第23話 朦朧からの反撃

 このまま動かないでいると、間違いなく丸焦げになる。

 ラディムは何とか腕を交差して、朦朧とする意識のまま魔法を発動した。


「凍てつく空気よ我の元へ、咲き誇れ氷花」


 しかし氷の刃はラディムの腕を覆う間もなく、あっという間に溶けて蒸発してしまった。


(やはりこの程度の氷じゃダメか。水の魔法を使えれば何とかなるかもしれんが……)


 今のラディムは、水のイメージが全くできない状態になっていた。彼の脳が全力で拒否していたのだ。

 混蟲メクスが魔法を使うに当たって、イメージの力というのは絶対な物だ。だが今のラディムはパルヴィの毒のせいで、正常な精神状態を維持できていない。それが彼の水のイメージを大きく阻害する要因となっていた。

 子供の頃に溺れたせいで、ラディムは水が苦手である。だから彼が水を欲しようとすると、その時の記憶が甦ってしまう状態になっていたのだ。


 こんなことになるのなら、水嫌いを克服しておけば良かった――。


 後悔をしているその瞬間にも、炎の柱はラディムへと迫っていた。彼の周りの酸素は燃え盛る炎の燃料にされているらしく、息を吸っても吸っても息苦しさが解消しなくなってきている。

 毒に加えて、酸欠。

 ラディムの呼吸が、いっそう激しいものへと変わった。それがまた彼の苦しさを増幅させる。完全に、悪循環に陥っていた。

 炎の外では、アウダークスがパルヴィと衝突を繰り返している。

 セクレトとテレノは何とか炎を消化できるものはないかと広間を見渡すが、そのような物を見つけることができない。彼らは混蟲ではなく、魔法が使えない普通の人間だ。

 万事休すか――。

 絶望の尾が胸にぎった、その時だった。

 ラディムの脳裏に突如として現れたのは、エドヴァルドに薬を盛られて昏睡させられた時の、フライアの姿だった。

 いきなり自身の中に現れた想い人のイメージに、ラディムは困惑する。

 なぜ、今。

 これはもしかしなくても、走馬灯というやつなのだろうか。こんな所で死ぬつもりなどないというのに。

 頭の中で眠り続けるフライアの目の端から、あの時と同じように涙が滴り落ちた。


 涙――。


 刹那、ラディムの心に小さな灯りが燈った。

 どうして気付かなかったのだろう。


(涙もじゃないか!)


