第23話 別れと始まり

 数日後。

 港には大勢の人間が集まっていた。

 レクブリックから、エニーナズの迎えの船がやって来たからだ。

 先日戦場となった港は、すっかり静けさを取り戻していた。

 とはいえ、各所に生々しい戦いの跡は残ったままだ。

 女王蟻の指揮の元、地下の混蟲メクスたちが魔法を使って血を洗い流してはいたのだが、激しい戦闘の痕跡はそう簡単には消えなかったのだ。

 レクブリックの船乗りたちは、自国の王が直面した危機に大層驚いていた。今回の婚約の話の元になったアルージェ国がここに来ていたというのだから、その驚きは当然のものであろう。

 とにかく王が無事で良かったと安堵する一方で、あの・・アルージェ国をも退けたテムスノー国に、敬意と少しばかりの畏怖を抱いたのだった。




 タラップの前で、エニーナズとオデルは、向かい合わせに立つ。 

 オデルは、テムスノーに残ることとなったのだ。

 当初の予定通り、テムスノー国とレクブリック国の間で同盟が結ばれた。

 ただし、有事の際にも混蟲を戦争に駆り出さない、という条件付きで。

 混蟲の力をその目でしかと見たアルージェ国のワスタティオに対しては、同盟国であるだけで牽制になるであろう――との考えからだった。二国の交流は、ほぼ文化面だけにとどまる予定となった。

 元々アルージェ国の脅威から逃れるための今回の話であったのだから、レクブリックとしてはこの条件で何も問題はなかったのだ。

 ラディムがオデルに「戻らないのか」とさり気なく聞いてみたところ、「国を上げて盛大な別れの式典までやってもらっておきながら、ノコノコと帰れるだけの神経は僕にはないよ」とオデルは笑顔で言い放った。

 彼は国を出てきた時から、既にこの国に骨を埋めることを決意していたのだ。


「父上、お気を付けて」

「あぁ、お前も……。最後まで何もしてやれない父ですまぬな」


 オデルは首を横に振る。

 今まで、何を考えているのかわからなかった父。しかし、ようやくオデルはエニーナズの心を知る。

 間違いなく、家族として愛してくれている。ただ、それを表に出さなかっただけなのだ、と。

 このような別れ際になって初めて気付くとは、なんとも皮肉な話ではあるが。


「父上は、私をこの国に連れて来てくださいました。それだけで……十分です」


 しばし見つめ合う二人。親子の別れは、その言葉で終わった。

 船に乗り込んだエニーナズ。従者もその後に続き、いよいよ船は出航の合図を出した。

 碇が引き上げられ、港から少しずつ遠ざかっていく船。

 多くの人々が、船に向けて手を振った。



 船上のエニーナズは、港に佇み続ける息子の姿をずっと見つめ続けながら考える。エニーナズは、自国よりテムスノーの方がオデルにとって住みやすいであろうと思っていた。

 オデルが異母兄弟たちからあまり良くない扱いを受けていたことは、何となくだがエニーナズも察していたのだ。しかし国の運営という忙しさにかまけて、あえてそれを流していた。

 エニーナズにとっては、皆大切な子供だ。いつかわかり合える時がくるだろうと、淡い期待を抱いていた。オデルの姿が変わったことにより、初めてその対処が間違っていたと気付いたのだ。

 だが、全てはとうに過ぎ去ったこと。


「……どうか、平穏と幸福を」


 オデルに祈りながら、レクブリックの王を乗せた船は、テムスノー国から去って行くのだった。






 小さくなっていく船を、いつまでも見守っていたフライアたち。

 しばらく波の音だけが皆の鼓膜を支配していたのだが、不意にオデルが小さく息を吐いた。


「さて……。皆さん、わざわざ父をお見送りくださり、ありがとうございました」


 オデルが頭を下げると、ようやくその場の緊張の糸がほぐれる。

 ノルベルトを先頭に、次々と引き上げていく兵士たち。その中でフライアとラディム、そしてオデルとエドヴァルドだけが、最後まで港に残っていた。


「あとは、僕たちの結婚式だね」


 オデルはエドヴァルドに振り返り、しんみりとした空気を振り払うかのように笑顔で言い放った。


「いや……。既に、その必要はない気がするのですが……」


 しかしエドヴァルドは困ったように呟くばかり。

 テムスノーとレクブリックが『婚姻の有無に関係なく』同盟国になることは、既に王二人の間で話し合われていたことだ。

 今回の話は、フライアのためとはいえ大臣が勝手に進めていたことと、フライアたちの『婚約破棄計画』の動きが大きく影響した形だ。

 ちなみに大臣――タキトゥスは既に動けるまでに回復しており、今回の件についてノルベルトやフライアに詫びていた。

 同時に自ら「どうか罰を」と申し出ていたが、フライアが頑なに首を横に振り続けたので、その話はそこで終止符が打たれた。彼が、国やフライアを案じてやったことだとわかっていたからだ。

