第12話 保護者の憂慮

 鳥が羽を広げたような構造のテムスノー城。城の中央部分――皆が『胴体』と呼ぶ一階の端に、イアラが常駐している医務室はある。

 その扉をノックする、一人の男がいた。ラディムが『フケ顔』と評する、兵士長のフェンである。

 先の魔道士との戦いで瀕死の重傷を負った彼だが、イアラの魔法による治療と数週間の療養により、すっかり元気を取り戻していた。


「はあい」


 フェンのノックに、医務室の中から間延びした声が返ってきた。この声を聞くとフェンだけでなく、皆一様に毒気を抜かれる。それは王ノルベルトさえ例外ではない。


「フェンです」

「はいはいどうぞー」


 緊張感のない促しに素直に従ったフェンは、中に入って早々口を開いた。


「イアラ先生、聞きました?」

「何を?」

「ラディムとフライア様が、地下に向かわれたそうです」

「あらあらー。大変」


 言葉とは裏腹に、大変だとは微塵も思っていなさそうなのんびりとした口調で言うイアラに、フェンは脱力しながら小さく息を吐くしかない。

 イアラはフェンの様子などお構いなしに、薬の瓶が並ぶ戸棚を整理し続けていた。その瓶の内の一つを手に取り、しげしげと眺める。透明度の低い緑の液体が入ったそれは、ラディムらが採ってきたハラビナの葉をすり潰して作った薬だ。


「王が直々に許可を出されたらしいので大丈夫だとは思うのですが……。いや、でもここのところ地下から不審者がやってきておりまして。今日も一人捕まえたのですが、特に何をしたわけでもないのですぐに釈放されました。しかし不気味ではあります」


 イアラは所狭しと並んだ瓶とにらめっこをしていて、何も答えない。


「それに、ラディムもまだまだ未熟なところが――」

「フェンさん」


 言葉を遮られたフェンの目が、わずかに見開いた。このあくせくしない城の専属医が、会話に割って入るようなことは滅多にない。

 面を食らった顔を晒すフェンに、イアラは太陽のような笑みを浮かべながら続けた。


「あの子を、信じましょう?」

「イアラ先生……。しかし――」

「断言するわ。彼は地上で暮らす混蟲メクスの中では、間違いなくトップクラスの能力を持っている。二種混じっている混蟲なんて、私の知る限り今の時点では存在していないもの」


 過去には多少はいたかもしれないけどね、とも付け加えるが、フェンもその意見には同意だった。

 なにより、戦い方をラディムに指導したのは他ならぬフェン自身だ。彼の持つ身体能力と扱える魔法の豊富さに、フェンも何度舌を巻いたかわからない。彼の鼻が高くならぬよう、その心を直接伝えることはしていなかったが。


「でも、イアラ先生。ラディムは家を出てからすぐにここに来た。あいつは世間というものを禄に知らないんですよ。俺はそこが心配で――」

「そうかしら? 大丈夫だと思うんだけどなあ」

「あいつは、子供なんです」

「確かにここに来た時は子供だったけれど、もう十七になるのよ。ほぼ大人じゃない」


 すぐさま返ってくるイアラの返事に、フェンは思わず眉間を押さえていた。フェンの様子を見たイアラは静かに笑い始める。


「フェンさん、本当にラディム君の保護者みたいね。あなたが命を救った弟分が心配なのはわかるけれど、あれからもう五年が経っているのよ? 子供って、大人が思っている以上に一年で成長するんだから。過保護が成長を阻害することになるわよ?」


 年齢不詳の専属医はニコニコとそう述べたのだった。

 過保護、と称されたフェンは苦い笑みを浮かべることしかできない。薄々自覚はしていたが、ラディムのことになるとどうも自分は必要以上に不安を抱いてしまうらしい。


「とりあえず今はそのことは置いといて――。私と大人のお話でもします?」


 フェンの胸当てを人差し指でスッとなぞるイアラに、フェンは狼狽しながら数歩下がる。

 彼女は美人なうえに、独身でもある。イアラのことを混蟲だと知らない兵士の中には、彼女に憧れ以上の心を抱いている者もいた。その兵士らにこの現場を見られてしまったら、たちまちフェンの立場は危ういものになるだろう。主に嫉妬の対象として。


