第18話 追手

 アウダークスは店内の入口で兵士らと向き合っていた。

 クローゼットは通路の中から動かすことはできない。エドヴァルドたちが行った後、隠し通路は剥き出しのまま放置されることになる。

 絶対に、兵士らを部屋の中に入れてはならない。

 その信念が気迫として伝わったのか、それともアウダークスの見た目に驚いたのかは知らないが、兵士たちは一歩下がった状態のままであった。


「さっきも言ったけれど、今日はお休みなのよ」

「すまない。だが、こちらも非常事態でね。エドヴァルドを見なかったか?」


 オデルの名は出なかった。彼女と共に逃亡したことは、あまり吹聴したくはないのだろう。事の重大さを考えれば、納得のいく対応ではある。


「エドヴァルド? 地上で警備の仕事をしていたんじゃないの?」


 アウダークスの返事に、兵士たちは顔を見合わせる。慎重に――という音にならない呟きが、アウダークスには聞こえた気がした。


「それが……姿が見えなくなってしまってな」

「念のため、こちらの店内を見せていただけないだろうか」

「あら、もしかして私が匿っているんじゃないかと疑ってるの? 心外だわ。こっちは早く姫様の式を見に行きたいってのに。ちょっと気合いを入れて化粧をしていたら出るのが遅れちゃったのよね。でもまだ城には着いていないでしょ? 早く行かなきゃ」


 一気に言い切ったアウダークスに、再び兵士らは顔を見合わせる。

 アウダークスは平然を装っていた。この程度の誤魔化しなど、これまでエドヴァルドを隠しながら育ててきたことと比べれば、大したものではない。


「でもまあ、店の中を見るだけならいいわよ。早くしてちょうだいね」


 不審に思われないため、アウダークスはさり気ない素振りで彼らの提案を呑んだ。奥の私室にだけは絶対に入れるつもりはない。だが逆に、店の中だけだとすぐに彼らは退散してしまうだろう。何しろ店内は狭いのだ。

 アウダークスはジレンマを抱えたまま、兵士らの挙動を見守るしかない。






 アウダークスに指示された通りにクローゼットを横にずらすと、そこには仄暗い通路が広がっていた。

 クローゼットで隠れるほどなので、天井は低い。導くように魔法製のランプが数個下に置かれているが、あまり光量は多くなく、足下は暗かった。

 だが二人は躊躇することなく、暗く狭い通路に足を踏み出す。


「アウダークスの奴、いつの間にこんな隠し通路を作っていたんだ……」


 物心付いた時から彼の店には遊びに行っていたが、エドヴァルドが通路の存在を知ったのは今が初めてである。

 だが確かにあのクローゼットは、部屋に擬態しているかのような色をしていた。おそらく、『隠したい』というアウダークスの無意識の表れだったのだろう。

 しばらく歩き続けると、通路は行き止まりになる。しかし、出口らしきものがない。眼前を塞ぐ岩壁を前に、エドヴァルドが拳を突き出そうとしたが、背後から優しく手首を掴まれた。

 突然の感触にエドヴァルドが驚き振り返ると、オデルがニコニコとしながら彼女を見つめていた。


「あの……?」

「そこに小さな出っ張りがあるよ。壊すのはそれが違ってからでいいんじゃないかな」


 オデルが目で指す方を見ると、確かに不自然な出っ張りが壁の端に存在していた。言われるままにエドヴァルドが出っ張りに手をかけた瞬間、眼前の岩壁が音もなく横に滑った。


「ほら、正解。せっかく綺麗な格好をしているんだから、できる限り手も綺麗なままでいた方がいいよ」

「……暗くて見えなかっただけです」


 ぽそりと呟き、エドヴァルドは早々に通路から脱出した。すぐ力で解決しようとしてしまう思考を、エドヴァルドはこの時初めて、少し恥ずかしいと思ってしまったのだ。

 二人は通路を出てすぐに曲げていた腰を伸ばそうとしたが、それは叶わなかった。今通ってきた通路ほどではないが、そこも天井が低かったのだ。エドヴァルドは自分達が地下のどこに出たのか、即座に把握した。


「まさか、こんな所に繋げていたとはな……」


 そこは、エドヴァルドの両親の職場へと続く道――。以前ラディムが額を強打してしまった、あの道である。

 この道のすぐ先に、両親がいる。

 今日も変わらずハラビナの管理をしているはずだ。


『余裕ができたらでいいから、その姿をセクレトとトレノにも見せてあげて』


 先ほどアウダークスに言われた言葉が、エドヴァルドの頭を掠める。だが彼女は両親の職場に背を向け、急かすようにオデルの手首を掴んで歩き出した。

 今は落ち着いた状況とは言えない。それに会ってしまったら、もしかしたら――決心が鈍ってしまうかもしれない。


 ――自分で決めたことだ。しっかりと、やり遂げる。


 エドヴァルドは唇を噛み、天井の低い通路を早足に進み続けた。





 ようやく天井の低い通路を抜けると、二人は揃って伸びをした。意図せず同じ動作をしてしまったことに、思わず互いに顔を見合わせ、笑みをこぼす。


「それにしても、まさかテムスノーの兵士たちに追われる羽目になるとはね」

「大半はラディムが考えたとはいえ、元はあなたが持ち込んだ『計画』でしょう。こうなることは予想していなかったのですか?」

「正直に白状すると、ここまでとは思っていなかったよ」

「そうですか……。実はオレもです」


 オデルは一瞬目を丸くしたものの、すぐにその顔は笑顔になる。彼女の裏表のない性格は、オデルが今までに接したことのないもので、常に新鮮味を彼に与えてくれる。

 二人が兵に追われることを想定していなかったのは、兵士長のフェンの存在があったからだった。彼が他の兵士達を何とかしてくれるだろうと漠然と思っていたのだ。いささか他力本願かつ楽観的思考であるが、このような謀り事などやったことのない彼らなので、その辺りは多少仕方がない。

