第5話 名ばかりの姫(2)

 鳥の形をした城を、左右から護るかのように存在する森。その少し西側、森から外れた小さな広場に、王族の墓は在った。白い円柱の門が構えられた広場の入り口は、それだけを見ると公園の入り口に見えなくもない。

 ラディムは墓の入り口近くにぽつんとある小さな湖を、難しい顔で見ながら歩いていた。


「どうしたの?」


 両手に花を抱えたフライアは、横を歩くラディムの表情の変化に敏感に反応する。


「いや……何でもない。よそ見をしているとこけるぞ」


 ラディムは返事をはぐらかし、すぐさま視線を戻すとフライアに軽く笑いかけた。フライアも微笑みでそれに応え、彼の言葉に従い再び前を見据える。

 それでも、フライアは気になっていた。今日だけではない。墓参りのたびに、ラディムはあの場所で険しい顔になるのだ。何でもないということは嘘だということは、彼女も容易に察することができていた。

 今日こそは……とさり気なく訊いてみたが、あの返事。

 だがこれ以上追求してもラディムが話してくれる性格ではないことを知っているので、フライアはもう訊かないことにした。もっと心を許してくれるようになったら、その時は彼の方からきっと話してくれるだろう。そう期待して。

 モヤモヤしかけた気持ちを無理やり前向きに変え、フライアは横目でラディムを見やりながら歩き続ける。

 ラディムが城にやって来てから、既に五年が経つ。その間彼とは、まるで兄妹のように共に時間を過ごしてきた。

 城の人間は皆、腫れ物を触るような態度でフライアに接してくる。けれど、ラディムはそんな自分に普通に接してくれる数少ない人物でもあった。王女という身分も、彼の前だけでは忘れることができる。

 気を取り直すように、フライアは手に持つ花に顔を近づけ、甘い香りを楽しむ。

 墓地近くの小さな花屋で花を買って行くのが、いつもの墓参りの手順だった。いつもより遅い時間だったので花が置いてあるか不安を抱いていたが、花屋の主人はちゃんと『いつもの花』を用意してフライアを待っていてくれた。

 フライアが幼い頃からいる主人。寡黙であまり愛想はないが、フライアの背から翅が生えた直後でも、特にそれについて言及してくることなく、昔と変わらぬ態度を取り続けている。

 主人がフライアに渡したのは、白と淡いピンクの混ざった、四枚の花弁が美しい花。花弁がフライアの鼻に軽く触れると、そのくすぐったさと甘い芳香に当てられ、フライアは一人笑みをこぼした。






 墓地の入り口を過ぎた二人は、周囲に注意を払いながら進み続ける。


「今日はいつもと来る時間が違うから、見かけたことがない人が多いね」


 花で顔を隠すような格好で、墓地を見渡しながらフライアが言う。王家の墓の周りには一般人の墓も多数存在している。ここは共同墓地でもあるのだ。


「そうだな」


 同じようにラディムも周りを見渡しながら返事をした。

 祈る人、花を手向ける人、墓標を綺麗に拭く人――。

 墓参りの度に見かける光景であるが、今日は顔見知りの人間はいない。二人の目にはその光景も少し新鮮に映っていた。

 やがて二人は、周りの墓より二回りほど大きな墓の前に立つ。白い墓標には、多数の名前が刻まれている。ここに眠る王家の一族の名だ。


「お母様、今日は少し遅くなってしまいました。ごめんなさい」


 フライアは花を手向けながら墓に話しかけた。

 ラディムはその数歩後ろで、フライアの挙動を見守る。フライアは胸の前で手を組み、祈りを捧げ始めた。その動作を見たラディムも、少し遅れて静かに目を閉じる。

 フライアがまだ幼い頃、王妃は病に倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったらしい。ラディムが城に来たのは十二の頃だが、既に城には王妃の姿はなかった。


(きっと、美人だったんだろうな)


