第9話 破約2
日曜日、タクマとアリエルは連れ立って休日歩行者天国の繁華街に買い物に出かけた。駅前の綜合施設にあるブティックで、あれこれと楽しく迷ってから、彼女の新しい服を買った。ネット通販もいいが、やはり実物を見て選ぶのは別物である。そして様々な店をウィンドウショッピング。というよりは、アリエルの質問とそれに対する回答が主だったのだが。最上階の見晴らしのいいファミレスで食事をして、久しぶりに外食の味を楽しんだ。
施設を出ると、何やら歩行者天国の向かい側歩道が騒がしい。救急車が駐まっており、不穏な雰囲気だ。取り乱した女の声が聞こえてきた。
「しっかりしてノゾミ! お願いします、ノゾミを……ノゾミを……」
聞き覚えのある声と名前に、驚いて救急車の後部に目をやるアリエル。文恵が隊員と一緒に乗りこんで、サイレンを鳴らしながら発車していった。思わず駆け寄り、その場に残っていた警察官に話しかける。
「すみません、一体何があったんですか?!」
「……事故だと聞いてます。このビルの最上階の屋内プールで、女の子が溺れたんだとか」
「あ、あの、その子ってもしかしたら、佐久間希って……」
警官が真顔になる。ただの野次馬と思っていたらしい。
「はい、そう聞いています。被害者のお知り合いの方ですか?」
「……はい、そうです。あの、搬送先って判りますか?」
わずかな逡巡の後、アリエルは小さなウソをつく事にした。警官の言う「知り合い」が、親族かそれに類するようなレベルを指しているとはわかっていたが。
「こちらにどうぞ。お送りしましょう」
警官の後に続こうとしたアリエルの肩を、タクマがつかんだ。
「アリエル……それは」
「タクマ……」
タクマに懇願の眼を向けるアリエル。この先、踏み込むのは……場合によっては人前で治癒魔法を使う事態に……
一瞬の間を置いて、タクマは頭をふって迷いを振り払った。
「行こう」
「はいっ」
パトカーに乗って救急車の後を追う。救急車は、何と二度に渡って搬送先を変更した。病院側にも事情があるのはドキュメンタリー番組などで知っている。しかし……胃が締めつけられるような時間の遅延だった。
ようやく受け入れられた病院の、集中治療室に向かった二人の耳に、悲鳴のような慟哭が響いてきた。
「いやぁぁぁっ! そんなのウソ! そんなのあり得ない! 返して! ノゾミちゃん返して! ノゾミ……ノゾミぃっっ! 神さま、神さま……」
……アリエルは、むき出しの感情に打ちのめされ、その場に立ちすくんでしまった。その肩を、タクマがそっと抱きよせる。
「アリエル……ここにいちゃ、いけない……」
彼にうながされるまま、廊下の端に寄った。その脇を、看護師や、車いすの患者が通りすぎていく……。
たった今、一つの命が失われた。しかしそれとは関係なく、それぞれの患者の事情は続いていく……。アリエルはその様を、茫然と見送った……
警官に礼を言ってから、自宅に帰る間、二人は一言も発しなかった。
◇
「……ごめんなさい……今日は、ひとりで寝たいの……」
「うん、わかった」
夕食も喉を通らなかったアリエルは、早めの時間に寝室に入った。一応そのために割りふってから、一度も使っていない部屋だったが。タクマも、簡単に予習をしてから早めに布団に入った。彼女のことが気にかかったが……、自分もアリエルも、戦場をくぐってきた人間なのだ。殺し殺される経験を積んできた。彼女は自分が思っているより、ずっと強い人間のはずだ。そう自らに言い聞かせた。
夜半過ぎに、タクマは起き出してトイレで用をすませた。ふと、戸締まり確認に玄関をのぞく。そして……アリエルのジョギングシューズがないのに気づいた。
「アリエルっ!」
◇
屋上の鍵を魔法で開け、アリエルは病院の中に入った。身体強化の魔法を使えば、物語中の怪盗まがいの行動も可能になる。踊り場に身を潜めながら、意識を広げてあの子の場所を探す。こんな時間でも、何人もの医師や看護師が起きていた。眠つけない患者もいる。付き添いの家族もいる。
……見つけた。地階の……霊安室。
音もなく廊下を駆けて、地階に降りた。足元を照らす照明だけが付けられた廊下は、霊の存在を信じない者にさえ、うそ寒い感覚を呼び覚ます。鍵のかかった扉を、再び魔法で解錠し、中にすべり込んだ。
ひんやりとした室内に入ると、白い布に覆われた寝台が五つ。その中に、明らかに布のふくらみが小さい寝台が一つ。アリエルはその前に立ち、静かに、顔をおおう布をめくった──
希はそこにいた。まるで眠っているだけのように見えた。そう、眠っているだけなのだ。自分が彼女に語りかけて、目覚めさせる。それだけの事。震える胸で深呼吸を一つ。そして、冷たく小さな胸に手を置き、詠唱を始める──
『……偉大なるラーヴァ神の加護をもち、黄泉の神シュガルに願う。尽くされませぬ命数なれば、遂げられませぬ
瞬間、アリエルの体に衝撃が走った。落ちていく。真っ逆さまに落ちていく。魔力が、まるで底なし穴の中に、吸い込まれていくような感覚……
意識を失い、彼女は倒れた──
◇
身をゆられる感覚に、アリエルは気がついた。温かい背中。タクマの匂い。彼に背負われて、夜道を歩いていた。……腕に力を入れて、うなじに頬を寄せる。
「起きた?」
「…………」
返事ができないアリエルに、それ以上言葉を重ねず坂道を歩く。頂上にバス停がある小高い丘の上まで来ると、うっすらと明るくなり始めた空の下に、街の灯火が広がっていた。
「……出来なかったんだね……」
タクマの言葉には、かすかな悲しみがこもっていた。彼女を責めるような調子は微塵もない。アリエルの体に微かな震えが走り……それは次第に大きくなって……
「……ごめんなさい! ……約束を……破りました! ごめんなさいっ!」
こらえきれず漏らした嗚咽が、タクマの背を揺さぶる。
「だって、あんなに……可愛い子が……あんなに……大切にされていたのにっ……!」
理不尽であっても非情であっても、それがこの世界の
泣きじゃくるアリエルをそのままに、タクマはゆっくりと家路をたどった。例え約束を破る形になっても、彼女がそういう人間であることが、愛おしかった──
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