第22話 再会
兵を引き上げていくワスタティオ一行。
エドヴァルドとオデルは立ち上がり、その後ろ姿が見えなくなるまでじっと見つめ続けていた。
オデルは尚、エドヴァルドの体を支え続けている。彼女の力をもってすれば、手を引くのは簡単なはずだった。それなのに、オデルの手から離れることができない。
困惑したように、チラチラとオデルに視線を送るエドヴァルド。
オデルはそれに気付かない振りをしていた。少しだけ眉を下げてオデルを見上げてくる様は、先ほど戦神のような気迫で数十人の兵士を相手に立ち回っていた人物と同じとは、到底思えない。年相応の少女のものだった。
そんな二人の元に、フライアとラディムが静かに空から下りてきた。城門の前にいた者たちは、一斉にフライアの前へと駆け寄る。
「姫様!」
「よくぞご無事で!」
顔いっぱいに喜びを広げ次々に言葉をかけてくる兵士たちに、フライアは微笑みを返す。彼女を中心に、周囲の空気はたちまち穏やかなものへと変わっていく。
エドヴァルドはラディムの体を数秒見つめた後、おもむろに口を開いた。
「ラディム……。お前、ボロボロじゃないか」
比喩ではなく、ラディムの体の状態は本当に酷いものであった。見る者すべての人が、本人の前で痛々しい顔をしてしまうほどの。
「まぁ、ちょっとばかり派手にやらかしてな。何だエドヴァルド、心配してくれてんのか?」
「そこまでの怪我を負っている者を前に、何事もないように振る舞う方が無理な話だと思うのだが……。それともオレは、そこまで非情な奴だと思われていたのか?」
オデルに支えられているのを忘れているかのように、いつもの調子で淡々と言うエドヴァルド。そんな彼女の体に、ラディムは上から下まで視線を這わせた。
「そういうお前だって、人のこと言えねえじゃねえか……。いつの間に着替えたのか知らねえが、そのドレスだってボロボロじゃん。ていうか、脚出しすぎじゃね?」
「いや、その、これは元々そういう長さで……」
エドヴァルドはしどろもどろになりながら、これはアウダークスが用意してくれたものだと説明をする。今までに見たことがない彼女の態度に、ラディムだけでなくフライアも思わず笑顔になってしまった。
「キャシーさん――じゃなくてアウダークスさんが作ってくれたんだね。うん、エドヴァルドにとても似合うドレスだと思うよ」
「姫様……」
フライアに褒められたエドヴァルドは、どう返せば良いのかわからなかったのだろう。顔を赤くして俯いた。
「ここは一つ、ドレスを直してもらえないかお願いに行くべきでしょうか。僕としては、妻となる女性の肌をあまり他の人間に見せたくはないのですが」
オデルがイタズラっぽく笑うと、エドヴァルドはさらに困惑して下を向いた。「いや、その話は……」と言いかけて、続く言葉が出てこない。下を向きすぎて首が胸にめり込みそうな勢いだ。
「ラディム。彼女はとても可愛らしいね」
そんなエドヴァルドの反応を見ながら、オデルはニコニコとラディムに同意を求める。
「そうだろ?」
ラディムもまた、にこやかに答えた。このラディムの反応に、エドヴァルドは驚愕で目を丸くする。
エドヴァルドは、「そんなことねえだろ」とラディムが否定するものだとばかり思っていた。だから彼の口から出てきた言葉は、意外、なんてものではなかったのだ。
それは今まで自分のことを『可愛い』と思っていたということなのか。いや、そんなはずがあるわけがない。年相応の色香とか、愛らしさとかいう単語は、自分とはまったく縁のないものであるはずだ――。
そう信じていたエドヴァルドにとって、この状況はまさに想像の範囲外のものであった。何を言い、どういう顔をして良いのかわからない。彼女の表情筋は、混乱からか目まぐるしく動いていた。
「うん。エドヴァルドは可愛いよね」
「姫様まで。や、やめてください……」
「えへへ」
フライアにつられた一同は、そこで花が咲いたように笑う。エドヴァルドは笑われながらも、不思議と嫌な感じはしなかったのだった。
