第20話 交錯への道標
ノルベルトとエニーナズは、テムスノー城の謁見の間で待機していた。式はここで行われる予定だ。
玉座に向かって敷かれた赤い絨毯の端には、多くの兵士が左右に整列している。壁際には大臣を初めとした役人達も並んでいた。
二つの国の歴史が合わさる瞬間が、すぐそこまで来ている。二つの玉座に二人の王が並んで腰掛けている姿は、誰しもが緊張感を誘われる光景だろう。咳を一つするのも
ノルベルトは視線を虚空に投げた。彼の脳裏には、亡き妻の姿が浮かんでいた。彼女が今この場にいたら、何と言っていたであろうか。もしかしたら、自分はあらぬ限りの言葉で批難されていたかもしれない。
――むしろ、そうして欲しい。
一人の兵士が転がる勢いで謁見の間に入ってきたのは、ノルベルトがそう思った時だった。
「王の御前であるぞ。一言もなく入ってくるとはなんと無礼な」
入り口に待機していた二人の兵士が、槍を交差させ入ってきた兵士の行く手を遮った。兵士は首を横に振り「緊急事態です」と焦りを顔に滲ませる。必死の形相の彼に、二人の兵士は思わず眉を寄せた。
「よい。そのまま続けよ」
ノルベルトの鶴の一言で、二人の兵士は
「ご、ご報告致します! 城下町のパレードの途中――フライア様とオデル王子が逃亡されてしまいました!」
「逃亡だと?」
瞬間、謁見の間が大きくざわついた。
二人の王もひどく驚き、そして互いに顔を見合わせた。
兵士は息も絶え絶えに続ける。
「はい。フライア様はラディムと、そしてオデル王子はエドヴァルドと二手に分かれて――」
「あやつら……」
ノルベルトは思わず苦い声を洩らしてしまった。
今まですんなりと事が進んでいたことに、疑問を抱くべきだった。まさか当日にこのような行動を取るなどとは。
「ラディムとフライアはまだわかるのだが――エドヴァルドがオデル王子を連れ去ったというのは意外であるな」
「それが奇妙なのですが……。オデル王子は、自らエドヴァルドを背負って逃亡されたのです」
「……どういうことだ?」
わかりません、と兵士は首を横に振る。
ノルベルトも、そしてエニーナズも彼らの『計画』は知らない。だがオデルがここにきて結婚に抵抗しようとしているのだと、エニーナズは今の情報だけで理解した。
「オデル……」
テムスノー国から逃亡しないよう、わざわざ船まで帰らせたというのに。そこまで彼の意志は凝固であったのか。
「だがこちらも、今さら後には引けぬ」
全ては、レクブリック国の民を守るため――。
エニーナズは拳を強く握り、口の中だけで呟いた。
ノルベルトらと共に、フライア達の逃亡の報告を聞いていた大臣。謁見の間がざわめきに支配される中、彼は静かに目を伏せた。
まさかあの王女に、ここまでの行動力があったとは――。
彼は幼い頃から、それこそ赤子の時からフライアを見てきた。
大臣は元々愛想の良い性格ではない。フライアが
大臣が混蟲を好ましく思っていないのは事実だ。
それでも――彼はこの国を愛していた。
ここ数百年の間、王族に混蟲は誕生していなかった。混蟲が国を統治していたのは、遙か昔の話なのだ。
もしこの先、混蟲のフライアが女王として君臨することになったら――。
昔とは違い、今は混蟲より人間のほうが数が多い。間違いなく、フライアに向けられる視線は冷たいものが多くなる。視線だけで済めばよいが、それはないだろう。国の運営にも支障をきたすことは火を見るより明らかだ。
そんな不安を抱えていた折にレクブリック国からオデルが訪れ、図らずも二国の交流が始まった。
オデルを直接見た大臣は、彼しかいないと思った。
この国に住む人間のように、オデルには混蟲に対する偏見がない。それに彼は第三王子なうえ、年もフライアとそう離れていない。
彼ならば人間たちの目からフライアを――そしてテムスノー国を守ることができる。
そう得心した大臣は、伝書鳩を秘密裏に用意し、エニーナズに婚約の話を持ちかけたのだ。エニーナズが混蟲の魔法の力で自国の驚異に対抗しようと考えていることまでは、彼の知るところではなかったのだが。
このまま婚約の話が流れてしまったら、フライアが女王になる道は避けられないだろう。
――自ら、茨の道を歩むと申されるのですか。
