第6話 会食

 城の二階、左翼側にある客間には、片側に二十人は悠に着くことができる長テーブルが中央に配置されている。

 四隅にはまるで部屋を守る結界のように、煌びやかな銀製の天使の彫像が飾られていた。城に仕える侍女たちにより、綺麗に磨かれた大きな窓から見えるのは、夜の闇と銀砂のような小さな星々。

 長テーブルの上座にノルベルト王、王の右手側にオデル、左手側にフライアという配置で、会食は進められていた。フライアとオデルの後方には、それぞれラディムとヴェリスが立ち、王族らの食事風景を見守っている。

 ノルベルトはヴェリスにも席に着くように勧めたのだが、既に他の従者たちと一足早く食事を済ませていたヴェリスは、その勧めを丁重に断った。

 テムスノー国の森林で採れる、『オグニル』という果実をソテーした料理が運ばれて来ると、オデルは興味津々でその料理を覗き込んだ。大きな口で一口食べると、やれ甘いだの、果肉の歯応えが絶妙だのと、とにかく絶賛した。カエルの姿をした自分には歯がないので、歯応えという言い方は適切ではないかもしれないが、などと冗談も交えつつ。

 会食は、終止このように和やかな雰囲気で進行した。

 やがてデザートの皿も下げられ、テーブル中央に花瓶だけが置かれた状況になると、王は姿勢を正し、木の幹のような深い茶の瞳をオデルへと向けた。


「さて、そろそろ本題に行きたいところだが――。ふむ、何から話し、訊けば良いものか」


 ノルベルトはしばらく顎髭に手をやり思考を巡らせていたが、ほどなくして静かに口を開き――。


「そうだな。まずは貴殿らがこの国のことを、どこでどのようにして知ったのか、教えてもらえないだろうか」


 そうオデルに告げたのだった。

 オデルは、壁際に佇むヴェリスに目で合図を送る。ヴェリスは頷き、一礼したあとに抱えていた資料の束に右手を潜り込ませ、テーブルへと歩み寄った。


「それでは、僭越ながら私からご説明差し上げます。まずはこちらをご覧下さい」


 ヴェリスが資料の束の中から取り出したのは、一冊の本であった。表紙に文字はない。銀色で小さな幾何学模様が描かれているだけだ。


「それは?」


 物珍しげな顔でフライアが尋ねると、ヴェリスは軽く小首を傾げながら答えた。


「我が国で見つかった、およそ百年前の日記帳です。とは言っても、これは複製品レプリカですが。本物はレクブリック王国の図書館に、厳重に保管してありますので」


 ヴェリスの澄んだ声が応接間に響き渡る。


「日記帳……」

「はい。そしてこれを書いた人物は、ここ、テムスノー国から外へ渡った人物です。我々はこの日記帳の内容で、テムスノー国のことを知ったのです」


 ヴェリスの言葉に、ノルベルトの眉がピクリと跳ね上がった。


「日記帳は、レクブリック王国の森の奥の一軒家で、最近見つかった物です。普段は誰も立ち入らない場所なのですが、森の奥に迷い込んだ狩人が、偶然見つけたのです。そしてこれに書かれていた内容は、ムー大陸を研究している考古学者たちに激震を与えました」


 手に持った日記帳をパラパラと捲りながら、ヴェリスは続ける。


「内容を掻いつまんで申し上げますと、この日記の書き手は『混蟲メクス』と呼ばれる種族であり、そのせいで差別を受け続け、やがて耐え切れずに国を出た――とあります」


 ヴェリスの言葉を聞いたラディムの顔が、僅かに歪んだ。ヴェリスは一度ノルベルトの顔を見やり、彼の口が開かないことを確認するとさらに続ける。


「我々が何より驚愕したのは、この部分です。読み上げます。『なぜ、彼らは私を忌み嫌うのか? 我らの祖先は皆同じであるというのに。ムー大陸の魔道士の、非道な人体実験から逃げ出してきた形姿なりすがたの醜い者たち。テムスノー国のたみは皆、この子孫であろう!』」


