第21話 新たなる来訪者
「エドヴァルドとオデル王子、無事にお城に着いたかな……」
街道から逸れ、限りなく崖に近い上空を飛翔していたラディム。その彼の腕の中で、フライアがポツリと呟いた。
かろうじて街道を目視できる距離を保っていた二人は、兵士達がぞくぞくと東や南へ向けて歩いているのを見ていたのだ。ここまで多くの兵士が街道に散らばっているということは、地下にも同じように捜索の手が回っていることだろう。
「エドヴァルドの事だから馬鹿力で強引に突破してそうだし、大丈夫だろ」
実際、ラディムはそこまで心配はしていなかった。むしろ彼女のパワーに振り回されるであろう、オデルのことを心配していた。
まぁあの王子もなかなか突飛なところがあるから、上手く対処してくれていそうではあるが。
――オデルか……。
金髪碧眼の美形が頭の中に過ぎった瞬間、今まであえて抑えていた考えが湧き水のように出てきてしまった。
初対面では醜いカエルだった彼。元の姿を取り戻し、またこの国へとやって来た。
彼は身分だけでなく、ラディムにはないものを幾つも兼ね備えている。それは秀麗さだったり、学だったり、穏やかさだったり――と様々だ。
比べると、いかに自分が惨めで
泥のように濁った感情が、腹の底に突如として発生した。仄かに熱を帯びたこの感情の名を、ラディムはおそらく知っている。だが、止められなかった。
「すっげえ今さらだけど……。フライアは、良かったのか?」
「何が?」
「その、オデルと一緒にならなく――」
言い終える前に、フライアは両手でラディムの頬を乱暴に挟んでいた。
彼女の口は若干尖っている。これは踏んではいけないものを踏んでしまった――とラディムは後悔するが、既に遅い。
「ふはいは、ひはい……(フライア、痛い)」
上手く発音できないまま抗議をしてみるも、フライアは手を離さない。それどころか、少し力が強くなった気がする。
「もう、本当に今さらだよ……。今そんなこと、聞かないでよ……」
「……ほへん(ごめん)」
「わかったのなら許してあげる」
そう言いラディムの頬から手を離したが、ついでとばかりに「えい」と軽くおでこに手刀を入れられてしまった。全く痛くないところが、実に彼女らしいが。
「今度言ったら、ラディムが寝ている間に、顔にお水をかけちゃうんだから」
「……わかった。二度と言わない」
考えるだけで鼻が痛くなった。水が苦手なラディムには効果
――そうだ。くだらない。実にくだらない事を言ってしまった。
だが、たまには綺麗でない感情を抑え切れない時もある。それが人間というものだから。
そう、人間――。
人間と混蟲と分けること自体が、本当はおかしいのかもしれない。
それにしても、フライアが自分に対してこのように怒るのは珍しい。
でも今の怒った顔も可愛かったかもしれない――と考えてしまうあたり、自分も色々と末期だなとラディムは心の中で苦笑した。
喧噪が収まらない謁見の間に、新たに別の兵士が現れた。
ノルベルトを始め、皆は事態の進展を報告しに来たのだと咄嗟に思った。ここまで全速力で駆けて来たのか、やけに息切れが激しい。
「た、大変です!」
「今度は何だ」
「ふ、船が――」
「船?」
兵士はそこで頭を下に向け、乱れた息を整えようとする。そして再び顔を上げて告げられた言葉は、
「海沿いの街道に出た者たちが船を目撃。船は武装しております! その数、目視で確認できるだけで約三百隻!」
「な――!? 三百!?」
兵士の報告に、さらに謁見の間は大きくざわついた。
「武装した船――だと?」
エニーナズは拳を握り締め、勢いよく立ち上がる。
「ノルベルト王。テラスに案内していただきたい」
声こそ冷静だったが、エニーナズの顔には明らかに焦燥の色が見て取れた。ノルベルトもすぐに立ち上がる。
「直ぐに。……心当たりがおありか」
空が破裂したかのような重低音が響いたのは、その時だった。
花火の音と少し似ていたが、今の報告を聞いた後ではそのようなおめでたい意味合いのものではないと、この場に居る者全てが瞬時に感じ取る。
城の外からは、人々の悲鳴が津波のように響いてきていた。
「エニーナズ王、着いて来られよ」
一体、何が起きているのか――。
ノルベルトとエニーナズは、足早に謁見の間を後にする。兵士らも慌てて二人の王の後を追った。
「先ほどの音は、まさか大砲か――」
エニーナズは歩きながら眉を寄せる。
階段を上ったノルベルト一行は、テラスに通じる扉の前にたどり着く。扉の前に居た兵士は、突然現れた二人の王と兵士達を目を丸くして迎える。しかしすぐさま異常事態を察したのか、無言のまま白い両開きの扉を押し開けた。
いっそう激しさを増した喧噪が、王達の鼓膜を叩く。
城下町の混乱は凄まじく、もはやパレードどころではなかった。
耐えることのない混乱の声。
右往左往する
兵士らが落ち着かせようと声を張り上げているが、多くの兵士がフライアやオデルらの捜索に出ているので、圧倒的に数が足りていない。彼らの存在は、今や激流の川に佇む岩と大差がない。
エニーナズは私物のオペラグラスを懐から取り出した。
対象は城下町ではなく、海。
瞬間、エニーナズは息を呑んだ。
この島国を取り囲むかのように、多くの船がそこに在ったのだ。先ほど兵士から聞いた『三百隻』よりも多いのではないかと、エニーナズの額に冷や汗が滲み出る。
船には全て、帆の横に赤い旗が揺らめいていた。
海に照り映える鮮やかな赤色の旗。その中に星を彷彿とさせるような刺々しい文様と、勇ましい馬の輪郭が描かれている。
見
「馬鹿な……。なぜ、なぜアルージェ国の船がここに!?」
エニーナズの悲鳴に似た絶叫は、二度目の砲撃音にかき消されたのだった。
テムスノー国を取り囲む、船の大群。その全てが武装したものであった。磨かれた重火器は黒い艶を放ち、海上に物々しい影を落としている。
指示の声など、そこかしこから大きな声が上がっているが、港に近い場所に浮かぶ一隻の船上は、そこだけ空間を切り取ったかのように静寂に支配されていた。
甲板には三人の人影しかない。
一人は、黒味を帯びた赤髪を持つ男。
防具は革製の胸当てだけという非常に簡素なものだが、代わりに無数の短剣の鞘が全身にあった。背と腰に携えた物だけが長剣だ。顔と手には多くの傷跡が刻まれている。
男は木箱の上に腰掛け、鷹のような眼光で港を見据えていた。
一人は、毛皮のマントを身に付けた老年の男。
口と顎、さらには耳にかけての輪郭まで伸びた長い亜麻色の髭は、百獣の王を彷彿とさせる。
老年の男は甲板の中央に立ち、何かを考えているのか瞼を閉じていた。
そしてもう一人は、眼鏡をかけた藍髪の青年。まるで船の象徴のように、器用に船首に佇んでいる。
「へえ……本当に断崖絶壁だ。なかなか面白い地形をした国だね」
藍髪の青年は眼鏡を指で押し上げ、テムスノー国を見上げながら微笑を浮かべた。
「迎えに来たよ。
第3章 戎具の婚姻編・完
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