 大量の水は、今はトラウマが邪魔をしてイメージすることができない。でも涙なら簡単すぎた。何せ今まで、幾度となく見てきたのだから。

 やはりフライアは、自身にとって最高の主君だ。泣き顔で誰かを救ってしまうなど、普通はできないであろう。

 ラディムは気力を振り絞り、腕を交差し、そして『イメージ』をする。

 それは、凄く簡単なことだった。ラディムの頭の片隅に、『ある言葉』が瞬時に浮かび上がったのだ。

 これがラディムの、新しい水の魔法の誕生の瞬間であった。

 混蟲が扱う魔法は、形式的なものを誰かから教わるわけではない。自身の内側から自然と『浮かぶ』ものなのだ。


「水精よ、嘆きの雨を我に与えよ!」


 頭に浮かんだ言葉を力強く叫ぶと、ラディムの両腕に澄んだ水が渦を巻くようにまとわり始めた。ラディムはその両腕に力を込めて、一気に横になぎ払う。

 水はラディムの腕を離れ、激しい水流となり炎の柱を瞬く間に飲み込んでいく。

 新しい魔法ながら、その威力は絶大だった。フライアがもたらしてくれた水の魔法に、ラディムは思わず口角を上げる。

 無事に地上に帰った暁には、彼女に何かお礼をしなければ。


「まだ動けたの? お兄さんもしつこいわね」


 アウダークスと交戦していたパルヴィ。

 ラディムの魔法に気付いた彼女は、アウダークスに向けて短剣を突き出すと同時に、力と祈りを込めた言葉を紡ぎ始めた。

 魔法の詠唱が始まる前に、アウダークスは後ろに跳躍して彼女と距離を取る。


「紅蓮の炎よ、紅き剣となりて全てを切り刻め!」


 数にして十以上はあるだろうか。パルヴィの周りに、無数の紅い短剣が突如姿を現した。

 魔力でできた短剣。いつぞやのヴェリスが使った魔法を思い出したラディムは、思わず小さく息を呑む。

 彼女の魔法の発動媒体はまだ不明だ。飛び道具のように即座に飛ばすことができる事が非常に厄介だ。


「行け!」


 パルヴィの号令と共に、その短剣たちは一斉にラディムへと降り注いだ。彼女は毒に犯されたラディムを徹底的に狙っていた。

 ラディムは先ほど腕は動かせたが、足は未だに全く動かない状態だった。

 だがそんな焦る彼の前に、大きな人影が立つ。

 アウダークスだった。

 アウダークスはラディムを連れて避ける時間はないと判断したらしい。両腕を頭の前で交差し、防御の姿勢でラディムの代わりにその短剣たちを迎え撃つ。

 次の瞬間、ラディムの朦朧とする意識を裂き、無数の刃物が空気を切る音が鼓膜を通り抜けていった。

 全ての短剣を受けきったアウダークスの全身から、血がとめどなく滴り落ちていく。ラディムは何もすることができず、その様子をただ眺めていただけだった。

 このままではダメだ。パルヴィの追撃がきたらアウダークスがやばい。彼を助けないと――。

 そう考えてはいるのに、やはりラディムの足は意思とは裏腹に、全く動かすことができなかった。

 アウダークスが片膝を地に付けた。屈強な肉体を持つ彼も、ただの人間であることに変わりはない。さすがに今のはかなりのダメージになってしまったらしい。

 何か魔法を――。

 だがラディムの右腕は左腕と交差することなく、無意識にふところに潜り込んでいた。

 いよいよ毒が本格的に浸透を始めたのか。何をしているのか、もうラディムは自分でもわからなくなっていた。

 立っているのか。

 座っているのか。

 眠いのか。

 そうでないのか。

 それすらもわからなくなってくる。


 ――――ん?


 突如ラディムの右手に触れた感触。

 それは違和感。

 薄い物。


 ぶつ切れになる思考に鞭を打ち、ラディムは必死で考えを巡らせる。


 懐にある、薄い物。

 何だこれは?

 確かめないと。

 どうやって?

 取り出して。


 一つ一つ思考を確認しながら、ラディムはその薄い物をゆっくりと取り出した。

 手の中にあったのは、皺の入った、赤くて薄い布のような物体だった。


「これは……」


 見覚えがあった。

 ……いや、昨日見た。

 ハラビナの、花弁。

 あの巨大な花弁を切り取って持ち帰ったのは良いものの、結局本物のハラビナが見つかったのでイアラには渡さなかったのだ。そしてそのまま持ち続けていたことを、ラディムはすっかり忘れ去っていた。


(ハラビナといえば、確か……。これは一か八か、賭けるしかない――!)


 ラディムはパルヴィに気付かれないようその花弁を噛み千切り、咀嚼した。

 ……苦い。

 口の中に一気に広がる苦味に、思わず眉間に皺を寄せる。だが何とか飲み込むことができた。

 瞬間――。

 ラディムの思考が、意識が、鮮明になっていく。

 厚い雲で覆われていた太陽を一陣の風が吹き飛ばし、瞬く間に日の光が地上に降り注いだ――まさにそのような感じだった。灰色に濁っていた彼の瞳も、元のコバルトブルーを取り戻す。

 エドヴァルドが眠り薬入りのお茶を出した時、彼女はハラビナの花弁には「精神を安定させる効用がある」と言っていた。あの時のことを思い出し、ラディムはそれに賭けたのだ。

 薬の材料として使用されている、ハラビナ本来の効能に。

 エドヴァルドが本当のことを言っていたのかは不明だったので、あの時みたいにまた昏睡してしまう可能性もあった。だがそれでも、ラディムはエドヴァルドの言葉を信じたのだ。

 反撃開始だ。

 ラディムはアウダークスの影に隠れ、腕の突起で自分の服の脇をゆっくりと縦に裂いた。その動作を誰にも気付かれないよう、慎重に。

 準備は整った。ラディムは腕を交差する。そして傷だらけで膝を付いたまま、それでもパルヴィと対峙していたアウダークスに小さな声で呼び掛ける。


「おっさん」

「誰がおっさんよ!?」


 アウダークスはパルヴィから目を逸らさぬまま、ラディムの言葉に即座に抗議した。

 しまった。心の中の声をそのまま出してしまった――。

 ラディムは後悔をするが、今は弁明している場合ではない。後に色々言われそうで怖いが、ひとまずそのことについてラディムは強引に忘れることにした。


「交代だ。休んどけ!」


 声を張り上げるのと同時に、背中にありったけの力を込めて四枚の透明なはねを出す。

 縦に切り裂いていた服が地に落ちるのを待たず、ラディムはパルヴィに向かって飛翔した。







「蒼の光よ、骨肉を砕く力となれ」


 エドヴァルドが言葉を発すると、彼女の両の拳に青のオーラがまとった。力と祈りを込めたその魔法は、打撃の威力を増幅させるものだ。

 エドヴァルドはヘルマンに向かって素早く、そして大きく一歩踏み出すと、彼の鳩尾みぞおち目掛けて掌低突きを繰り出した。

 並の人間がまともに受けたらひとたまりもなく吹っ飛んでしまうだろうその一撃を、しかしヘルマンはまたしても片腕だけで受け止める。


「細い体の癖に、良い威力だな」

「褒めても攻撃はやめんぞ」


 相変わらずの無表情でエドヴァルドは答えると、その体勢からいきなり上へ高く跳んだ。そしてすかさず踵落としをヘルマンの肩に向けて放つ。

 エドヴァルドの足が風を切る音を生む。そして――。

 強烈な踵の一撃が、ヘルマンの肩を襲った。

 しかしヘルマンはその攻撃にも、顔色一つ変えない。全くダメージが入っていないようであった。

 さすがにエドヴァルドも、彼の様子に形の良い眉を寄せる。

 その一瞬の間を、ヘルマンは見逃さなかった。

 ヘルマンは即座にエドヴァルドの足首を掴むと、そのまま壁に向けて勢い良く彼女を投げ飛ばしたのだ。

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