第17話 正装

「王女様に、謝っておいてくれないか」


 未だ部屋の中を徘徊するスィネルを後目しりめに、壁際に佇んでいたガティスがラディムに小声で話しかけた。


「何で?」

「無礼なことをした……」

「自分で言えよ。すぐそこにいるんだし」


 半ば面倒臭そうに答えるラディムに、ガティスは肩を落としながら「確かにそうだな……」と返す。


「まぁ、言いにくいっていうあんたの気持ちはちょっとわかるけど」


 ガティスの反応に心なしかばつが悪くなったのか、ラディムは頬を掻きながらフォローを入れた。ガティスはあまり上手くないラディムの言い回しに笑みを浮かべた後、何かを思い出すかのように床を見つめる。


「実は……初めてだったんだ。自分以外の混蟲メクスを目にしたのは」

「フライアが?」

「あぁ。東領は人口も少ないしな。正直に言うと、少し感動した」

「混蟲って本当に少ないもんな……」

「それもあるが――綺麗だと、思ったんだ」


 ガティスの言葉に、ラディムは思わず目を見開き彼を凝視していた。ラディムの反応に気付かぬまま、ガティスは視線を床に固定しながら続ける。


「それまでは自分が基準だった……。見たことがなかったから、ものさしになるものが自分の中になかった。周りの反応で、混蟲は醜くくて怖ろしい存在なのだと、漠然と思っていた。けれど彼女の姿を見た瞬間……それまでの自分の価値観が、根底から覆されたんだ」

「そうか……」


 ガティスも、かつての自分と同じ考えを抱いていた――。

 心の底に沈みかけていた幼い頃の気持ちを呼び起こされたラディムは、静かに瞼を閉じる。ざらざらとした感触が、胸の奥に広がっていく。

『混蟲』という枷に、心まで縛られていた。あの日、彼女に会うまでは。


『だってラディムのその目、とってもきれいだよ』


 あの時の言葉、空気、そして彼女の笑顔は、未だ鮮明に思い出すことができる。思い出す度に愛しさが胸を支配し、少し苦しいほどだ。

 しかし、姿だけで他人の心に影響を与えてしまうフライアが、ラディムは少し羨ましくもあった。


(フライア。否定するかもしれねえけど、お前の存在は、混蟲にとって希望そのものだ)


 だからこそ、この『計画』は是が非でも成功させなければならない。いつか彼女に、『混蟲』としてこの国の頂点に君臨してもらうためにも。


「私も一目見た時から、フライア王女はとても綺麗だと思っていたよ! 彼女こそまさにこの国の宝!」


 突然二人の間に割って入るスィネル。なぜか得意満面の顔で腕を組み、仁王立ちポーズを決めた。


「いきなり話に入ってくんなよ。びっくりしただろうが」


 頬を引きつらせるラディムとは対照的に、ガティスは無表情のまま視線を床に逸らせる。どうやら対応を放棄したらしい。ラディムは「ずるいぞ」と胸中で文句を並べるが、既に手遅れだ。


