんって意味だぜ。お前は『クレマチスのお嬢さん』ってわけだ」

青年は説明しながらその内容と子供の見た目の差異に吹き出した。

「お嬢さんって面じゃねぇけどな」

「う、うるせーよ」

「一番愛想振りまく歳じゃねぇか。なんでそんな散切りで粗暴な口きくんだよ」

「これはてきとうに切ったんだよ。あいつらこの髪がいいっていうから、ちょっと、こまらせてやろうと思って」

「だから殴られた痣があるのかい。しょうもねぇな」

「うぐぐ」

子供が怒って唸るが、大した意味がないことは自覚しているようで反論はしなかった。

「……おれが女らしくしてたらあいつらがよろこぶだけだし、それははらたつから」

「まあ、意地ってのは大事だわな」

青年は軽い口調で肯定すると、よし、と壁から体を起こして子供の背中を叩いた。

「今日からお前はクレナだ。いいな」

「……おう」

「おっと、そういや名乗ってなかったか。俺はジェスター、お前の言う通り悪党だ」

片目を眇めて青年は悪い顔をしてみせた。

「殺しに盗み、なんでもやるぜ。お前も今日からその一員だ、覚悟しときな」

「はあ?やだよ、なんでおれがそんなこと」

「ただで飯食わせるほど優しくないんでな」

「なっ、だっておまえが食えって!」

「言ったが奢りとは言ってねえなぁ」

「〜〜っ!」

「はっはっは」

地団駄を踏むしかない子供に青年が高笑いする。青年は悔しさで顔を赤くする子供の頭を掴むと、屈んで目線を合わせた。

「いきなり刃物持たせたりはしねぇよ。新入りは雑用からと決まってら」

睨む子供の頭を強引に回し、視線を水桶に向ける。

「まずは皿洗いな」

青年がにっこりと笑う。

「うぐ、ぐ」

「嫌ならさっき食べた飯の分、返してもらうぜ?」

「くそ、吐いてやる」

「馬鹿言ってんなよ。とっととやりな」

後頭部を粗雑に押し出されよろける。子供は不満たっぷりな顔で青年に舌を出し、今度は背中をどつかれようやく桶に向き合った。


ジェスターが煙管を掃除し、クレナが油汚れに苦戦していると、薄汚れたドアを勢いよく開けて髭面と長顎が入ってきた。

「上手いこと捌けやしたぜ」

髭面が得意げに小袋を掲げてみせる。

「ほお、割りかし金になったな」

「どうやらあの荷馬車、結構な貴族のもんだったようで」

硬貨をテーブルに積みなにやら計算をする男達をクレナは面白くなさそうに眺めた。おろそかになった手が滑って目元に水滴が飛ぶ。

「つめてっ」

「ん?早速働いてるたぁ殊勝だな」

長顎が大きな体を屈めてクレナをのぞき込む。クレナは口をいの形にして長顎を威嚇した。

「ほ、我の強いガキですぜ兄貴」

「子犬の威嚇なんざ可愛いもんだ。クレナってんだ、適当に構ってやれよ」

「へい。おい、これから掃除洗濯頼むぜ」

にやつく長顎に睨みだけを返す。長顎は体を揺らすと顔を覆うほどの大きな手でクレナの頭を掻き回した。ただでさえ無造作な髪が鳥の巣のようになる。

「そうむくれんなよ。おれぁオーグスってんだ。そのひょろい体みっちり鍛えてやっから楽しみにしてな」

そう言って前歯の欠けた口で笑った。

「そんじゃあ、あっしはスリの仕方でも教えてやりやしょうかね。『かげろうのピエール』たぁあっしのことだ、覚えときなガキ」

 髭面が片目を瞑って鼻を鳴らした。

「そんな通り名聞いたことねぇな」

「てめえの覚えが悪いんだろ」

「俺も初耳だな」

「ええっ、酷いでさぁ兄貴」

三人は仲が良さそうに笑いあった。クレナはそれに疎外感を感じながら、ようやく洗い終わった食器を棚に並べた。

「お、終わったか」

「やってやったよっ」

「はっ、ごくろうさん。ちょっと来な」

クレナがわざとゆっくり歩いてテーブルの側に行くと、ジェスターはクレナの手を持ち上げてその掌に硬貨を一枚乗せた。

「これは今回のお前の取り分だ。別にお前は何も働いちゃいねぇが、餞別だ、取っときな」

「とりぶん……」

「よかったなガキ、小遣い貰えてよ」

「……おれの金」

「ああ。パンのひとつくらいは買えるな」

大した額ではないということだ。それでもクレナは初めて貰ったらしい小遣いに喜んだようだった。

「暮らしてく金は立て替えとくから、お前は雑用で返しな。今回みたいに儲けが出りゃまた少しは恵んでやるよ」

「おれが、おまえらみたいにどろぼうしたら?」

「その分だけ取り分が増えるさ。まだまだ無理だろうがな」

「……!おれ、スリ覚えてやるよ」

「なんで上から目線だよ」

ジェスターが呆れた声を出す。クレナはあまり聞いていない風に、手の中の硬貨をじっくりと眺めた。

「へへ、嬉しそうな顔しやがって」

長顎がもう一度クレナの頭を掻き回した。

くしゃくしゃになった銀髪に、落ちる日の色が輝いていた。

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