第11話 混蟲になった王女

 フライアはその日から、自分のことはすべて自分で何とかする生活を余儀なくされた。三人の侍女たちが、こぞって城を後にしたのだ。それだけでなく、後任も決まらなかった。城に残った侍女たちも、ことごとくフライアの元に就くのを拒否したのだ。

 フライアは、自分のことは自分でする、だから侍女たちに無理強いをさせないように――と、ノルベルトに自ら申し出た。

 それは、彼女なりに心を守る手段だった。

 混蟲メクスに対する嫌悪の感情を抱いたまま侍女の仕事を頼んでも、いずれその侍女も自分の元から離れてしまうだろう。ならば、最初から近付けなければいい。皆も嫌な気分にならずにすむし、自分も傷つかずにすむ。

 そうフライアは考えたのだ。

 三人の侍女たちの離任は、幼いフライアの心を深くえぐっていたのだった。


 朝、起きてからシーツを整え、自ら洗濯場へと足を運ぶ。奇異の眼差しで見つめてくる侍女たちに、フライアは小さな声で「お願いします」とお辞儀をし、逃げるように洗濯場をあとにする。侍女たちも「ご自分で洗ってくださいませ」などと、そこまで薄情なことは言わなかった。否、言えなかった。混蟲になってはしまったが、仮にもフライアはこの国の王女なのだから。

 フライアがいちばん困ったのは、服だった。

 背中から生えるはねのせいで、今まで着ていた服を着ることができなくなってしまったのだ。

 混蟲の中には、蟲の部位を意図的に隠すことができる人も多数存在している。しかし、フライアの翅はどんなに頑張っても引っ込めることはできなかったのだ。

 暫定的にドレスの背中部分だけを切り落として着ていたのだが、どうにも安定せず、すぐにずり落ちてしまう。仕立て屋を呼んでも、すぐに服はできあがらない。だからといって、何も身に着けないわけにもいかない。

 フライアは熟考の末、城下街に出て自分に合う服を探し回ることにした。

 同行してくれたのは、炊事場で働く侍女の一人だけだった。

 栗色の巻き毛を持つ線の細い彼女は、フライアに対して特に嫌悪の感情を出さなかった。さり気なくフライアが尋ねたところ、親戚に混蟲がおりますから、とのことだった。理解してくれる人間が城の中に少なからずいることに、フライアは心から安堵した。

 城下町の中を、青い翅を背負って歩き回るフライア。その姿のせいで、意図せず目立ってしまっていた。


 ――あれは、王女様ではないのか。

 ――混蟲だ。

 ――王女様が混蟲になってしまわれた。


 人々の率直な呟きが、容赦なくフライアの耳を打つ。フライアは聞こえない振りをして歩き続けるしかなかった。「あの翅きれいだね」と呟いた子供の言葉には幾ばくか救われたが、その子供の頭を母親がはたいていた。

 フライアのことは、こうして瞬く間に城下町の人間にも知れ渡ることとなってしまう。

 フライアはそれまで、一人で城の外を歩いたことがない。生活に必要なものはすべて城の者が揃えてくれていたし、外出する時も常に誰かが側にいた。それはノルベルトだったり従者だったり、馬車の御者だったりと様々であった。

 しかし今、フライアが頼れる人は誰もいない。フライアはこの時、フェンとイアラが混蟲だということをまだ知らなかったのだ。

 同行してくれている侍女は、あまり城下町のことは詳しく知らないようだった。そういうわけで、仕立て屋を見つけるのにフライアはかなり歩き回る羽目になってしまった。

 足にだるさを覚え始めた頃、ようやくフライアは一件の店を見つけることができた。店に入ってきたフライアの姿を見て、店主はたいそう驚いた。フライアが身分を明かし、そして事情を説明すると、複雑な表情のまま接客を始める。