 ヴェリスの朗読に、まるで氷を張ったような静寂が客間を支配する。その冷気さえ感じる沈黙を破ったのは、ノルベルトだった。


「……それに書いてあることは、紛れもない事実だ。『混蟲メクス』というのは、フライアのように虫の姿が混ざった者のことを言う」

「なるほど」


 ヴェリスはノルベルトの言葉に大きく頷きながら、フライアの青い翅へと視線を送る。その隣のオデルもまた、大きな黄色の目をフライアへと向けた。


「いちいちその日記の内容の答え合わせをしていくのも面倒だな。先に、こちらから一通り説明した方が良さそうだ」

「そうして頂けると、こちらとしては大変ありがたいです」


 ヴェリスはノルベルトの提案に、笑顔で答えるのだった。




 

 今からおよそ、千五百年前のこと。

 ムー大陸のとある魔道士が、虫を人間に憑依させる実験をしていた。その実験の被験者として選ばれたのは、ムー大陸以外の土地から、無理やり攫われてきた人々だった。

 各地ではその時の様子が伝承として残っており、それらを合わせると、攫われた人数は少なくとも五百、多くて千だと言われている。

 そんなある日、ムー大陸は突如崩壊の時を迎える。

 原因は不明。

 その崩壊に紛れ、多くの実験体たちがムー大陸から逃げ出すことに成功した。

 されど逃げ出した実験体たちは、自分らの余りにも醜い姿に絶望したという。

 元々住んでいた土地には戻ることができないと判断した彼らは、人の足では容易に立ち入ることのできないこの島を見つけ、集団で移住し国を作った。

 こうして人ならざる者ばかりが住まう、テムスノー国ができたのだ。

 だが時の流れと共に、彼らの身体に流れる虫の血は、次第に薄らいでいった。そしていつしか、虫の姿をしていない『普通の人間』の数の方が多くなっていたのだ。

 その普通の人間たちが、虫の部位が残っている者たちを『混蟲メクス』という『虫の血が流れる者』という意味を込めた俗称で呼び始め、やがてそれは瞬く間に国中に浸透し、後の時代まで続くこととなる。





 以上が、ノルベルトが語った内容であった。

 真剣な眼差しでメモを取りながら話を聞いていたヴェリスに、ノルベルトは話しかけた。


「この国についての説明はこんなところか。何か質問はあるだろうか?」

「では、私から一つ。なぜ『人間』は、そこまで『混蟲メクス』を忌むようになったのでしょうか」


 オデルが問うと、ノルベルトは一度目を伏せる。皺の刻まれた穏やかな目元が、一瞬だけ険しいものになった。


「『下』に見ることで安心したかったのだろうな。寂しいことだが、心が満たされていない者が多かったのだろう……」


 喉の奥に小石が挟まったかのように、やっとそれだけを言うノルベルト。オデルはそれだけで彼の言いたいことを何となく理解したのか、次いで言葉を発することはしなかった。


「今度は私から訊いても良いだろうか?」

「何なりと」


 ノルベルトに答えたのはヴェリスだ。ノルベルトはヴェリスとオデルの顔を交互に注視しながら続けた。


「貴殿らがこの国に来た目的は、オデル王子を元の姿に戻すためだと言ったな。それについても、その日記に書いてあるということか?」

「……では読み上げます。『王宮で人間の姿に戻るための研究をしているという。しかし、千年以上も前から研究は進められているというのに、未だにその成果はない。恐らく私の寿命が尽きる時も、混蟲メクスが人間の姿に戻る方法など見つかってはいないだろう。だから私はこの背中のはねを使い、選民意識の蔓延する国を出たのだ。』」


 再び朗読したヴェリスは手に持った日記を少し下げ、これで終わり、という趣旨の目線をノルベルトに送った。

 ノルベルトは眉根を寄せた。ヴェリスが今読み上げた日記の内容は、『人間に戻るための研究をしているが、一向に方法は見つからない――』ただそれだけの内容である。

 説明不足だ、と言いたげな表情のノルベルトに向かい、オデルが口を開いた。


「正直に申し上げます。『千年以上も前から研究は進められている』という部分に――ただそこだけに、私は僅かな希望を見出したのです」


 オデルは目を伏せると、さらに続けた。


「この日記が書かれてから、およそ百年経っております。もしかしたらその百年の間に研究は進み、人間に戻る方法が見つかっているのではないか、と。虫の血の混ざった者が人間に戻れるのなら、自分も戻れるのではないか、と。都合の良い希望だけを掛け合わせて、ここまでやって来たのです」


