第17話 彼女を追って

 ラディムとフライアは狭く複雑な坑道を進みながら、キャシーが描いてくれた簡易な地図に目を落とす。かなり地中深くに潜ってきた。土の匂いも濃くなっている。この地図を信用するならば、二人は確実に牢獄へと近付いているはずだ。

 不安と自信の入り混じった複雑な感情を持て余すように、ラディムは顔を上げた。


「何だか、兵士みたいな格好をした奴が増えてきたな」


 武装した男が、坑道の分岐に最低でも一人は立っているのを見かけるようになっていた。どの兵士もなめし革の胸当てと、同じく革製の腰当てを身に着けている。女王蟻の居住区が近付いてきたということを、二人は否が応にも実感する。

 その立っていた兵士が、二人に近付いて来てしまった。ラディムは内心しまった、と舌打ちをする。物珍しげに見つめすぎてしまったので、不信感を抱かせてしまったのかもしれない。


「お前たち、見かけない顔だな。何の用があり、どこに向かっている?」


 兵士の動きに合わせ、腰に携えられた剣がカチャリと小さな音を立てる。

 ここで素直に「牢獄を探してます」などとは、口が裂けても言えない。だが、咄嗟に良い言い訳が浮かんでこなかった。それでも何とかして誤魔化さないと、ますます不審に思われてしまうだろう。


「あの、私たちは親戚の家を訪ねようとしている最中なのです。でも、久しぶりなので道に迷ってしまって……」


 説明をしたのはフライアだった。ラディムは彼女がそんな嘘を付くとは考えもしていなかっただけに、酷く驚いた。だがここでそれを態度で表すと、彼女の決死の嘘が水の泡になる。ラディムはフライアの言葉に合わせ『迷って困っているんです』という顔を瞬時に作りだした。演技をするというのはなかなかに気恥ずかしいものだが、無理やりその気持ちを克服する。

 兵士はラディムとフライア、交互に視線を送る。なぜか彼の眉がさらに内に寄った。


「親戚に用事がある割には……混蟲メクスであることを除いても、お前たち全然似ていないな。本当に身内同士か?」


 確かに二人は兄妹のように共に過ごしてはきたが、そこを突っ込まれると何も言い返せない。


(……やばい)


 兵士の目がさらに疑惑を宿したものになる前に、ラディムは意を決し、片手でフライアの肩をぐいっと抱き寄せた。


「ぴェ!?」


 聞いたことのない奇怪な声を上げるフライアは、とりあえず無視した。


「お、俺たち! け、結婚することになったんですッ。そ、それで彼女の親族にご報告にと思って来たんですけど、なにぶん彼女も久々で、それで道を間違えちゃったもんでしてッ!」

「そ、そうなのか。まぁ、その、おめでとう」


 顔を真っ赤にしながら必死に言うラディムに兵士も圧倒されたらしく、それ以上は追求してこなかった。

 何とかこの場は強引に切り抜けた。ラディムは心の中で冷や汗を拭う。

 ラディム以上に顔を真っ赤にさせ涙目になっているフライアの姿は、今は見えないことにしておこう。何よりラディムの心臓が、既に破裂しそうなほど脈打っていたからだ。

 フライアから手を離し、改めて進もうと数歩足を踏み出したところだった。兵士がラディムの肩を小さくつついてきたのだ。


「な、何だ?」


 やはり誤魔化せなかったか――。こうなれば魔法を使い、強行突破をするしかないのか。

 ラディムが口の中で『力ある言葉』を紡ごうとした、その直後だった。


「その、余計なお世話だと思うんだが――。もう少し待った方がいいんじゃないのか? いくら何でも彼女、幼すぎるのでは――」

「…………」


 ラディムはこれ以上ないほど、眉間に皺を寄せた。元々良くない目つきがさらに悪くなる。


「い、いや、すまん。他意はないんだ。ただ一般論として、その……」


 このまま魔除けになりそうなラディムの険しい顔を見て、兵士は慌てて取り繕う。どうやら二人の身長差があるせいで、ラディムは兵士に幼女愛好家だと思われてしまったらしい。

 本当に余計なお世話だった。


「彼女これでも一応、十六歳なんで。さ、さよならっ」


 本当のフライアの年は十五だが、それだと結婚できる年齢ではないのでラディムは一つ誤魔化した。そしてラディムはフライアを荷物のようにひょいと脇に抱え、文字通り逃げるようにその場を走り去る。


「え……ラディム? 今のどういう意味? もしかしてばれちゃった?」

「違う! 何でもねえっ!」


 きょとんとしながら聞いてくるフライアの顔を、ラディムは直視することなどできなかった。まさかロリコンに間違えられたなど、そんなことを正直に言えるわけがない。

 確かにフライアはかなり小柄で年齢よりずっと幼く見えるうえ、容姿も抜群に愛らしい。だがラディムが彼女に惹かれているのは見た目ではなく、あくまで中身だ。二つしか離れていないのにそういう目で見られてしまったことも、ラディムとしては納得できない部分である。


(俺ってそこまで老けて見えんのか?)