 フライアが要望を伝えると、すぐさま店主は店の中に並んだたくさんの服の中から一着を選び、彼女の元へと運んできた。その服を見て眉根を寄せたのは、フライアではなく侍女の方だった。

 店主が持ってきた服は、王族が着るなど到底考えられないデザインであったからだ。

 それは、腰付近まで背中が大きく開いた、丈の短いドレス。

 そのような格好で過ごしたら、確実に品がないと受け取られてしまうだろう。周囲が冷たい視線を送ってくるさまも容易に想像できる。しかし、これこそがフライアの求めていた服だったのだ。


「あの、これと似たような服があれば、他にも見せてください」


 フライアの頼みに、店主は困惑しながらもまた別の服を持ってくる。色やデザインは多少違ってはいたが、どれも一国の姫が着るようなものではない。それらの服を、フライアはほとんどその場で買い取った。

 公の場に出るための、丈が長めのドレスも用意してもらった。やはりそれも背中が大きく開いているものだった。






 城に帰還してから、フライアはさっそく服に腕を通した。翅があっても問題なく着ることができる。これで当分はどうにかなるだろう。

 フライアは衣装部屋に行き、数日前まで着ていたドレスを流し見る。どれもフライアのお気に入りのドレスで、着る時は侍女たちが手伝ってくれた。その間に交わす他愛のない会話の時間が何よりも好きだった。だが、もうその時間は戻ってこない。これからも、きっと。

 フライアは一度大きく息を吐くと、一着のドレスを手に取り、部屋に戻る。そして裁縫道具を取り出し、背の部分に鋏を入れた。

 これまでの時間と別れを告げるかのように、ゆっくりと鋏を入れ続ける。そうして切った端の部分を、覚束ない手付きで新たに縫合していく。侍女たちから教わった裁縫の仕方で。

 涙を目の端に溜めながら、フライアは針を通し続けた。





 服の買い出しに付き合ってくれた侍女は、間もなく城を去ってしまった。混蟲と関わったという理由で、他の侍女たちから嫌がらせを受けたのだ。

 その事実を知った夜、フライアはベッドに顔をうずめ、静かに泣いた。




 溺れていた混蟲の少年を救助し、城で保護した――という情報がフライアの耳に入るは、この一ヶ月後である。



   ※ ※ ※




 朦朧とする意識をはっきりとさせるため、ラディムは頭を軽く振った。

 彼の隣では、意識を失う直前に見た時と変わらぬ姿のまま、フライアが机に突っ伏している。

 一瞬嫌な予感がラディムの胸をよぎるが、規則正しい小さな寝息が、彼女が無事であることを暗に告げていた。ラディムはホッと胸をなで下ろす。

 複眼で瞬時に室内の状況を把握するが、見える範囲にエドヴァルドの姿はない。だが、入り口のドアに紙きれが挟まれているのを見つけた。近付いて手に取ると、それには小さな文字が記されていた。