 側でずっと話を聞いていたフライアは、困惑の表情を浮かべた。自分の姿が変わった時のことをあんなに陽気に話していたオデルと、今のオデルとはまるで別人のように見えたからだ。


「そうか……」


 ノルベルトは、少し沈んだ声で相槌を打った。


「確かに昔は、王宮主体でそのような研究をしておった。だが、我が娘の今の姿を見ての通り、人間に戻る研究はもうやってはおらぬ」

「――!?」


 ノルベルトの返答に、オデルの大きな目がさらに見開いた。


「今の我々の力では不可能だというのが、最終的に出た結論だ。それに昔と違い、混蟲メクスの数は極端に減った。この研究をしていたのは、人間の姿に戻りたいと願う混蟲メクスたちだった。つまり、研究を続ける者の数も減ってしまったのだ。そして今からおよそ七十年前、研究は完全に止められた」

「あの、研究に関する資料などは何も残っていないのですか?」


 何とか活路を見出そうと、ヴェリスが尋ねる。


「いや、研究施設ごとそのまま残してある」

「できたら見せていただけないでしょうか?」

「実は元より、そのつもりであった。異国の者の視点でなら、わかることがあるかもしれぬからな」

「……ありがとうございます」


 安堵を声に乗せながら、オデルは礼を言った。


「いや、こちらこそ落胆させてしまったようですまぬ」

「こちらが勝手に期待していただけのこと。王が謝られる必要は微塵もありません」


 ノルベルトの気遣いにオデルは苦笑する。希望が完全に絶たれたわけではないことが、まだ救いだった。


「では明日の朝、早速施設に案内致そう。フライア、明日のために今日はゆっくり休んでおけ」

「はい、お父様」


 突然名を呼ばれたフライアは、糸がピンと張ったような声で返事をした。

 親子のやり取りを無言のまま聞いていたラディムの心に、そこで小さな疑問が芽生えた。今の会話を聞いていて、フライアが同伴する特別な理由はない気がしたのだ。


(ま、いいか。俺も研究施設のことは興味あるし)


 考えても仕方がない、と言わんばかりに、ラディムはあっさりと小さな疑問を切り捨てた。

 彼はフライアの護衛。彼女の行く所には付いて行くしかない。何より、王の命令は絶対だ。それに昔、この城でそんな研究をしていたということは、実は彼も初耳であったのだ。


(人間の姿に戻る、か……)


 先ほどのノルベルトの言葉を思い出し、ラディムは心の中で小さく呟く。そのようなこと、彼は今までに考えたこともなかった。






 来客用の部屋に戻ったヴェリスは、すぐさま椅子に腰掛けた。背もたれに身体を預け、伸びをする彼女にオデルが声をかける。


「嬉しそうだね、ヴェリス」

「あら、わかる?」


 ヴェリスはオデルの言葉を肯定し、口の端を小さく上げる。長い紺の髪が椅子の背もたれを覆う様子は、椅子に上品なシルクのカーテンを付けたかのようだ。


「国にいた時より、ここに着いてからの方が表情がき活きとしているよ。やはり考古学者には、この国は魅力的かい?」

「もちろんよ。それに……」


 彼に笑顔で言いかけて。ヴェリスは突然そこで言葉を途切らせた。


「……それに?」

「あ……いえ」


 オデルが続きを促すが、ヴェリスは言葉を濁したまま、彼から視線を逸らす。


「ごめんなさい。少し浮かれすぎていたかもしれないわね」


 自嘲気味に放たれた言葉に、オデルはヴェリスの言わんとしていることを理解した。


「今さら僕に気を遣うなんて、君らしくないな。きっと大丈夫さ。今のところ、あれに書いてあるとおりの国だろう。それにね、たぶんだけど……。何だか上手くいく気がするんだ。楽観的すぎるかもしれないけどね」


 オデルの声を聞き届けたあと、ヴェリスは顔を上げ、静かに微笑む。そして椅子から立ち上がり壁際へ歩み寄ると、小窓を開け放した。夜のしっとりとした風が室内に流れ込み、彼女の長い紺の髪が無造作に舞い始める。


「そうね。私も上手くいく気がするわ。何もかも」


 窓の外を見ながら言うヴェリスの表情は、オデルからは見えなかった。

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