「と、とにかく、またあいつがイアラ先生のお世話になるかもしれないって事で。し、失礼します!」


 フェンは逃げるように医務室から出て行くのだった。


「あらあら。あんなに顔を赤くしちゃって。フェンさんも可愛いところあるのねえ」


 半開きにされたままの医務室の扉を眺めながら、イアラは一人でコロコロと笑った。


「大丈夫よ、フェンさん。ラディム君と姫様が一緒なら――。あの二人なら、混蟲と人間との間にできてしまった溝を、きっと埋めてくれる。新たな歴史を、作ってくれる」


 金髪の城の専属医は目を閉じ、何かを確信したように穏やかに呟くのだった。







 真昼並とは言わなくとも、足元を気にせず歩ける程度に明るい坑道内。入り口付近は薄暗かったのだが、場所によってランプの光量は違うらしい。

 壁に点在するランプは、混蟲メクスの魔法を利用したランプを使用している。夜になると自然に光量が落ちるようになっていた。

 そのようなランプの構造など知る由もなく、ラディムとフライアは坑道内を歩き続けていた。

 坑道は迷路のように入り組んでいる。

 がむしゃらに進んだら間違いなく迷ってしまうと踏んだ二人は、右の壁伝いに進んで行く方法を取っていた。効率は悪いかもしれないが、確実に進むことができる点を考慮すれば、多少の時間ロスは仕方がない。

 その彼らに接近する男が二人いた。

 二十代前半とおぼしき二人の口からは、酒の臭いが漂っている。見るからに『ならず者』といった風貌の二人組だ。

 複眼で男らの接近に気付いていたラディムだが、あえてその場を離れることはしなかった。避けるために別の道を進むと、確実に迷子になってしまうだろう。自分たちで決めた『右の壁伝いに進む』というルールを今は徹底させたかったので、ラディムはあえて男たちの接近を許したのだった。ただし、警戒心は最大レベルに引き上げたまま。


「よう、可愛い蝶のお嬢ちゃん」

「は、はい。こんにちは」


 ラディムの存在は視界に入っていないのか、それともわざと視界に入れないようにしているのか――おそらく後者だろうが――男の一人がフライアだけに声をかけた。それでもラディムは何も言わない。下手に会話を遮ると、有益な情報を逃してしまうかもしれないと踏んでの対処だった。


「これからどこかにお出かけかい?」


 もう一人の男の視線も、フライアにがっちりと固定されたままだ。あからさますぎる男らの態度に、ラディムの口は苦笑の形を取らざるをえない。


「はい、そうです。あの、少しお尋ねしたいのですけれど。女王蟻さんってどこにいらっしゃるかご存知ですか?」

「女王蟻ぃ? お嬢ちゃん、もしかしてあのおっかねえ女王蟻の知り合いだったりするなのか?」

「い、いえ。そういうわけではないのですが……」


 男たちにとって、女王蟻はとはおっかない存在らしい。エドヴァルドから聞いた話をぼんやりと思い出していると、男の一人がニタリと下卑た笑みを浮かべた。


「そんなことよりさあ、お嬢ちゃん。俺たちと良いことしねぇ?」

「え? 良いことですか?」


 唐突な話題転換にきょとん、とした顔でフライアが問うと、男たちはさらに笑みの表情を濃くした。


「そう、良いこと。お嬢ちゃんも俺たちも最高に気持ち良くなる良いことだよ」


 ラディムを無視したまま、男たちは下心が隠し切れてきれていない言葉をフライアに投げ掛ける。その男らに律儀に対応しようとするフライアの耳を、ラディムはすかさず後ろから両手で塞いだ。

