1000文字

桜本町俊

第1話 カールの背中

キャッシュカード二枚、クレジットカード四枚、ビデオ屋のカードが二枚、診察券、免許証、お守り、そしてコンドーム。婦警さんが、財布から中身を取り出して、目の前に並べてゆく。


足下に落ちている財布を見つけたとき、心が踊った。大金が手に入るかもしれない。紺色のそれは分厚く膨れ上がり、幾ら入っているのかと私を興奮させた。十万円入っていたら、謝礼に一割がもらえたとして一万円。今の私には大金だった。


拾い上げたとき、手が震えた。このまま持って帰ろうか、それとも交番に届けるか。給料日まであと十日。全財産は、手持ちの二千円だけだった。一万円手に入ったら、一日千二百円ずつ使える。いいものを食べて過ごせる。十万円が手に入ったら、ブルジョア生活だと思った。辺りを見回した。ネコババは、無理だ。人が多すぎた。拾った場所は駅前の交差点だった。私は中身を確かめたい衝動を押さえながら、交番に向かった。


中年の警官が拾った場所や時間を、地図を広げながら確認して来る。善良な市民になりすまして私は答える。つらつらと言葉が出て来る。


「信号待ちしてたら、足下に落ちてたんです。見たら、随分分厚い財布だったから、大金が入っているかもしれないと思って・・・。きっと、落とした人は困っているでしょうから、連絡してあげてください」


警官は必要なことだけを聞き出そうと、私の言葉を遮るタイミングを推し量っている。十二月の夜の交番は、少し肌寒い。


「現金は五百円ですね」

コンドームを指先で摘まみ上げていた婦警さんが言った。


「えっ?」

思わず聞き返した。机に並んだ中身を、私は無言で見つめた。


私が期待していた中身はこれだけだったのか。言葉が出なかった。


足元に、冷たい風が吹き込んで来た。男が入口で血相を変えて立っている。


「あっ、これ。これ僕のです」


雪山で救助隊を見つけたように、男は警官を見つめている。


「免許証と同じ顔だから問題ないと思うけど、一応名前言ってもらえる?」

厄介事から解放されたように警官は言う。


「タケユタカです」


思わず、男を見た。その男は、ディープインパクトの上でガッツポーズを決めるスーパージョッキーとは似ても似つかない、カールのおじさんのような田舎臭い男だった。カールは礼も言わず、中身の確認をし始めた。


私は、こんな男にコンドームが必要なのかと心の中で悪態をつきながら、名前を聞いて来る警官を振り切って交番を出た。手袋をはめると、頬をさすような冷気が張り付く。雪が降りそうな曇天の下で、街のネオンがうるさく光る。


カールが自転車で私を追い抜いてゆく。背中が小さくなってゆく。

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