第3話 異国の王子
城の中央に位置するのは、朱の絨毯が敷き詰められた大きな部屋。いわゆる謁見の間に、大勢の兵士が集まり左右に整列していた。
玉座に座るのは顎髭を蓄えた中年の男、この国の王ノルベルトである。顎髭と同色の濃い茶色の髪には、ところどころ白髪が混ざり始めている。が、端正な顔立ちのおかげなのか、それがほど良いアクセントとなっていた。
『外の国からの来訪者』の情報をラディムから受けたのは、先刻。ラディムには娘のフライアに付いてもらい、ノルベルトは早速、使者数名を来訪者の所へと向かわせていた。
ノルベルトは表情を乱すことなく、威厳溢れる佇まいで腰掛けたまま、兵士からの次の
やがて両開きの扉の片方から、一人の兵士が緊張気味に敬礼をしながら入ってきた。
「外の国からの来訪者、只今到着です!」
その言葉で謁見の間の扉を全開にする、別の兵士。
ほどなくして現れたのは、上品な生地の服とマントに身を包んだ二足歩行の大きなカエルと、数十人の従者と
「なんと……」
先頭に立つ人物のあまりにも異様な風貌にノルベルトも思わず椅子から立ち上がり、そのカエルの顔を凝視する。
濃い緑の皮膚に、インクを滲ませたような茶色の模様が点々と広がった大きな顔。淡い黄色の中に、黒色の丸い瞳がぎょろりと動く目。
ノルベルトは人形ではないのかと一瞬疑うが、数回の瞬きが即時にその可能性を否定した。
カエルは皆からの奇異の視線を浴びつつノルベルトの前まで歩み寄ると、その場にうやうやしく
「突然の来訪というご無礼をお許しください。私はレクブリック王国がアレニウス家の三男、オデルと申します」
まるで楽器を奏でているかのように聞き取りやすい低めの声が、謁見の間に響き渡った。
「このような姿では
オデルと名乗ったカエルは顔を上げ、懐から紋様の入った指輪を取り出して掲げた。
「これは、レクブリックの王族だけが持つことを許された指輪です」
遠目でもわかる立派な金の指輪の中央には、双刃の槍と鳥の羽が描かれた紋様が彫られていた。
ノルベルトは僅かに目を細める。偽物には到底見えない。あの紋様が使われている国が実際にあるのか、調べるのは
オデルと名乗ったカエルは指輪を掲げたまま、さらに続けた。
「この
沈痛な面持ちで、オデルは再度頭を深く下げた。
ノルベルトは無言のまましばらくオデルを見つめていたが、やがて静かな口調で彼に語りかける。
「其方の用件は理解した。私はこのテムスノー国の王、ノルベルト・アルヴォネンと申す。だが、答える前に一つ
「何でございましょう」
「貴殿らは我々が――いや、この国がどういう所であるのか、知った上で訪れたということだな?」
ノルベルトの問いかけにオデルは一瞬だけ戸惑いを見せるが、しっかりとした口調で答えた。
「はい。私どもが得た知識が間違っていないと信じた上で。遥か昔に滅んだムー大陸、その負の遺産――。それがここ、テムスノー国であると」
ムー大陸――。
遥か昔、ここテムスノー国の東の海に存在していたとされる大陸である。
超古代文明が栄えていたとまことしやかに噂されてきたが、その痕跡は見つかっておらず、まさに謎の大陸の名を
これまでに様々な学者たちがその実態を解明しようとしてきたが、同時期に栄えた他の文明の著書に僅かに名前が上がる程度で、遅々として解明は進んでいない。
「……負の遺産か。言い得て妙だな」
眉唾話だと一蹴しても可笑しくないオデルの言葉に、しかしノルベルトは口の端に笑みを浮かべて答えた。
ノルベルトは手を顎に当てしばらく逡巡していたが、玉座に座り直し再び口を開く。
「どうやら、ここで済ませてしまえるような話になりそうもない。食事でも取りながらゆっくり話をと思うのだが、いかがかな?」
「大変ありがたい申し出なのですが、あの……。申し訳ございませんが、その前にひとつお願いがございます」
「ふむ、申して見よ」
「その、私も従者たちもあの崖を登って来て、かなり体力を消耗しておりまして……。できれば、少し休ませていただけたらと――」
言葉の途中で、オデルの後ろにいた従者の一人ががっくりと膝を落とした。それに影響されたかのように、次々とその場で姿勢を崩す従者たち。どうやら彼らは、かなり限界だったらしい。
その光景に一瞬茶の瞳を丸くしたノルベルトだったが、やがて豪快に笑い始めた。
「そういえば貴殿らは、あの崖を登って来たのであったな! いや、気が利かず失礼した。すぐに部屋を用意させよう。まずは十分に体力を回復されよ」
ノルベルトは、すぐさま兵士たちに介抱と部屋の用意の指示を出す。敬礼をし、一斉に動く兵士たち。
一通り命令を出し終えたノルベルトは、満足した面持ちで玉座の横の通路へと向かった。と、何かを思い出したように突然足を止め、再びオデルへと顔を向ける。
「忘れておった。よくぞテムスノー国へ参られた。我々は貴殿らの来訪を心より歓迎する」
深く一礼したオデルの姿を見届けると、今度こそノルベルトは通路の奥へと消えていった。
ラディムとフライアは、日の光が窓からさんさんと注ぐ城の廊下にいた。
陽気に当てられたのか、フライアは両腕を目一杯天に突き出して伸びをする。その後ろから、彼女の膝裏の少し上付近を注視していたラディム。
見えそうで、見えない。
(い、いやいやいやいや! 何を期待してんだよ俺!? あぁくそっ!)