大臣は奥歯を強く噛み、心の中でフライアに問いかけた。
オデルの向ける刃物にも畏れることなく、二人に一斉に飛びかかる兵士たち。人海戦術で動きを止め、掴まえようという算段だろう。
兵士らから目を逸らさぬまま、エドヴァルドはオデルの腕を勢いよく引いた。彼女の力にかかっては、オデルも抵抗のしようがない。あっさりとエドヴァルドの後ろへと移動させられてしまった。
「一旦下がりましょう」
「くっ――。やむを得ないか」
地下の坑道は狭い。あの大人数を突っ切って地上へ向かうのは困難だと判断したエドヴァルドは、一度引くことを選んだのだ。
エドヴァルドは、地下の道を全て把握している。複雑な道を利用し、人数をばらけさせてから突破するしかないと考えた。
しかし駆けようとする二人の前に、新たな兵士の集団が現れた。突然の新手に二人は同時に息を呑む。
彼らは、アウダークスの店に訪れた兵士達だった。
あの後アウダークスの店の中を調べたのだったが、結局怪しいところなしと判断して、撤退せざるをえなかったのだ。
あくまで、任意で聞き込みを行っている状況である。一般人の民家の中を勝手に調べ回ることなどできない。何より、王宮の手が入るようになったとはいえ、ここは女王蟻の支配が未だ大きく影響している地下なのだ。
そういう事情もあり、彼らはすごすごと店から退散せざるをえなかったのだが――。
「タイミングが最悪だな……」
せっかくアウダークスが秘密裏に逃がしてくれたというのに、これでは全く意味がない。
「地上に繋がる道って他にないのかい?」
「あるにはあるのですが、残念ながらここを突破しないとどうにもなりません」
地下が長きに渡り地上からの介入を防げていたのは、闇雲に地上に繋がる道を繋げなかったことも起因している。
地上との交流が始まってから入り口の数は僅かに増えたのだが、地下のどこからでも繋がっているわけではない。
「そうか……」
ため息と共に、オデルはエドヴァルドの腰を引き寄せた。
突然のことに、エドヴァルドは思わず声を洩らしてしまいそうになった。
オデルの行動の意図がわからず、彼を見上げるエドヴァルド。
碧眼の目は鋭く、真剣な光を宿している。困惑の表情を浮かべるエドヴァルドの耳元で、オデルはおよそこの雰囲気には似つかわしくない、そよ風のような声音で囁いた。
「計画より少し早いけれど、彼らには説明をしてとりあえず引いてもらおう」
――その方法しかないか。
エドヴァルドの力と魔法を使えば、強引に突破できないことはないだろう。だが兵士たちの心象を悪くしてしまうと、自分だけでなくオデルも、そしてフライアも困ることになる。
何より大事なのは、自分とオデルが一緒になることで、二国を繋げることにあるのだ。
エドヴァルドはオデルの提案を無言のまま頷いて了承した。
オデルは一瞬だけエドヴァルドに笑みを見せると、彼女の腰に回していた手に力を込めた。
「テムスノー国の兵士らよ。どうか僕の話を聞いてほしい」
坑道内に反響するオデルの低音。その一言で、坑道内は水を打ったような静寂に包まれた。
「テムスノー国中の民を混乱に陥れて、誠に申し訳ない。だが、僕はフライア姫ではなく――彼女を愛している」
「だから僕は――オデル・アレニウスは、エドヴァルド・カンナスと婚約を取り交わすことをここに宣言する」
ざわり。
兵士たちのさらなる驚愕を肌で感じた、直後。
オデルの唇が、エドヴァルドの唇と重なっていた。
――いや、さすがにこれは聞いていない。そもそも計画の中に『これ』までは組み込まれていなかったではないか。
文句を言おうにも、口は塞がれている。エドヴァルドは目を見開くことしかできない。その力を利用して彼を突っぱねることは容易であるが、この流れでそれをやってしまうと全てが台無しになってしまう。
オデルの顔はどこまでも優しく、そして少し憂いを帯びていた。今の言葉に真実味を持たせるためにも、どうか耐えてくれ――と、その表情が如実に語っていた。
なぜか、エドヴァルドの心の奥が痛んだ。同時に、顔が少し熱くなっていくのを感じる。初めての感覚がエドヴァルドの中に渦巻いているが、それに浸る間はなかった。
永遠ともとれる接吻は、一瞬で終わっていた。