 しかしフェンは、『計画』を他の兵士らに伝えることはしなかった。

 否、できなかったのだ。情報がどこから洩れるかわからなかったからこそ、信頼を置く部下にも伝えなかった。だからこそフェンは、今この瞬間も他の兵士らと相対している事態になっているのだ。


「ここまで来るとあと少しです。急ぎましょう」


 ずれかけたヴェールを整え、エドヴァルドは数歩進む。しかし、すぐに険しい顔をして立ち止まってしまった。

 オデルは思わず彼女の背とぶつかりそうになってしまったが、止まった理由を問うまでもなかった。


「……さらに来たか」


 呟いた直後、角から無数の兵士が現れ、彼らの前に立ち塞がったのだ。

 二人を見た兵士らは甚く驚いたあと、背後の兵たちに「いたぞ!」と大きな声で知らせる。

 エドヴァルドは兵士らを鋭く見据えながら、オデルの前に腕をかざした。


「王子、危険です。下がっていてください」


 だがオデルは頭を横に振る。雄鶏のような長い金の髪も、動きに合わせて横に揺れた。


「僕は女性の背後で丸くなっているだけ――なんてことはしたくないんだよ」


 言うや否やオデルは強引にエドヴァルドの前に進み、懐から短剣を取り出した。

 華美な装飾に彩られた短剣の鞘は、実戦向きではないことを如実に物語っている。おそらく儀式用なのだろう。

 鞘から短剣を引き抜いたオデルは、フレールを構えるように短い刀身を正面に掲げた。

 リーチがほとんどない短剣とはいえ、面と向かって王子に刃物を向けられた兵士らは、明らかに動揺していた。


「勇ましいことは悪いことではありませんが、この状況では引いてくれた方が助かります」

「繰り返すけれど、女性の後ろに控えているだけ、なんてことは僕にはできない。しかも花嫁姿の女性だよ? 僕の体面も少し考えて欲しいな……」

「面倒な王子様ですね。そんなことを気にしている状況ではないはずです。いいからおとなしくしておいてください」


 にべもなく言い放つエドヴァルドだったが、オデルも引かない。 


「それは今は聞けないお願いだな」

「いつなら聞いてくださいますか」

「僕の妻になったら、ね」


 直後。

 意を決したように、二人を確保せんと一斉に飛びかかる兵士たち。


「王子は傷付けるな!」

「エドヴァルドに注意しろ!」


 怒号に似た声が坑道内に反響する。


「それも――悪くはないかもな」


 エドヴァルドの呟きは、兵士らの声にかき消されたのだった。






 フライアやオデルを捜索するために街を出た部隊の一つは、現在海沿いの細い道を歩いていた。

 崖に面したその道には、柵など設置されていない。一歩間違えれば確実に死が待っている。崖下からは、波が岩壁を打つ音が絶え間なく響いてきていた。

 この崖があるからこそ、テムスノーは長年に渡り外の国の者を知らず拒み続けていたのだ。

 その危険な道に隣接するのは、城下町からさほど離れていない森だった。

 鬱蒼と茂る緑に目を凝らしながら、兵士たちは進んでいた。

 身を隠すにはうってつけの場所ということで、彼らはこの周囲を捜索していたのだ。緊張感を伴う沈黙を保ったまま、捜索は続く。


「おい……あれを見ろ」


 一人の兵士が小さく言うと、他の兵士たちは一斉に彼へ振り返った。


「見つけたのか!?」


 小声で問う兵士は、しかしそこで眉を寄せる。声を出した兵士の視線の先は森ではなく、海へと向いていたからだ。

 まさか、飛んでいるのか。

 確かにラディムは、背のはねで空をることができる。逃亡の際もフライアを抱えて飛び立っていった。

 身を隠さず、そのまま飛び続けているとは――と、海へと振り返る一瞬の内に兵士は思考し――。


「何だ……あれは……」


 そして、絶句した。

 森に全神経を注いでいたので、海の様子など誰も見ていなかった。見る必要がなかったからだ。だがこの瞬間、海側を見ていなかったことを誰もが後悔した。


「すぐに、王に報告を――」


 掠れた声で言われた兵士は、しかし硬直したまま動かない。


「……早く!」


 怒声に近い叫び声に、この隊の伝令を担う兵士はようやく走りだした。


「本当に、何なんだ……」


 残された者たちは、しばし呆然と眺めることしかできない。呟いたところでわかるものではない。だが、彼らは本能的に理解していた。

 あれら・・・は、幸運を運んでくる使者などではない。

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