ふと我に返り、脳に焼きついた今の映像をかき消すべく心の中で絶叫しながら、頭をガシガシと掻き毟る。そんなラディムの葛藤など知る由もなく、フライアは笑顔で彼に振り向いた。
「命令がすぐに解除されたってことは、外の国から来たのは、悪い人たちではないってことだよね。ラディムの言うとおりだったね」
「えっ? ハハハダカライッタジャン」
「……?」
そんな彼を、訝しげな表情で見つめるフライア。
「で、その外の国の奴とは夜に会うんだっけ?」
彼女の視線に耐え切れなくなったラディムは、慌てて話題を振った。フライアは話題転換されたことに気付くことなく、小さく頷く。
「うん。夜に会食をするそう。外の国から来た人たちはみんな崖を登って来てヘトヘトだから、今は休んでいるみたい」
軟禁の命令が解除され、今しがた事の次第を、フライアはノルベルトから直接聞いてきたところだったのだ。
「しっかし、まさかあの崖を登って来るとはねぇ。しかも一国の王子様が、だ。よっぽどの理由がありそうだよな」
「そういえばお父様、それについては何も言わなかったなぁ」
ノルベルトがフライアに伝えたのは、やって来たのは異形の姿をした王子で、この国に対して理解があること、今は疲れて休んでいること、夜に会食をすること、この三点だけだった。
「ま、それはいずれわかるだろうし。今は朝行く予定だった墓参りを――」
言葉途中で、ラディムはフライアに顔を向けたままの状態で硬直した。
「ラディム?」
フライアは彼の変化に戸惑い問いかけるが、返事は返ってこない。代わりにラディムの頬をつぅ、と一筋の汗が流れ、目線だけがギギギと横へ移動する。フライアもその目線の先へ顔を向けると、二人の人物が来客用の個室から出て来たところだった。
一人は白のコートのような衣服に身を包んだ、紺色の長い髪を持つ女性。かなりの美人だ。
もう一人は服を着たカエル王子――オデルだった。
今話題にしていたその人の登場に、二人の心は少なからずざわつく。ラディムは崖で一度姿を見ているとはいえ、やはり遠目で見るのと間近で見るのとでは、インパクトが違う。そして初めてオデルの姿を見たフライアの衝撃たるや、である。
(お、大きいカエルさんだね……)
(そうだな……)
顔を見合わせ、目だけで言葉を交わす二人。そのオデルたちも、二人の存在に気付いたらしい。一瞬動きが固まったが、にこやかにフライアたちに近付いて来た。とは言っても、笑顔なのは女性だけであったが。
ラディムは初対面の女性に一瞬身構えるが、彼らが来客用の部屋から同時に出て来たことを思い出し、すぐさま警戒を解く。格好はまるで医者を彷彿とさせるが、この女性はカエル王子様の付き添い人か何かであろうと判断したのだ。
とりあえずラディムは、事の成り行きを見守ることにした。
静寂を破り先に口を開いたのは、オデルだった。
「初めまして、美しい
そしてフライアに対し、丁寧にお辞儀をした。姿はカエルであっても、動作の節々からは気品と優雅さが滲み出ている。
「は、初めまして。王ノルベルトの娘、フライアです。私こそ、こんな姿で驚かせてしまってごめんなさい」
緊張気味に返事をしたあと、オデルに合わせるように、フライアも小さな頭を下げた。
「何と王のご息女でしたか。確かに驚きました。こんなに美しい蝶の翅を見るのは初めてでして。しかも、貴女自身も大変可憐ときたものだ。いやはや、実に素晴らしい」
「えっ、いや、あの……」
満月のように大きな目が二つ、真っ直ぐとフライアを捕らえる。
世辞なのか本気なのか。どちらとも取れる口調で言うオデルに、フライアは思わずたじろぎ、半歩下がった。眉間に小さな皺を寄せたラディムがフライアの前に出ようとしたタイミングで、紺の髪の女性が溜め息と共に肩をすくめた。
