第11話 接近

 謁見の間の窓から一度外に出たペルヴォであったが、別場所の窓を割り、再び城内へと戻る。そこは『胴体』と『右翼』の間にある、中庭であった。

 いかにも気の弱そうな中年男を脅したおかげで、王女の居場所は難なく聞き出すことができた。

 地下牢の先、と言っていたか。よく考えたな、とペルヴォは少し感心した。そのような場所に王女がいるとは、ペルヴォには考えつかないことであったからだ。

 収穫は得た。あとは向かうのみだ。

 謁見の間から去る際に魔法を放ったのは、この国に対する腹いせでもあった。

 ヴェリスが『作った』者たちの国。しかし、彼女はここで命を落としてしまった。ヴェリスにしてみれば、それは本望であったのかもしれない。だが、ペルヴォには到底納得することはできなかった。


 全ては、ヴェリスに会うため――。


 彼女との再会を果たすためだけに、とっくに尽きている命を騙しながら生き長らえてきたというのに。

 考えると胃の辺りが酷く不快だ。ムカムカする。王女に会う、という目的がなかったら、城ごと吹き飛ばしていたかもしれない。

 機嫌を表すかのように歩く速度が早くなるが、中庭に植えられた様々な木々や花が視界に入り、幾分か落ち着いた。

 知っているものもあれば、知らないものもある。千五百年の歳月は人間だけでなく、植物にも確実に変化をもたらしているだろう――と、つい植物に目をやってしまうのは、研究者たるゆえんか。


「あぁ、そうだ」


 ペルヴォは何かを思い出したのか、声を上げて足を止めた。アルージェ王に頼まれていた物の存在を、すっかり忘れていたのだ。


「やっぱり興奮したら忘れっぽくなっちゃうなあ。ヴェリスにもよく怒られていたっけ」


 懐から書簡を取り出したそのタイミングで、三人の兵士が右翼側から走って現れた。

 兵たちはペルヴォの姿を見た瞬間、怪訝な顔をして立ち止まる。しかしペルヴォは意に介せず、彼らに近付いた。


「ちょうど良いところに。王様にこれを渡してくれるかな?」


 笑顔を崩さず、兵士の手に無理やり書簡を握らせる。


「これは……? いや、そもそもあんたは――」

「僕? お使いを頼まれた、ただの魔道士だよ」


 魔道士――。

 その単語を告げた瞬間、兵士たちは顔を白くして転がるように逃げだしてしまった。謁見の間の惨状は、既に彼らの知るところであったのだ。


「おや……。地下牢の詳しい場所を聞きたかったんだけどな。最初に聞くのを忘れてしまっていたし」


 兵士らの後ろ姿を見送りながら、ペルヴォは少しだけ眉を寄せた。


「でも、わずかだけどヴェリスの気配が濃くなってきた。地下牢は近いみたいだね」


 焦らず、焦らず。

 どうせなら、劇的な再会を果たしたいからね――。

 ペルヴォは木々を見上げながら、氷のような笑みを浮かべた。







 テムスノー城の『左翼』と呼ばれる一部は塔となっており、『胴体』や『右翼』よりも高さがある造りとなっている。

 ノルベルトとエニーナズは、現在その左翼の四階に移動してきたところだった。

 エドヴァルドの手により、気を失わされたオデルも一緒だ。現在オデルは、簡素なベッドに寝かされている。穏やかにな寝息を立てていたが、突然眉間に皺が数本刻まれた。


「う……」

「オデル。目覚めたか」


 声をかけたのはエニーナズだ。頭を押さえながら上体を起こしたオデルは、様変わりした部屋の中を見回す。


「ここは……エドヴァルドは……」


 エニーナズは静かに首を横に振る。それだけで全てを察したオデルは、すぐにベッドから飛び起きた。数人の兵士が慌てて駆け寄るが、彼らを振り払い、オデルは扉に向けて歩き出す。


「オデル王子! 外は危険です。どうか――」


 木製の扉が乱暴に開いたのは、その時だった。扉の向こうでは一人の兵士が激しく息を切らせていた。彼は入り口前のオデルたちには目もくれず、ただ真っ直ぐとノルベルトへと歩いていく。


「王、これを――預かりました」


 一言だけ告げると、震える手で書簡をノルベルトに手渡す。瞬間、兵士はその場に膝から崩落れた。両手を床に着き、呼吸をすることに専念している。この塔を全速力で駆け上ってきた影響だろう。

