第2話 恋人たちの公園
等間隔で植えられた街路樹がいくつも並ぶ、街へと続く広い道。
街路樹の上からは小鳥の
フライアとラディムの二人は、その緑溢れる街道をのんびりと歩いていた。
いや、のんびり歩いているのはラディムだけで、彼の前を歩くフライアはちょちょこと小動物のように小走り気味だったのだが。肩まで伸びた紫紺の髪が、踊るように左右に揺れている。
フライアは外に出ると、たまにこういう歩き方をする。ラディムがペースを落とさず歩けるように気を使っているのだろうが、身長差がかなりあるせいで、フライアの努力はあまり実っていない。
それでもラディムが何も言わないのは、その歩き方が可愛いらしくて、彼の心の琴線を激しく揺さぶっていたからだ。
ラディムは小柄な主君の背中から生える、青く美しい蝶の
今から千五百年以上も前のこと。失われた大陸に住んでいた魔道士が、人間と虫とを融合させる実験をしていた。その人体実験から集団で逃げ出した者達が創ったのが、この国だった。
伝説の
そして一ヶ月ほど前、とある事情で彼らの『創造主』である魔道士と、相対する事態となったのだ。今、その魔道士は本当の意味でこの世からはいなくなってしまった。
フライアやラディムは、この国では『
祖先は同じであるのに、虫の部位を持って生まれなかった者が、いつしか持って生まれた者を侮蔑し始め、この呼び名を使うようになった。他に適当な呼び名があるわけでもないので、『混蟲』自身もこの呼び方を仕方なく受け入れている状況だが。
時代が移り変わっていっても、人間とは常に周りより優位に立ちたい性質らしい。
面倒臭いよな、とラディムが心の中で嘆息した、その時だった。
「エドヴァルドとお父様、何のお話をしているのかな」
振り返り、何の脈絡もなく唐突に話しかけてきたフライア。ラディムは驚き、少しだけ肩を震わせる。真っ直ぐと見つめてくる彼女の視線を避けるように、ラディムは横に目を逸らした。
フライアの格好が際どいから、目のやり場に困ったのだ。
背中から生える翅のせいで、フライアは姫としてのドレスどころか、普通の服すら着ることができない。まるでネグリジェと言っても過言ではない、背中の大きく開いた薄いワンピースを身に着けている。しかもその丈も見えそうで見えない、絶妙な長さだったりするのだ。
フライアは翅が生えてからいつも同じような格好をし続けているのだが、何年見続けても慣れないものは慣れない。特に最近は愛らしさに加え年相応の色香も混ざり始めているものだから、年頃のラディムには目の毒でしかなかった。
「……知らん」
ラディムは内心を悟られないよう、短く返事をする。
フライアの口からエドヴァルドの名前が紡がれて、正直良い気持ちにはなれなかった。
エドヴァルドが来てから、既に半月以上経つ。
王女の護衛という仕事上、彼とラディムは日中ほとんど一緒にいる。にも関わらず、無口で無表情なエドヴァルドとラディムは、まだ打ち解けてはいなかった。
お互いに干渉しないようにしているのが一番の原因であったが、わざわざ深い仲になろうとは考えていなかったので、別にこのままでいいとさえラディムは思っていた。
今日はノルベルトに呼ばれて、何やら重要な話をしているらしい。どこか別の場所に異動してくれたら嬉しいのだが――とラディムは密かに灰色の感情を交えながら思った。
大型の鳥が彼らの頭上を旋回し、遠ざかる。落ちてきた影を目で追いながら、二人は歩き続けた。
彼らがなぜ街道を歩いているのかというと、城の専属医イアラにお使いを頼まれたからだった。
先日の魔道士の件以降、フライアは自身の内に隠し持っていた『紅い宝石』についての研究を、ラディムと共に密かに再開していた。その『研究』は、多くの人間が思い描くようなものとは違う。
記録媒体の宝石には魔道士によって結界が張られており、記録を見ることができない。その結界を解除する方法を探るのが、彼女らが『研究』するべきことだった。
結界を解除するためには、魔法の力を使わなければならないということを、フライアもラディムも直感で感じていた。しかしこの国の人間たちは、
しかしその研究も、エドヴァルドが来てからは中断していた。
ノルベルトが直にフライアの護衛にしたくらいだ。信頼していないわけではない。が、やはり混蟲ではない人間に研究のことを打ち明けるには、まだ抵抗があったのだ。
研究所は城の地下牢の先にある。
フライアとラディムはエドヴァルドが呼び出された僅かな時間を利用して、久々に研究室に向かおうとしていた。そこを城の専属医イアラに呼び止められたのだった。
イアラがラディムに頼んだのは、花の採取だった。薬の調合に必要だという。
イアラも、ラディムやフライアと同様に
混蟲はその成り立ちも関係して、魔法を使えることができる。イアラが使えるのは回復魔法だが、それは開いた傷を塞ぐ効果しかない。病気は魔法では治療できないのだ。
イアラには普段から世話になっているので二つ返事で頷いたところ、その話を聞いていたフライアも着いて行きたいと主張し、今に至る。
ノルベルトとエドヴァルドが何を話しているのかは知らないが、おかげで久々にフライアと二人きりの時間ができたな、とラディムはふと思った。