 これではフェンのことを言えないなと思いつつも、いや、さすがに自分はあそこまでではない、フライアが幼く見えすぎたのだ――と無理やり自身の心を納得させる。

 しばらく駆け続けると、また次の分岐に辿り着く。今度は兵士は立っていない。

 そろそろいいか――とラディムが複眼で周囲を見回しながら、フライアを下ろそうとした時だった。

 奥の通路から、けたたましい轟音が響いてきたのは。


「――――!」


 耳をつんざくその音は、まるで壁が崩壊したような重い音だった。

 ラディムたちは一度、この音を聞いたことがある。あれは確かそう、エドヴァルドの両親の職場で。


「ラディム。この音、もしかして……」

「あぁ」


 ラディムはフライアを抱えたまま、音のした方向へ迷わず向かった。

 もしかしたら今の音は、エドヴァルドとは全く関係のないことなのかもしれない。だがこの場所が女王蟻の一族の領域内であることを考えると、とてもそうは思えなかった。


「エドヴァルド、派手にやり過ぎんなよ。正体がばれたら終わりだろうが」


 ラディムはさく舌打ちしながら、思わず声を洩らしてしまったのだった。

 全速力で駆ける間もなく、すぐに道が四つに割れた。また分岐だ。


「くそ。どの道に行けば――」

「ラディムあっち! 土埃が!」


 フライアが一番左の通路を指差して叫んだ。彼女の言うとおり、その通路の先だけ薄茶色の噴煙が濛々もうもうと舞っている。

 ラディムは少しだけ躊躇ためらったが、意を決して土埃の中に向けて突き進んだ。だがすぐさま何かに蹴つまづき、ラディムは危うくフライアを抱えたまま前のめりに倒れてしまうところだった。


「あぶねー!?」


 たたらを踏んだラディムは思わず声を出す。

 何に足を引っ掛けたのか。ラディムは瞬時に複眼で地を確認する。

 視界に捉えたのは倒れた人間だった。先ほどから分岐で見かけてきた兵士と同じ格好をしている。抜き身の剣を手にした兵士は、口から泡を吹いた状態で気を失っていた。


「これは――」


 ギィン!

 すぐ近くで、突如鈍い金属音が響いた。金属同士が激しく交差する音が、途切れることなく続く。その音と共に、男の声が響いた。


「貴様、何者だ!?」


 今のは、誰に向けられた言葉なのだろうか。なんとなく、自分たちに向けられた言葉ではないというのは感じたが。

 確認をしたくても、土埃が相変わらず視界を塞ぎ続けている。地下なので風が流れないからか、一向に粉塵が収まる気配がないのだ。

 鬱陶しい――。

 ラディムはフライアの身体を一度下ろし、すかさず両腕を交差させる。そして力と祈りを込めた、ある言葉を紡いだ。


「大気よ、我が身に宿りて荒れ狂う盾となれ!」


 言葉に応え、ラディムの両腕を巻くようにして集まる風。彼は風まとう両腕を、通路の奥に向けて振り下ろした。

 ラディムの放った風の魔法は狭い坑道を駆け抜け、音と共に土埃を一気に吹き飛ばす。


「おし、これで視界確保」


 ようやく状況が理解できた。

 ラディムたちとさほど離れていない場所で、槍を持ったエドヴァルドと、細身のサーベルを持った兵士が対峙していた。

 彼らの後ろには、派手に崩壊した壁の残骸が広がっている。十中八九、エドヴァルドがやったのだろう。先ほどの兵士の言葉から想像するに、エドヴァルドはあの崩壊した壁から登場したのではないのだろうか。

 などと考えているラディムに、兵士が驚愕の眼差しを向けていた。

 突然の暴風とひらけた視界、そして新たに現れた第三者に驚くなという方が無理な話だろう。

 エドヴァルドはその隙を見逃さなかった。

 素早く兵士のふところに潜り込むと、槍の柄の部分で兵士の鳩尾みぞおちをおもいきり突いたのだ。


「――――!?」


 声を上げる間も無く兵士は白目を剥き、膝から崩れ落ちた。

 エドヴァルドは槍を持ち替えながら、困惑した顔でラディムらを見やる。


「……王女様」

「ごめんね。追ってきちゃった。あの、どうしても私、エドヴァルドのことが放っておけなくて……」

「ここまで来たからにはお前も帰れなんて言えねえだろ。もう観念しろ」


 エドヴァルドは目を伏せる。陶器のように白く表情のない顔からは、何を考えているのか微塵も伺えなかった。

 やはり、拒まれてしまうのだろうか。

 ラディムの心に不安が芽生えそうになったところで、エドヴァルドは再び漆黒の目を開いた。


「ありがとうございます……王女様……」


 地に向けて放たれた小さな声は、しかし確実にフライアへ向けたものだった。二人はエドヴァルドの反応に心から安堵する。


「牢獄は、このすぐ先にある。オレが牢獄を壊すから、お前はオレの両親を頼む」

「任せとけって」


 エドヴァルドの頼みに、ラディムは笑みを浮かべながら答えた。「壊すから」の言葉をすんなりと受け入れるくらいには、エドヴァルドの怪力はもう十分に理解できていたのだった。




   ※ ※ ※




 ――支配せよ。統率せよ。


 それは、誰の声か定かではなかった。

 大人か子供か。男なのか、それとも女なのか。それすらもわからない。だが、確かに声は彼女・・の頭の中に響いていた。


 ――支配せよ。統率せよ。


 声なき声は血のように彼女の全身を巡り、伝い、響き続ける。彼女はその声に何の疑問も抱くことなく、ただ受け入れていた。

 この声がいつから聞こえるようになったのか、彼女にはわからない。いや、疑問にすら思わない。

 自身の立場、周りの状況、そして声。

 この場所を支配し、統率する事が自分の使命なのだと、彼女は信じて疑わなかった。


 ――支配せよ。統率せよ。


 声は、静かに響き続ける。



   ※ ※ ※

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