フライアたちがノルベルトの元へ戻ろうとした時、城下町を駆けてくる多くの人々の姿が目に入った。
その先頭に立つのは、長い前髪で片目を隠した青年、スィネル。彼の後ろにはパルヴィとヘルマン、さらにはガティスと、見知った
「フライア様ー!」
スィネルは大きな声で名を呼び、はち切れんばかりに手を振りながら駆けてくる。
「相変わらず無意味に元気だな……。犬か」
思わずラディムがぼやいてしまうほどの力強い走りっぷりで、スィネルはあっという間にフライアの元へと着いた。
「ご無事で本当に良かった……! このスィネル、フライア様が心配で心配で屋敷を飛び出して来てしまいました。ついでに森の火を消したりなんかして。城下町に迫る脅威はこのスィネルによって解消されたので、どうぞご安心ください!」
スィネルはフライアの手を両手で握り、いっきに捲し立てる。その手を横から強引に切り離したのは、パルヴィだった。
「森の火を消したのはあなただけじゃないでしょ。そもそも、この人たちが城から魔法道具を持ってきてくれたおかげじゃない」
彼女たちの周囲にいた人間に目を向けながら、パルヴィが大げさに呆れてみせる。ヘルマンや他の人間たちは笑うが、それも苦笑混じりだ。
似たような顔でスィネルを眺めるガティスのある部分に、ラディムは気付いた。
「ガティス。お前、腕……」
「まぁ、見ての通りだ。慣れないことはするもんじゃないな」
小さく肩を竦めるガティス。彼の腕はまだ針に変形させたままだったのだが、その先端が欠けていたのだ。戦いで負傷したのだと容易に想像がついた。
「怖くて戻せねえ」
おどけたように笑ってみせるが、本心だろう。骨は確実に折れているはずだ。
「みんなまとめて、あの女医さんに治してもらった方がよさそうだね?」
オデルの言葉に、怪我をした混蟲たちは思わず苦い笑みを洩らしてしまう。
「これは、イアラ先生が倒れそうだな……」
「後日、皆でたっぷり礼をせねばなるまい」
「そうだな……。何がいいだろうか」
「ガディスが美味しい料理を作るとか?」
「腕がちゃんと治れば可能だが……。その先生とやらは何が好物なんだ?」
「……なんだろうな」
真剣に悩みながら、皆は城へと向かうのだった。
ハラビナを通して地上の様子を伺っていたセクレトとテレノは、引き上げていくアルージェ兵たちの姿を見て安堵の息を吐いていた。
自分たちが力を逆流させたハラビナも、どうにか役に立つことができたようだ。
マトラカ一行も、目覚めたところであの『記録』とフライアの『声』を聞き、さらには諜報役の者から撤退を知らされ、おとなしく帰っていったのだ。今度は崖ではなく、地下を経由して。
「とりあえず、危機は去ったというところかな」
「ええ。しかし、先ほどの『光景』は一体……」
テレノは青い顔で体を掻き抱く。
ヴェリスの実験記録を孕んだ光は、地下の人々にまで届いていたのだ。
それは地上の人々よりも混蟲という存在に触れてきた地下の人間でさえ、震えが止まらなくなるほどの光景だった。
「セクレト!」
その時、声と同時に入り口のドアが勢いよく開かれた。
誰が来たのか確認する間でもないほど、よく知る声だった。
「アウダークス。だからノックをしろと言っているだろう」
「だってそれどころじゃないでしょ! あなたたちもさっきのを『見た』でしょ!? 今の地上で何が起こっているのか教えてちょうだい! 私、女王蟻様に上に行くように言われてて――!」
攻め寄ってくるアウダークスに、セクレトは穏やかな笑みを浮かべた。
「もう、その必要はない。エドヴァルドやフライア様が、終わらせてくれたみたいだ。女王蟻様のところへトンボ帰りしなきゃな?」
笑顔を浮かべて告げるセクレトに、アウダークスは目を丸くするのだった。
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