『親愛なる王女様。

 どうぞ、すぐにお城にお戻りください。

 ここまで来てくださったのに無礼な行動でお返しする形となってしまったことは謝罪いたします。大変申し訳ございません。

 そして、自分のために本当にありがとうございました』


 ラディムはエドヴァルドが一服盛ったのだと理解した。おそらく、あのお茶だろう。ハラビナの花弁を利用している、と彼女は言っていたか。

 ラディムはたまらずくしゃりと紙を握り潰す。紅い茶の甘い味がまだ口内に残っていたが、気分は苦い。


「完全に油断した……」


 ため息を吐き、首を左右に傾けて鳴らす。変な角度で寝ていたせいか、首が少し痛くなっていた。

 彼の視界には中身が派手に撒けられた氷嚢と、無造作に机に転がるティーカップも映る。思わず不安になり反射的に頭に手をやるが、幸いにも髪は濡れていなかった。

 ラディムは、まだ穏やかな寝息を立て続けているフライアに静かに近付いた。彼女を見た瞬間、ラディムの眉間に皺が寄る。


「なに、泣いてんだよ……」


 紫紺の髪の隙間から見える目の端に、小さな水滴があったのだ。

 ラディムは指の先で、フライアの涙をそっと拭う。湿った指先から、彼女の切なさが体の中に入り込んでくるようだった。


「嫌な夢でも見てるのか……」


 ラディムにも心当たりがあった。昔のことを夢で見るのは、彼にとっても珍しいことではない。

 できればすぐに彼女を抱きしめ、安心させてあげたかった。フライアの苦悩を受け止め、真の意味で共感してあげられるのは、今はきっと自分しかいない。

 だが――。

 ラディムは主のいなくなった家の中を見回す。

 今は一刻も早く、エドヴァルドを追いかけないとならないだろう。女王蟻の一族というのが、一筋縄ではいかない連中だということは彼もエドヴァルドの話を聞いて理解していた。なにせ、ずっと地上からの介入を拒み続けてきた連中なのだ。

 その女王蟻の一族の元に、エドヴァルドはおそらく単身で向かった。


「……あいつも、面倒くさい奴だな」


 エドヴァルドがわざわざ眠り薬を盛ったのも、王女であるフライアの身を案じての行動なのだろうということはラディムも理解していた。

 できれば、フライアにはこのまま城に帰ってほしいと彼も思っている。だが今ラディムが優先すべきものは、自分の想いでもエドヴァルドの想いでもない。フライアの意志である。

 フライアに着いていく。自分はそう決めたのだ。

 ラディムは眠り続ける主君の肩を揺らし、無理やり起こしにかかった。


「おい、フライア。起きろ」

「……ふ……ん?」


 寝ぼけ眼でゆっくりと顔を上げる彼女を見ながら、ここでラディムはあることに気付いた。

 もう少しだけ、寝顔を観察しておけば良かったかもしれない。


(いや、馬鹿なことを考えるな俺! でもやっぱり少しだけ勿体なかった――ってそうじゃない!)


 自分にツッコミを入れながら頭を抱えていると、完全に目覚めたフライアが怪訝な視線をラディムに送っていた。意図せず、ラディムの額に冷や汗が流れる。

 今考えていたことをフライアに悟られたら、ラディムに対する好感度が急降下するのは間違いないだろう。ここはいつもの態度で、ごく普通に接することが大事だ、とラディムは息を整えた。


「エドヴァルドの奴にやられた。俺たち、眠らされていたんだ」


 フライアはラディムの言葉にハッとすると、慌てて周囲を見回した。


「そ、そんな……。エドヴァルド……」

「落ち込んでいる場合じゃねーぞ。さっさとあいつを追いかけよう。人の厚意を踏みにじる奴には、おしおきが必要だ」

「ラディム……」


 小さく揺れていたフライアの瞳が、強い光を湛えたものに変わった。


「ん……そうだよね、行こう。きっとエドヴァルドはお父さんとお母さんの所に行ったんだよね」

「たぶんな。それにしても俺たちを置いて一人で行くとか、見くびられたもんだな。俺だってただのコネで護衛を続けているわけじゃねえってのに」


 城に来た経緯こそ偶然が重なってではあるが、城内の人間の中ではラディムの戦闘能力はかなり高い方だと自負していた。互角だと明言できるのは、今のところフェンしかいない。


「うん、ラディムはいっぱい魔法が使えるし、強いものね。それにラディムほどではないけれど、私にだって魔法がある。ここまで来て引き返す気はないよ」


 白い手をぎゅっと握り、強く言い切るフライア。互いに意志を再確認したところで、二人はエドヴァルドの家を出た。

 来た時は駆けていたため、周囲を観察する余裕などなかった。改めてラディムは、地下の通路を複眼も駆使して見やる。

 岩壁をくり抜いた道は、直線がほぼない。複雑に曲がっているうえに、分岐も多数存在している。まるで迷宮だ。

 天井こそ整備されていないものの、岩壁には一定間隔でランプが埋められている。非常に微弱ではあるが、ランプから魔法特有のオーラが発せられているのをラディムは感じ取った。あれらもおそらく、魔法道具なのだろう。