「それに、ガティスのことも格好良いと思っているよ! 腕が針になるなんて凄いじゃないか。その針の艶やかさも、一級の芸術品にも勝るとも劣らない!」

「わかったからちょっと離れろ。近いから余計にうるせえ」

「それに、空を飛べるなんてとても羨ましいじゃないか! ずるいよ! 私も飛びたいよ!」

「……聞けよ」


 スィネルがガティスを誉め称えている間にフライアが着替えを終えて寝室から出てきていたのだが、しばらくの間誰にも気付かれなかったのだった。







 鏡に映る自分が、自分ではないようだった。

 エドヴァルドはしばし呆けた顔で、向かいに立つ純白の花嫁の姿を見つめていた。

 膝丈までの長さしかないふんわりとしたドレスではあったが、適度にあしらわれたフリルと華美な刺繍のおかげか、子供っぽさはない。

 薄いヴェールにほどこされたレースは細やかで、厳か、かつ神秘的な雰囲気を充分に演出している。

 中央に小さな花が付いた白いハイヒールに履き替えると、元々高かった彼女の身長がさらに底上げされた。


「長い脚がうらやましいこと。このまま南領にある歌劇場の役者になれそうだわ」

「オレが歌うのが苦手だと知っているくせに」

「言葉が話せない役にでもなったら問題ないわ」

「ならその辺の木だな」


 鏡越しに会話を交わした二人はそこで小さく笑いを洩らしたが、やがて沈黙が降りた。

 アウダークスはエドヴァルドの体を後ろから抱きしめた。大きな体からエドヴァルドに伝わってくる力は強かったが、限りなく優しくもあった。


「余裕ができたらでいいから、その姿をセクレトとトレノにも見せてあげて」

「わかった……」


 両親にも既に今回の件は伝えてある。彼らはエドヴァルドの話した内容に随分と驚いていたが、それでも反対はしなかった。ただアウダークスと同じように「悔いのないようにしてきなさい」とだけ告げ、同じように抱きしめたのだ。エドヴァルドの性格を誰よりも知っている両親だからこその反応だった。

 今日の協力を両親にではなくアウダークスに頼んだのは、両親にはハラビナの管理の仕事があったから、というのもあるが、これが彼女にとっての『本番』ではないというのもあった。

 アウダークスは、その辺りのエドヴァルドの気持ちを敏感に察してくれている。


 ――つくづくオレは、人に恵まれている。


 エドヴァルドは何度も心の中で感謝した。

 過酷な運命に抗いながらも今日まで曲がらずに生きてこれたのは、彼らの存在があったからこそ。だからエドヴァルドは、自分が不幸だと思ったことはなかった。

 学問の国、レクブリック。

 テムスノー以外の地を踏んだことはないし、これまでに聞いたこともなかった国だ。それでもエドヴァルドは、フライアとレクブリックの人々を救うため、この決断を下した。

 フライアの心の在処ありかは、この数ヶ月共に過ごしてきて彼女も理解していた。フライアの隣には、あの複眼を持つ少年が常に居て欲しいと彼女は思っている。

 王子がいやな人間であったのならば、エドヴァルドも喜んで婚約準備の邪魔をしていただろう。だがオデルはフライアの心を知ったうえで、さらには混蟲を戦いに巻き込まないために、婚約破棄という決断を自ら申し出たのだ。

 祖国を守るために、この国へ連れて来られたというのに。

 彼の望み通りの婚約破棄の話を進めていた場合、オデルはレクブリック国の人々から、裏切り者と重罪人の烙印を押されるだろうことは想像に難くなかった。

 ……見過ごせなかった。

 人の良すぎる王子も、その国に住まう人々のことも。

 そして、フライアとラディムの心も。

 ただ、それだけだった。

『外の国』で魔法を使い、他国の武力から人々を守る。それがどういうことなのか。多少常識に疎いとはいえ、理解できぬエドヴァルドではなかった。

 見せ物小屋の檻の中に、自ら進んで入るようなものだ。


 ――けど、絶対に上手くいかせる。やってみせる。


 人間がどのような武装をしようが、数人の混蟲の魔法の力でねじ伏せることができると彼女は踏んでいた。それに自分には、並外れた力も備わっている。

 時に自信はおごりとなり、油断と隙を生む。だが、自信がなければ乗り越えられないこともある。

 エドヴァルドの漆黒の瞳には、強い決意がたたええられていた。






 アウダークスは、店の中で待機しているオデルを呼びに行く。間もなく、アウダークスに背中をぐいぐいと押されながらオデルが部屋に入って来た。アウダークスに何か言われたのか、オデルの顔は少し強張っている。


「さぁさぁさぁ王子様。うちの自慢の娘です。どうぞご感想を!」


 オデルは一瞬だけエドヴァルドを見ると、視線を逸らしながらか細く呟く。


「いえ……あの……綺麗です……」

「私を見ながら言ってどうするのよ」


 大きな手に頭を掴まれたオデルは、そのまま強引に首を前に向けられてしまった。首が小さくゴキリと鳴ったのは、たぶん気のせいだろう。


「……綺麗です」

「もっと心をこめて! さん、はい!」

「綺麗ですっ」

「それは何の訓練だ……」


 二人のやり取りに、思わずエドヴァルドは息を吐いて呆れるのだった。

 それにしても、部屋に入ってきた時からオデルはほとんど視線を合わせてくれない。やはり自分がこの格好をすることに問題があるのだろうか――とエドヴァルドはふと考えてしまう。