「いきなり口説き文句を並べてどうするのよ。王女様がお困りじゃない」
「いや。僕はそんなつもりで言ったわけではないのだが……」
「ご挨拶が遅れました。私はレクブリックで考古学者をやっている、ヴェリスと申します。お目にかかれて光栄です、王女様。それと……」
オデルの声をさらりと無視するヴェリス。彼女はフライアに挨拶をした後、その後ろに佇むラディムに目をやった。
「……護衛のラディムだ」
ヴェリスの好奇の視線に、ラディムは簡単に答える。
「そう。どうぞよろしく」
形式的な挨拶を済ませてもなお、ヴェリスはラディムから視線を逸らさない。
「――何か?」
自分を見つめ続けるヴェリスに、ラディムは怪訝な顔でややぶっきらぼうに言い放った。
彼女が言いたいことは予想はついていたが、自分から話を振るほど大らかではない。そんな彼の心情を敏感に察知したのか、ヴェリスは慌てて両手を横に振った。
「気に
『ソレ』の時に、ヴェリスはラディムの両こめかみに視線を移す。ヴェリスはラディムの顔に付いている、半球体の物体に興味を持ったらしかった。
「これは……」
答えようとして、しかしラディムは言い淀む。考えてみれば、正面からこれについて質問されたのは、彼女が初めてだったのだ。
「あ、答えたくないのなら無理は言わないわ。ただ、あなたも王女様と『同じ』なのかなと思ったものだから」
「……まぁ、そんなところだ」
ヴェリスはラディムのその答えで納得したらしく、それ以上は訊いてこなかった。
「あの、お二人とも動いても大丈夫なのですか? あの崖を登って来たからかなりお疲れのご様子だと、父から聞いたのですが」
フライアはノルベルトから聞いた話を思い出し、二人を案じる。フライアの発言に、二人は一瞬顔を見合わせた。
「ご心配ありがとうございます、王女様。私は今回の同行者で唯一の女だという理由で、最後に上から引っ張って貰っただけなのです。だから皆に申し訳ないほど、元気が有り余っているのですよ」
ヴェリスが少し悪戯っぽく笑いながら答えると、オデルも続いた。
「僕はこの体だから、割とすんなりと登れてしまってね。いや、ここまで吸着力が強いとは思っていなかったよ」
オデルは両手をヒラヒラと振りながら言った。フライアもラディムも、ついその手を凝視してしまった。
なるほど、彼の言う通り、指先には丸い吸盤が付いている。ラディムは、崖を悠々と登ってくるオデルの姿を瞬時に思い出していた。この王子は姿だけでなく、動きもカエルのようだ。
「ただ、従者たちはかなり疲労してしまってね。だから王にお願いをして休息時間を作って貰ったんだ」
「でも夜まで時間は結構あるし、せっかくだから今の内にお城の中を見学させてもらおうと思って。迷子になりそうな広さだしね」
「そこで許可を貰いに行こうとしたところで、君たちと会った、というところさ」
二人は交互に、事の次第をフライアらに説明した。あの崖を登ってきたうえに城内探索をしようとしているオデルに、王子なのに体力があるのだな、とラディムは感心する。
「そういうことでしたら、是非私に案内をさせてください。許可は私が出します。お客様を案内するんですもの。それくらい、後で報告してもきっとお父様は許してくれるわ」
フライアは朗らかな笑顔で、二人に案内役を買って出る。
「ね、いいでしょラディム?」
「俺はお前の行く所に付いて行くだけだ」
最初から拒否権なんてないと言わんばかりに、ラディムはひょいと肩を竦めた。
「おお、ありがとうございます。フライア王女」
「王女様直々に案内していただけるなんて、光栄だわ」
フライアの申し出に、オデルとヴェリスは諸手を挙げて歓迎したのだった。
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