オデルは顔を上げると、先ほどと同じように真剣な眼差しで兵士らを見据えている。
「どうか、そこを通してくれないか。父と、そしてテムスノー国の王と話をしたい」
オデルに答える言葉を、この場にいる兵士たちは持ち合わせてはいなかった。ただ困惑し、立ち尽くすばかりだ。道は開かない。
――ダメか。
「私たちが城まで案内するわ」
諦めが二人の心を掠めた時だった。
後方から突如聞こえた声に、オデルとエドヴァルドを始め皆が一斉に振り返る。
金の髪をポニーテールにまとめた女性と、銀の髪を持つ屈強な男が佇んでいた。女王蟻の右腕、パルヴィとヘルマンだ。
「どうしてここに……」
呆けるエドヴァルドに、パルヴィは軽く首を傾げて笑顔を見せる。
「女王蟻様、直々のご命令よ。あなたが困っていたら手を貸してあげてって」
「今がその『困っている』時に見えるのだが、間違っていないか?」
ヘルマンの問いに、エドヴァルドは大きく目を見開いたあと、呆けたように頷いた。
女王蟻にも計画は伝えてあった。もしかしたら地下を騒がしくしてしまうかもしれない――と。まさかこのように手を貸してくれるとは、エドヴァルドは考えてもいなかったのだが。
「しかし、お前が女性だったとはな……。その格好を見ている今でも信じられん。以前にのされたことを思うと、自分が情けなくなるな」
ヘルマンは頭を掻き、ため息混じりに呟いた。
銀の髪の男は、今この場にいる誰よりも屈強な体を持っている。その彼が、目の前の少女に敵わなかったと言ったのだ。兵士たちは驚くことしかできない。
何より今日この瞬間まで、エドヴァルドが女性で、さらに混蟲だったとは知らない者ばかりだったので尚さらだ。
「オレは特別強いからな。気にするな」
「それを自分で言うか」
しれっと言い切るエドヴァルドに、ヘルマンは苦笑するしかない。
「確かに私もびっくりしたけれど――。その格好、なかなか似合っているじゃない。羨ましいわ」
真っ直ぐと見つめてくるパルヴィ。エドヴァルドは思わず視線を逸らせてしまった。面と向かって言われると、やはり照れてしまう。
「って、ここでお喋りしている場合じゃないわね。さっさと行くわよ」
「ああ」
兵士たちの中を突っ切るように進み始める四人。兵士らの顔に浮かぶのは困惑と、小さな祝福だった。その彼らも、四人の後ろに続いて歩き出す。
「……付いてくるのか?」
エドヴァルドが振り返ると、先頭の兵士は頷いた。
「婚約の件について私たちは何もすることができませんし、意見を述べることができる立場でもありません。ですがせめて、城まで無事にお届けさせてくださればと」
「ありがとう。そうしてもらえると助かるよ」
忌避のない笑顔で答えるオデル。地上には事情を知らぬ者たちで溢れている。この申し出は素直にありがたかった。
オデルの笑顔に安堵した兵士たちは、敬礼をしたのち隊列を整えた。
「しかし、王子って割と凄いんですね。あの場面であれをやるなんて、度胸があるというか何というか……」
いつもの無に近い表情でエドヴァルドが放った言葉に、オデルは肩を落とさずにはいられない。
「君の中で僕の評価がどれほど低かったのかは知らないけれど、その言い方はちょっと傷付くよ……。あ、もしかして今ので惚れ直してくれたってことかな?」
「元々惚れていないので、その言葉は不適切です」
「辛辣だね……。そこが君の良いところと言えばそうなのかもしれないけれど……」
本気で落ち込むオデルを、荷物のようにひょい、と軽く持ち上げたエドヴァルド。そのまま彼を横抱きにした。
「え、いや、ちょっと――」
「予告もなしにオレの『初めて』を奪った、ささやかな復讐です」
「そ、それは本当に悪かった。後でどんな埋め合わせでもしよう。だから今は下ろして――」
「却下です」
エドヴァルドの口は笑みの形を作っていたが、目は笑っていない。
そのまま颯爽と駆け出し、坑道内をどんどん進んでいく花嫁の後を、目を丸くしていたパルヴィとヘルマン、そして兵士たちは慌てて追いかけるのだった。
オデルは気付かない。
ラディムが今のエドヴァルドを見たら「何か嬉しそうだな」と評していた雰囲気であることを。
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