 確かに、自分にはフライアのような可憐さが全くない。アウダークスは身内だから褒めてくれたのだろうが、実のところ似合っていないのかもしれない。

 ふと、双子の姉の姿を思い出した。絹のように滑らかな髪を持つ、儚げな少女。自分もあのような雰囲気を持っていれば、彼は違う反応を示してくれたのだろうか――。

 その思考に染まりきる前に、アウダークスが声を発した。


「行く前に一つ聞きたいのだけれど。どうしてあなた達はわざわざ一旦逃げたの? その場で『この人と結婚します』と宣言した方が手っ取り早かったんじゃない?」

「それはオレも疑問だったのだがな。ラディムが言うには、計画の実行が『外』だったから、だそうだ」

「外だったから?」


 頷き、オデルが言葉を継ぐ。


「教会の中のように、限定的な空間ではない。つまり『声』が広く行き渡らないのです。『僕が彼女を連れて』逃げるところを多くの人に見せる方がインパクトがあり、しかもわかりやすい」

「それに式を上げる予定の謁見の間まで、警備の仕事があるオレは着いて行くことができない。よしんば馬車の後に着いて行ったとしても、他の兵士らに即刻止められていただろう。だから外で実行したんだ」

「はぁ、なるほどねえ。あのお兄さんもなかなか考えていたのね。……やっぱりこのお店で働いて欲しいわぁ。お兄さんウブだし、きっと人気が出ると思うのよ」

「それは難しいと思うぞ……」


 考えるまでもなく、ラディムは全力で拒否するだろう。まぁ今の仕事も続けられるかわからなくなってしまった今では、次の就職先候補として一応挙げてみようか――とエドヴァルドが考えた時だった。店の入り口が激しくノックされたのは。


「開けてくれ。聞きたいことがある」


 鋭い男の声だった。ノックは数回ごとに繰り返されており、入り口の鐘が振動で小刻みに鳴り続けている。


「あらやだ。そういえば休業日の看板を出すのを忘れていたわ。それにしても乱暴ねえ」


 店内に行きかけたアウダークスを、エドヴァルドが腕を引いて止めた。入り口を睨みながら、彼女は小声で続ける。


「一人じゃない。気配が複数ある」

「まさか――」


 青ざめるオデルに振り返り、エドヴァルドは頷いた。


「追っ手だろうな」

「テムスノー国の兵士も、なかなか優秀みたいだね」


 二人の会話を聞いていたアウダークスは、すぐさま二人を部屋の奥へと押し込めた。


「クローゼットの裏が外に通じてるの。すぐに行きなさい。ここは私が何とかするから」

「アウダークス……」

「早く行きなさい。……本当に、あなたには驚かされてばかりだわ」

「すまない……」

「だからこそ面白いのよ。人生は予測できないからこそ面白い、そうでしょ? あなたが決めたこと、しっかりとやり遂げてきなさいな」

「ありがとう……。ありがとう、アウダークス」


 両親はセクレトとトレノだ。しかしエドヴァルドを赤子の時から見守ってきたアウダークスも、エドヴァルドにとっては親と呼んで差し支えない存在だ。

 アウダークスはエドヴァルドに軽く包容すると、すぐに店と部屋とを隔てるドアを閉めた。


「さて、と。どれくらい時間が稼げるかはわからないけれど、可愛い娘のために一芝居打ちますか」


 未だに鳴り続けている入り口を前に、アウダークスは深呼吸をする。次の瞬間には、彼の顔は仕事用の『キャシー』のものになっていた。


「もう、そんなに叩かないでよ。ドアが壊れちゃうじゃない。それに今日は休業日よ?」

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