夕日が沈んだら鐘が鳴る。

逢津翠

夕日が沈んだら鐘が鳴る。

 太陽が沈み始めた。

 美しい火の玉が少しずつ消えていくその光景は、見ている者に変な焦燥感を感じさせた。少しずつ時間が削られていく。この大切な瞬間が壊れてしまいそうな気がして、私は夕日から目を逸らした。

 本当は時間って削られるものじゃなくて重なるものなのかもしれない。でも積み上げれば積み上げる程崩れやすくなるのは、コインタワーだけじゃない。時間とて例外ではないと、私は思う。

 重ねれば削れる。積み上げると崩れる。この妙な均衡が保たれることで、時間は一定の速度で、そして着実に進んでいくのだろう。


「そろそろ、お別れの時間だね」

 隣を歩く彼に向かって、私はふざけた口調でそう言った。

「お前はシンデレラかっつーの」

 彼は笑う。今日は彼との初めてのデート。ちょっと緊張したけど、楽しかった。


「太陽で別れ。シンデレラっていうよりメロスじゃない?」

 彼は優しい人で…、そういえば優しいはイケメンと同義っていうけど、きっと違うよね。彼はイケメンじゃないもの。…ふふっ、そんなこと言ったら怒られちゃう。

「確かに。じゃあ俺はセリヌンティウスな」

 とにかく彼は優しい人で、でも優し過ぎない。

「え、セリヌンティウスよりは王様に近くない?」

「うわひっど!」

 友達でも、誰でも、どこか一線引いてる。もしかしたら、本当は王様のような邪智暴虐なところがあるかもしれない。メロスとセリヌンティウスのような友情物語に心を動かされたいと、望んでいるかもしれない。

「じゃあ最後に出てくるエキストラの町娘役にする?」

 私は本当の彼を知らないし、知るつもりもない。

「もっとやだよ。っていうかどっちかと言えば俺がメロスじゃね?」

 誰にだって隠しておきたい部分はあるだろう。それは私だって同じだから。

「じゃあ私が町娘なわけ?それともセリヌンティウス?」

 全てをさらけ出せる相手なんていなくてもいい。ただ好きだと思える相手がいて、その人と笑い合えれば。

「さらっと王様を抜いたけど、王様が適役だろ」

 こうやって楽しく会話して、幸せだと思えるなら。

「ちぇっ、どうせ私は邪智暴虐ですよーだ」

 この人生捨てたもんじゃないなって。どんなことがあっても乗り越えられるなって。

「嘘だって。拗ねんなよー」

 それが生きる糧になるから。そんな私ってやっぱり…

「重いかな?」

「何が?」

「私が」

「別に太ってないんじゃない?」

「そっ…か。よかった」

 よかった。なんでかわかんないけど、よかった。

「あ、見てみ」

 彼は空を見ていた。私も空へと目を向けた。

 それは…綺麗な夕焼けだった。落ちていく火の玉はさっきと同じなのに、こんなにも美しく見えるのは何故だろうか。

「飛行機雲だね」

 一本の飛行機雲が、どこまでもどこまでも続いていた。それはまるで、永遠を望む私のようで。

「赤と青のグラデーションだな」

 その色は何色かわからない彼のようで。

「綺麗だね」

 それは私達を表す絵のように見えた。


 私はその光景を忘れないようにじっくり眺めながら言った。

「もう日が沈む。ほら、メロス。セリヌンティウスが待ってるよ」

 私は自分の体の感覚がなくなってくるのを感じていた。

「セリヌンティウスはいない。それに王様は自分が間違ってたからって死んだりしない」

 隣から鼻をすする音がした。

「あの話の後日談はないからね、どうなったかわかんないじゃん」

 馬鹿だな、私なんかの為に泣くなんて。

「俺にはわかる」

「嘘つけ」

 体が光り出した。案外ファンタジックな演出なんだな。

「なんだよ、本当はシンデレラのくせに!」

 彼は怒ったようにこちら見た。涙が流れていて、よりイケメンと離れてしまっていた。

「不細工」

「うるせぇよ」

 彼は顔を近づけてきた。チュッ、軽い口づけ。初めてのキス。

 …もう、苦しい。

「私は眠れる森の美女でも白雪姫でもないんだって」

 短く息を吐くと、同時に目からぱたぱたと雫が落ちた。泣かないって、決めてたのにな。

「お前も、不細工じゃねーか」

 あ、笑った。やっぱり笑った顔が好きだな。もう私の手は光の粒子となって消え始めていた。私はなんだか感慨深くなって、彼に話しかけた。

「ねぇ」

 本当に、最期なんだな。不慮の事故だった。この世に思い残したことなんて数え切れない。でも、どうしても、後悔してもしきれなかったのが、次の日に約束していた彼との初デート。あまりにも未練が強くて、成仏しきれなかったのかな。太陽が沈む瞬間まで、私はこの世に残ることが出来る。誰に言われたわけじゃないけど、私は知ってた。私は言ってないのに、きっと彼も知ってた。その過程を、私は知らないけれど。

「何?」

 きっと生前に行いがよかったから、神様がプレゼントしてくれたんだね。…嘘。きっと、魔法遣いがシンデレラに一夜限りの魔法をかけたように、走れなくなったメロスの耳に清水の音が届いたように、私の物語も最期に奇跡が起こったんだ。


 私はそう思ってる。そう思っておこうと、思ってる。だって私は貴方を詮索したくないんだもの。

 …でも、だけど。最期にどうしても伝えたかった。だって私にこんな奇跡みたいな魔法をかけてくれたのは、きっと…。

「…ありがとう、魔法遣い」

 体が光に包まれて消えるその瞬間、

「好きだよ、シンデレラ」

人生を走り続けるメロスの声が聞こえた。

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夕日が沈んだら鐘が鳴る。 逢津翠 @green4100

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