 薄目でチラリとフライアの後姿を見ながら、ラディムは心の中で呟く。彼女の柔らかそうな紫紺の髪が風に遊ばれ、無造作に揺れていた。

 フライアは自分にはかなりくだけた態度で接してくれているが、それでも所作の一つ一つに、王族としての気品が滲み出ている。彼女が動く度に、周りの空気さえもが祝福しているかのようだとラディムは感じていた。そして何より、日だまりのように温かく、優しい心を持っている。

 背中の翅がなかったら、もっと多くの人に愛されていたに違いないのに――。

 彼女には現在、身の回りの世話をする侍女が付いていない。王族としては異例だ。

 フライアの背から翅が生えてきた直後、それまで彼女に付いていた侍女たちは、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまったのだという。フライアは今日まで億尾おくびにも態度に出してはいないが、ショックだったであろうことは容易に想像できた。

 以来、自分のことは全て自分で何とかしているフライアの姿を見ながら、ラディムは過ごしてきた。彼女が普通の人間だったのなら、もっと王女らしい生活ができていただろうに――。

 ラディムがそんなことを考えた直後だった。


「ちょっと。もしかしてあんた、王女様かい」


 突如聞こえた女性の声が、ラディムの思考を遮断する。いつの間にか恰幅のいい中年女性が、ラディムらのすぐ横に立っていた。


「え、はい。そうです――」


 フライアは祈りを中断し、戸惑いながらもその中年女性に答える。フライアの返答を聞いた中年女性は眉間に皺を寄せ、あからさまな嫌悪の表情を作った。


「もっとひっそりとやって来てもらいたいもんだね! まったく、昼間っから嫌なもんを見ちまったよ」


 女性は大きな声で憎々しげに吐き捨てると、フライアとラディムを睨みつけてきた。その迫力に気圧され、フライアは小さく肩を震わせる。


「んだと、ババァ――」 


 中年女性を睨み返しながらラディムは声を荒げるが、その言葉は途中で途切れることとなった。ラディムの服の裾を、フライアが片手できゅっと小さく握ったからだ。ラディムがフライアへ顔を向けると、彼女はふるふると頭を横に振った。


「…………」

「フンッ」


 中年女性は鼻息か声か判別し難い音を出すと、そのまま大きな足音を響かせて墓地を去って行った。

 足早に去る中年女性の背中を見送りながら、ラディムは小さく舌打ちをする。

 今のように、あからさまな嫌悪をぶつけられることなど彼は慣れている。しかしフライアには、このように感情を剥き出しにした人とはできるだけ会わせたくはなかった。城の中でさえ、彼女は良い待遇を受けているとは言えないのに。

 人間とは言い切れない容姿のせいで、彼らは常に人間から畏怖と嫌悪の視線で見られてしまう。それでも、ラディムはまだ良い方だった。フライアの青く美しい翅は、その大きさゆえ目立ちすぎるのだ。

 ラディムの服の裾をまだ掴んだまま、フライアは申し訳なさそうに視線を下に落とした。


「ごめんね……」


 小柄な王女は、消え入りそうな声で謝罪の言葉を口にする。それは、何に対する謝罪なのか。ラディムはわかったような気がしたが、あえて何もわからない振りをした。


「どうして謝るんだ。お前も俺も、何も悪くないだろ」


 はっきりそう言い切ると、身体を後ろへ捻りながらフライアの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。しかしフライアはまだ彼の服の裾を握り、されるがままだ。

 何の反応も見せず、尚も服の裾を掴み続けるフライアに、ラディムは照れ臭いような困ったようなちょっと嬉しいような――複雑な感情を抱いてしまった。

 この状況で嬉しいなどと思ってしまうのは、不謹慎だとはわかっているのだが。彼女が自分を頼りにしてくれているということが、この動作から読み取れてしまって――。

 このままだと何かがやばいと感じたラディムは、右往左往する感情を抑え、言葉を捻り出した。


「えっと……。服、伸びる」


 ラディムの言葉にフライアは慌てて手を離し、そして小さく笑った。 だがその笑顔はいつもの朗らかさはなく、少し憂いを帯びたものだった。

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