 書簡を受け取ったノルベルトは、すぐさまそれに目を通す。

 ノルベルトの顔が苦いものに変化する。良いしらせでないことは、誰もが瞬時に察したところであった。


 この国を、アルージェ国の傘下としたい。

 無条件で降伏せよ。そうすれば、罪のない大量の命は失われずに済むであろう。


 端的に言えば、そのような内容であった。


「実に勝手なことを言ってくれる……」


 ノルベルトはたまらず書簡を握り潰していた。


「アルージェ国、ワスタティオ王か……」


 ノルベルトが呟いた名を耳にした瞬間、エニーナズの眉が跳ね上がった。


「この辺境の地まで自ら乗り込んで来たのか……。戦場の獅子……」


 沈黙に支配された部屋の空気を一変させたのは、オデルだった。

 近くにいた兵士の手から槍を奪い取る。咄嗟のことに、兵士はおろか誰も声を出すことすらままならない。オデルはそのまま部屋飛び出していってしまった。


「オデル王子!」


 呼びかける兵士たちの声は、既にオデルには届かない。螺旋状の塔の階段を、金髪の王子は風のように駆け下りていく。


「馬鹿者が……」


 エニーナズは拳を握りながらも、後を追うことはしなかった。一度決めたら、息子は絶対に止まることはない――と理解していたからこそ、足が動かなかったのだ。


「王子をお守りするのだ」


 ノルベルトの一言で、数人の兵士が慌てて後を追いかけていった。







 アルージェ王ワスタティオ率いる一行は、隊列を崩さぬままテムスノー城へと向かっていた。その威風堂々たるさまは、まるで凱旋パレードのようにも見える。

 事情を知らない人々は、物珍しげに彼らを眺めるばかりである。結婚式の新たな演出なのか――と思う者も少なくなかった。


「近付く者は斬れ」


 歩きながらワスタティオが兵士たちに短く告げると、兵士たちは次々と携えていた剣を鞘から引き抜いていく。

 未だ多くの人で溢れ返る城下町。混乱も収まってはいない。

 そんな中、一人の中年の男が人波に押され、隊列の中に転がりこんできた。

 男に進路を妨害された兵士は彼をなじるでもなく、非難の目を向けるでもなく――手にしていた抜き身の剣で、男の背を斬りつけた。男の背から飛ぶ鮮血は、ハラビナよりも濃い色をしていた。

 突然のことに、周囲の人々はおろか、当の男でさえ呆けた顔をしていた。遅れてやって来た痛みに男が気付き、布を裂くような声を上げた瞬間、周囲はようやく異常事態に気付いた。

 悲鳴を上げ、慌てて隊列から離れていく人々。恐怖は津波のように伝染していき、さらに事態を混乱の渦に陥れた。

 あちらこちらで人がぶつかり、倒れた人の背を多くの人間が踏みつぶしていく。親とはぐれた子どもが泣き叫んでいるが、誰も立ち止まらない。

 両脇で繰り広げられる混乱劇もまるで眼中に入れず、一行は城下町の大通りを進み続けた。

 城に向けて堂々と歩き続けるさまは、悲鳴という波をかき分けて進む、不沈艦のようでもあった。



 ワスタティオが軍艦を率いてテムスノー国に来た理由。それはある種、レクブリックのエニーナズと同じ理由であった。


『全ては、アルージェ国の発展のため』


 自国の民の平穏と幸福は、圧倒的な武力によってこそもたらされるものである――。

 ワスタティオだけでなく、歴代のアルージェ王はこのような考えを抱き、今日までやってきていたのだ。



 オデルたちがレクブリックに帰国してから、間もなく。

 レクブリックが『ムー大陸の負の遺産』と接触した――という情報は、すぐにワスタティオの耳にも届くことになる。

 ムー大陸に関することは、レクブリックだけが調べていたわけではない。今まで確かな情報がなかっただけだ。

 レクブリックで『混蟲の日記』が見つかったことで、全世界で密やかに行われていた混蟲やムー大陸に関する研究に、大きく火が付いたのだ。

 その流れで、ワスタティオはとある『モノ』も探させていた。

 それが、封印されたペルヴォである。

 ムー大陸に関する文献とはまったく別の物――いわゆる、レクブリック国で発見されたような『混蟲の日記』が、実はアルージェ国でもかなり昔に発見されていたのだ。ペルヴォを封印した混蟲の一人が書いたものであった。

 これまでにそれは、ただの創作物であると考えられていた。故に、絵画のような美術品の一環として、個人が所有していた。だが、レクブリック国が本物の混蟲と接触したことで、今までの評価が一変する。

 価値に気付いた持ち主がオークションに出品したところを、ワスタティオが直々に買い取った。そして、その日記に書かれている場所を掘るように命令を下したのだ。

 魔道士が生きているなどとは、ワスタティオは考えてすらいなかった。千年以上経っているのだ。当然である。

 ただ、ムー大陸の魔道士に関する何らかの道具さえ発見できれば――と、その程度の認識であったのだ。

 だから魔道士が生きたまま発見されたとの報せを受けた時は、一瞬耳を疑ったほどであった。

 まさに、宝を掘り起こしたわけである。

 ワスタティオは歓喜した。

 件の魔道士は、今の時代の話や混蟲についての話を聞いた瞬間「テムスノー国へ行きたい」と言った。

 ワスタティオは「テムスノー国の進軍を考えている。協力をしてくれたら船を出す」と条件を出すが、ペルヴォは二つ返事で快諾したのだった。

 そこからの準備は、まさにあっという間であった。

 まずはレクブリック国を欺くため、戦の準備をしていると思わせた・・・・

 エニーナズの密偵が見た、軍部が物資を運ぶ光景は、まさに陽動であったのだ。そちらに注意を向けさせ、ワスタティオは船の用意を進めさせていたのである。

 アルージェ国は、横に長い形状の国である。今までに幾度となく、侵略をしてきた成果であった。レクブリックから離れた港で、着々と出航の準備は進められていた。

 レクブリックの王子がテムスノーの王女の元へ婿入りする――という情報を入手したのは、出航の直前である。ワスタティオにしてみれば、それは思いがけない朗報であった。

 上手くいけば、テムスノーとレクブリック、両国の力をアルージェのものにすることができる――と。


 進行を続けるワスタティオの眼前に広がるのは、横に広い形状の黄みがかった城。


「いよいよ大詰めだな」


 一風変わった形のテムスノーの城を見上げながら、ワスタティオは呟いた。

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