 人間たちの目を気にすることなく過ごせる地下は、真の意味で混蟲の王国なのかもしれない。そう考えたラディムの胸中は複雑だった。仮に家を飛び出した時に地下の入り口の存在を知っていたら、自分はここに来ていたのだろうか。

 不規則に揺れながらもしっかりとした光を放つランプをぼんやりと見ながら、ラディムはわずかに目元を細める。

 フライアが声を発したのは、その時だった。


「エドヴァルドって、笑ったらすごく可愛いよね」

「――――は?」


 突然放たれたフライアの言葉は、ラディムが瞬時に理解できるものではなかった。


「……そうか?」


 それだけがかろうじて口から出る。ラディムの反応に、フライアは心底不思議そうに小首を傾げた。


「うん。さっきの顔を見てラディムは思わなかったの?」

「いや、可愛いっていうか――」


 言いかけて、ラディムは目を丸くした。


「え……ちょっと待て。もしかしてお前、エドヴァルドの正体を知って……?」

「正体?」


 そこまで言って、ラディムは内心しまった、と舌を打つ。

 今のフライアの言葉は、単にエドヴァルドが『男性として』可愛い、という意味だったのかもしれない。エドヴァルドが女性だと知らなかった場合、『誰にも言わない』という彼女との約束を反故ほごにすることになってしまう。どうするべきか。

 少し考えたところで、いや、フライアだけになら問題はないだろう――とラディムは開き直った。フライアは秘密を言いふらすような性格ではないし、そもそも言う相手がいない。


「その、ここだけの話なんだけどな……。実はあいつ、女なんだ――」

「あぁ、うん。知ってたよ」


 間髪入れず返ってきたカラリとした答えに、今度こそラディムは頭の中が真っ白になった。


「知ってた……」

「うん」


 ラディムは脱力しながら岩壁にもたれかかる。


「……それって、いつから?」

「え? エドヴァルドと出会った時だよ。男の人みたいな格好をして、名前も男性名なのはどうしてなんだろうってずっと思っていたのだけど、聞くタイミングがないまま今日まできちゃった……」


 苦笑するフライアの顔を直視できず、ラディムは堪らず視線を逸らす。

 フライアがエドヴァルドのことを追いかけようと言ったのは、ただ彼女のことを想っての言葉だったのだ。つまり、あの時ラディムがエドヴァルドに抱いた嫉妬心は、純粋に女性に向けてのものだったことになる。


「だっせえ……。マジでだっせえんだけど俺……」


 ラディムは顔を手で覆い、泣きたくなるのを必死で堪えるのだった。


「どうしたの? 大丈夫?」


 ラディムの心の内など露知らず、フライアは小首を傾げながら彼を案じる。その仕草が、またラディムの心臓の速度を強引に上げさせるのだ。

 自分の心は、何度この少女に翻弄されているのだろう。絶対に言ってたまるか、とラディムの中に変な意地が発生した。


「何でもない。それよりフライア。一つ聞きたいことがあるんだが」

「ん、なぁに?」

「その……。お前と会った時、俺って一体どんな目をしていたんだ?」


 エドヴァルドを追いかける前、フライアは言った。エドヴァルドは初めて出会った時のラディムと、同じような目をしていたと。

 フライアは一瞬だけ憂いを帯びた表情になるが、すぐに人差し指を口元に当て――。


「秘密」


 そして小さく舌を出し、イタズラっぽく片目を閉じた。

 もう少し突っ込んで訊いたら、おそらくフライアのことだから話してくれるだろう。だが今の仕草が小動物の動きのように愛らしかったので、ラディムはそのことについてはもうどうでもよくなったのだった。

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