 タキトゥスはこれまでより一層、テムスノーのために動くことをノルベルトやフライアに誓っている。

 そのような経緯を、オデルも既に承知のはずだ。なのに、なぜこの王子はそんなことを言うのだろうか。

 エドヴァルドが心の中で疑問に思った直後。彼女にとっての爆弾は放たれた。


「僕がこの国に留まる本当の理由は、君だよ? とても必要だと思うけどなあ、結婚式。そもそも、君から持ちかけてきた話だよね」

「なっ――!? はっ――!?」


 あっさりと放たれたとんでもない言葉に、エドヴァルドは顔を真っ赤にしたまま半歩下がってしまう。

 フライアとラディムは、興味津々といった様子で二人を見守った。


「い、いや、その、あれは、あくまで計画の一端で……」

「うん。でもね、僕は君に興味が湧いたんだ。性格的にも僕と君は合っていると思うし。君はどう? 僕のことが嫌いかい?」


 爽やかな笑顔を浮かべながら直球で聞くオデルに、ラディムは「これはエドヴァルドは逃げられないな……」とニヤニヤを抑える。

 すっかり忘れていたが、オデルはこういう恥ずかしいことを恥ずかしげもなく、サラッと言ってしまう性格であった。しかも、なかなかに頑固だ。


「嫌い、ではありません……が……。そういうのは、まずはその、付き合ってから、とかじゃないのですか?」


 自分には経験がないのでよくわからないですが……とゴニョゴニョと続けるエドヴァルド。


「結婚から始まる恋愛もありじゃないかな? この国では今までになかったのかもしれないけれど、『外の国』の王族は、割とそういうのも珍しくないんだよ。むしろ主流。自分で言うのもなんだけど、僕って顔は悪い方ではないだろう? その時点でほら、とてもお買い得」

「ご自分のことを、商品の大安売りみたいに言わないでください……」

「意中の女性にはいくらでも売り込むよ?」


 にこにこにこ、とオデルは笑顔を崩さない。

 ダメだ。強力すぎる。押し切られる――。

 オデルに何を言っても無駄だと悟ったのだろう。エドヴァルドはすがるような視線をフライアに送る。


「フ、フライア様……」

「あ……ええと、その……」


 目の前で繰り広げられる告白劇にすっかり当てられていたフライアは、赤かった顔をさらに濃くしてたじろいだ。

 何か言おうと口をパクパクさせるが、頭が真っ白だったこともあり、洩れてくるのは空気だけ。

 フライアもまた、横にいるラディムを見上げ、助けを求める。しかしラディムは無言のままフライアの頭に手を置き、くいっと顔を正面に戻した。


「今の俺はただの壁。空気。流れゆく潮風」

「え……?」

「存在を感じるなってことだ」


 ラディムも、巻き込まれたくなかったのだ。面白いから見るだけに徹したい、というのが本音ではあったのだが。

 困り果てたフライアは、ひとしきり悩んだ後――。


「ううんと……ええと……その……。ウエディングドレス、今度は私に用意させてね」


 控えめな笑顔で、エドヴァルドにとどめを刺すのだった。







 静寂に包まれた執務室。紙の擦れる音だけが時おり響くのみ。

 ノルベルトは、以前よりさらに上積みされた書類の束を見ると、溜め息と同時に天井を見上げた。しかしその口は、笑みの形を作っている。


「やはりフライアは、お前の娘だけあって強かった」


 目を細めながら、ノルベルトは肖像画の女性に語りかけた。

 紫紺の髪に柔らかな笑みを湛えた女性。ノルベルトの妻にしてフライアの母、ソレイユ・アルヴォネンだ。

 妻の顔を見ながら、ノルベルトは思い出す。 

ノルベルトが王に即位した時、『赤い宝石』の研究が取りやめられてから既に数十年が経っていた。


 これは忌々しい記録。もう、処分しても良いのではないか――。


 圧倒的に『人間』の数の方が多くなったテムスノー国。役人たちからそんな声も上がり始めていたのだが、ノルベルトは取り合わなかった。当時のノルベルトは、混蟲に対して良い感情を抱いていなかったにも拘わらず、だ。

 それは、妻が魔法の力を使って体内に保管するほど、頑なに宝石を守ろうとしていたからにほかならない。


「これは、この国の歴史そのものですから」と――。


 肖像画の妻に微笑み返したノルベルトは、軽く背筋を伸ばしてから再び書類の山と対峙する。

 破壊された場所の修繕、役人たちの葬儀・補充、そしてオデルとエドヴァルドの挙式――。

 やる事は山のようにある。それでも、ノルベルトの心は穏やかだった。

 人間と混蟲メクスが、共に力を合わせる未来にたどり着くことができたから。

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