 この男たちからこれ以上有益な情報は得られそうにない、と判断したのだ。


「え、ラディム? これじゃあ聞こえないよ」

「今すぐ俺たちの目の前から消えろ。消えないなら、消す」


 フライアの抗議の声は聞こえない振りをしたまま、ラディムは低い声で男らを脅し、鋭い目でギラリと睨み付ける。

 それまで沈黙していたラディムの突然の反応に、男たちはあからさまにたじろいだ。どうやら大したことのない奴と思われていたらしい。

 まあ、連れの女性が声をかけられているのに何もせずじっと見守っていただけなのだから、男たちにそう思われてしまっても仕方がない気もするが。

 どこか納得いかない気持ちを晴らすべく、さらに眉間に皺を足したところで、男たちは気圧けおされたのか一歩後ろへと下がった。


「あぁ……えぇと、もしかしてこの子、兄ちゃんの彼女だったりする? いや、てっきり似ていない兄妹かと思ったもんでね」

「し、失礼しやしたぁ」


 言い訳がましい言葉を吐きながら、蜘蛛の子を散らすように男たちは坑道の向こうに姿を消す。彼らの背に唾を吐きたい衝動を押さえながら、ラディムは今だけは自分の目つきの悪さに感謝するのだった。

 しかし彼らが去りぎわに吐いた単語が、ラディムの中で引っかかったままだ。


「兄妹って……。俺ら、そんなふうに見えているのか……」


 フライアとの身長差がそう見させているのだろうか。

 確かにフライアと出会って以来、身分など関係なく兄妹のように生活を共にしてきたが、ラディムの中で釈然としない感情が芽生える。


「っつーか例え兄妹だとしても、お前らなんぞにくれてやる妹はおらんわ」


 既にいない男たちに毒づいたところで、フライアが小さく声を上げた。


「あの、ラディム。このままじゃ聞こえないよ」


 フライアの控えめな抗議に、ラディムは慌てて彼女の耳から手を離す。ようやく耳が自由になったフライアは、不機嫌な顔をしているラディムを不思議そうに見つめていた。

 先ほどのようなやり取りも、実のところこれで四回目であった。ずっとこの調子で、下心を隠しきれていない男たちがフライアに声を掛けてくる。

 彼女の愛らしい容姿に加え、背中が大きく開いた際どい格好をしているので吸引力があるのは仕方がないと言えるが、やはりラディムにしてみれば面白くない。

 エドヴァルドを追いかけるとは言ったものの、ラディムもフライアも、地下の地理についてはまったくの無知である。そこで仕方なく、話しかけてきた男たちから情報収集をしようとしているのだが、成果はサッパリだった。かといって、こちらから声をかけても問題なさそうな風貌の人間には、今のところ出会えていない。もしかしたら、この辺りは地下の中でも特に治安が良くない区域なのかもしれない。


「本当に地下って危険な所だぜ……」


 ラディムが溜め息とともにぼやくのも仕方がないだろう。

 だが歩き回っているおかげで、この地下の構造がおぼろげながらわかってきていた。

 通路となっている狭い坑道は曲がったり、何本にも分かれていたりと複雑なのだが、大体その先は行き止まりになっていて何かしらあるのだ。

 ほとんどはエドヴァルドの家のような個人宅と思われるドアだが、たまに食料品店や雑貨店など、店の看板もぶら下がっていることもあった。

 要するに蟻の巣を横に広げ、通路を物凄く複雑にしたのが、この地下の構造らしい。女王蟻が支配しているという事が伺える地形ではあるが、初めて足を踏み入れた者が非常に困る構造である。

 そんなことを考えるラディムの後ろを歩くフライアから、小さな声が発せられた。


「さっきからみんなに良いことをしようって言われるけれど、良いことって何だろう……」


 彼女の独り言を、ラディムは額に汗を滲ませながら聞き流す。フライアに本当のことを知らせてはいけないと、謎の使命感が強く湧きあがっていた。


「あ。もしかしてゴミ拾いかな? うん、きっとそうだ。良いことだし、気持ちよくなるもんね」


 ――うん、そうだな。ゴミ拾いだな。スッキリするし間違いないな。

 ラディムは心の中で相槌を打ちながら、フライアがもう少し純粋なままでいてくれることを切に願うのだった。そのあたりの『純粋ではない』ことは、できるなら自分が――と若干いけない思考に入りかけたところで、今度は彼女の澄んだ声がラディムの思考を遮った。


「あ、また行き止まりだ。今度もお店だね」


 フライアの声に我に返り前方を見ると、確かにドアの横に木製の看板がぶら下がっているのが見えた。その看板には黄色い字で『酒場☆キャシー』と書かれてあった。

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