――――二人きり。
その言葉を意識してしまったラディムの心臓が、途端に倍の早さで脈打ち始める。
一ヶ月前までは当たり前だったことなのに、エドヴァルドが来てからはその『当たり前』が特別なことになってしまったのを、今さらながらに実感する。
何を話そうかと緊張しながらフライアに顔を向けると、彼女の薄紅色の目の端には涙が溜まっていた。ラディムはぎょっとして、思わず足を止めてしまった。
「お、怒らせるようなことを
オロオロしつつも何の行動もできないラディムに、フライアは目を潤ませ上目遣いで呟く。
……あぁ、そういうことか。
彼は心の中で溜息を吐く。フライアの表情の理由が理解できたのだ。
「いや、別に怒ってないから。とにかく涙腺を閉めろ」
グリグリと掌をフライアの瞼に押し付け、乱暴に宥める。その行動には照れも含まれていた。
人間たちに混蟲だと罵られても、目の前であからさまに距離を取られても、フライアは彼らに涙を見せたことはない。気丈に振る舞ってきた。
その彼女も、常に強いわけではない。弱さを見せる時はある。
ラディムが関わる時だ。
この予想は決して
フライアとラディムはお互いに初めての『
だが兄妹のようにとはいえ、今までに喧嘩らしい喧嘩はしたことはなかった。先ほどラディムが素っ気ない返事をしたので、機嫌を損ねてしまったと勘違いしたのだろう。
それにしても泣くほどではないだろう、とラディムは思ったのだが、なぜか悪い気にはならなかった。
「怒っていないの? よ、良かった……。それじゃあ早く行こうか。イアラ先生が待ってるから」
「あぁ」
小さな涙の玉を拭い、街道を走り出したフライア。彼女の後を追って、ラディムも歩くペースを上げた。
「…………」
目的地に着いた二人は、しばらくは複雑な表情でその光景を眺めることしかできなかった。
着いたのは『ラカスタヤ公園』という名の、自然溢れる公園だ。
ちなみに『ラカスタヤ』とは、この国の言葉で『恋人』という意味がある。園内はその名に
入り口すぐの所に設置された円状の大きな噴水の前には、待ち人を心待ちにしている多くの若い男や女が立っている。
そこから少し奥。一定の距離を空けていくつも置かれたベンチには、仲睦まじく寄り添う男女が座っていた。
(真昼間からいちゃいちゃすんなっての……)
苦い顔をしながら、ラディムは心の中で悪態を付く。
フライアがラディムに口付けをした一ヶ月前のあの日以来、二人は晴れて恋人同士になった――わけではない。
フライアはまるでそのことなどなかったかのように、今まで通りの態度で接してきていたのだ。
ラディムにしてみれば拍子抜けどころではなかったが、改めてそのことについて訊くのも照れ臭かったので、結局そのまま今日までやってきていたのだ。訊くことによって、近くて遠くない、今までの関係が崩壊してしまうのが怖かった――という理由も存分に含まれていたのだが。
「な、何だかみんな、仲良しさんだね……」
フライアも園内の光景を見て居心地の悪さを感じたのか、そわそわとしながら細い声で呟いた。
「と、とにかくさっさと目的達成して帰ろうぜ」
「う、うん。そうだね」
お互いに上擦った声を出しつつ、園内へ足を踏み入れる。と、そこでラディムの足が止まった。
(待てよ。これはもしかして、自然に手を繋いでも許される状況ではないのか? むしろそうしないと、俺達は恋人たちで溢れるこの公園内で、浮いてしまうんじゃないのか?)
思ってしまったら最後、ラディムの頭の中はもうそれだけで一杯になってしまった。
一ヶ月前のあの日以降、縮めることのできなかった距離を、今こそ自然に縮めることができるかもしれない。
下心がばれないように、ラディムは右の複眼だけでフライアの手を見る。
ちなみにラディムの左右のこめかみに存在する複眼はきちんと見えているので、彼の視界はかなり広い。死角は真後ろだけだ。
気付かれぬようにそっとフライアに近寄り、右腕を伸ばす。急にラディムの心臓がうるさく鳴り出した。
静まれと心の中で念じ、震える手でフライアの小さく白い手を掴もうとした、その時だった。突然何かに弾かれたように、フライアは駆け出したのだ。
「ラディム、見て見て! あそこにいっぱい花が咲いているよ。きっとあの中にあるんじゃないかな!」
前方の花畑を指差しながら、フライアは満面の笑みをラディムに向けた。
「…………うん」
自然に手を繋いでも許される状況を――折角のチャンスをあっさりと失ってしまったラディムは、とぼとぼと重い足取りでその後を追った。
「うん、わかってる。本来の目的は公園内に自生しているハラビナという花の採取だもんな。この時期にしか咲かない花で、薬の調合に必要な大事な花だもんな。わかってる、わかってるさ……」
まるで呪詛のようにぶつぶつと言葉を零しながら歩くラディムだったが、突然その足が止まった。
「……ん?」
急に、景色がほんのり水色に染まったのだ。両の目だけでなく、左右の複眼から見える景色も同じものを映し出している。よく見ると水色の
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