第8話 破約1
アリエルとタクマの朝は早い。
六時前に一緒に起き出し、近所の神社までジョギングする。魔素を魔力として体内に取り込む体操を十数分。家に戻ってくると、シャワーを浴びてからアリエルは朝食の支度。タクマは家にしつらえられている道場で、筋力トレーニングと型稽古をこなす。朝稽古は久しく中断していた日課だったが、アリエルの魔力回復ジョギングの流れから復活させた。
一緒に朝食を採ると、タクマは予備校に出かける。見送ったアリエルは朝食の後片付けをして、タクマの古い教科書を開いて独習を始める。「こちら」に来てからまだ二週間ほどなのだが、既に中学の教科書が終わりかけていた。
アリエルは
昼食は大抵コンビニ弁当。あえて箸を使う弁当を買って、家で箸使いの練習である。電子レンジはもとより、既にタクマの家にある家電ほとんどの使用法をマスター済み。午後は撮りためたテレビ番組を視聴する。視聴する番組も多いので、すべて二倍速で流し見る。ドラマやアニメの視聴も同様で、泣き所ではちゃんと二倍速で泣く。
夕方近くなると買い物に出かける。たいてい顔なじみになった駅前アーケードの商店街まで歩きで往復。ママチャリで道をゆく主婦たちを横目に、早く自転車の乗り方マスターしたいなどと思いながら。
料理はお総菜を買い込むだけのレベルから、インスタントラーメンにはまっていた時期を経て、今は○ックドゥなどの出来あい調味料を使った料理に挑戦中。
タクマが帰ってくると、一緒に夕食である。おいしいと言ってもらえると、夢の中までシアワセになれる。食後に手分けして片付けをして、一緒にパソコンの前に座り、まとめて調べ物をする。テレビニュースなど見てメモしておいた単語を、片っ端から検索していく。ネット情報は玉石混淆なもので、アリエルひとりだけに使わせるのは、いまだ不安を感じるタクマだった。
就寝時間は一緒。無論、ふたりでイロイロと学習・開発すべきことは多い。以上。
甘い生活というより、修行・合宿といった言葉が浮かぶような一日ではある……
その日、模試の結果がよかったタクマはいつにもまして上機嫌だった。アリエルと同棲を始めてから物事への積極性が違うのだ。心のエネルギーが、ゼロから極大に振れたようなもので、予備校の中でちょっとした快進撃を続けている。
家に帰ってくると、前の道路に工事中の標識が立っていた。
「ただいまー、アリエル」
「おかえりなさーい、タクマ」
アリエルがドラマ知識で仕入れた「ただいまのキス」を交わし、居間に入る。
「タクマ、あのね、回覧板……だったかしら? 連絡が回ってきて、ガス工事のために今夜の十時頃までガスが使えなくなるって」
「ああ、表のはそれか」
夕食は外で済ませようか。風呂は、まあ朝にシャワー使っているからなくてもいいが……そこまで考え、タクマの脳裏にピコンと電球が点った。
「アリエル、今日は大きい風呂に行こう」
「大きいお風呂?」
アリエルの瞳にも好奇心の光が点る。
タクマが案内したのは地元のスーパー銭湯。彼が幼かった頃からある銭湯だが、リニューアルして経営形態を変えたものだ。
事前にレクチャーされたとおり女湯に進んで、脱衣場で服を脱ぎブレスレットのような鍵を身につけた。そして、湯気に曇った扉をおそるおそる開けるアリエル。
「はあ……すごい」
初めて見る光景に目を丸くして感嘆する。人が泳げそうな大きさの湯船など、見たことがない。故郷ではたとえ王族であっても、入るのは一人用の湯船である。無論過剰なくらいに装飾はついているが。イムラーヴァでも確か温泉地では、湧いたお湯に満たされた池などがあるはずだが、人工物でこんなこんな設備を作るのは想像の外だった。
ざぶざぶと、実際に泳いでいる子がいる。年のころは四つか五つか。
「よしなさい、希ちゃん。他の人の迷惑よ?」
「ママー、ノゾミ、じょうずに、なったでしょ?」
母親にたしなめられているのだから、やはり迷惑行為なのだろう。思わず自分もやろうとしていたのだが、思いとどまってよかったと内心安堵するアリエルだった。
サウナから浴びせ湯まで、たっぷりと楽しんでから浴室を出た。髪を乾かしていると、つんつん、と髪の先をさわる手がある。振り向くと、アリエルの亜麻色の髪を珍しそうにいじっている子がいた。さっき湯船で泳いでいた子である。
「おねーちゃん、ガイジンさんなの? かみのけ、きれー」
「希ちゃん、だめですよ。すみません、娘がご迷惑を……」
「いえ、大丈夫、気にしていませんから」
「あ、あら、日本語がお上手ですね」
済まなそうに子どもをたしなめる母親に、笑みを返すアリエル。実際愛らしい女の子で、笑みを向けられると思わず頬がほころんでしまう。ついあれこれと話し込んでしまった。
女湯を出るとタクマが待っていた。これが外なら、古いフォークソングの逆バージョンだが、待合スペースも屋内にある。
「ごめんなさい、待った?」
「いや、大した事ないよ」
実際はかなり待ったのだが、覚悟していた事なので口には出さない。女性の入浴はただでさえ長いと心得ているし、ましてや初めて銭湯に入るアリエルでは……
「アリエルおねえちゃん、さよならー」
手を振ってくる希と会釈する母親の文恵に、手を振り返すアリエル。玄関口をでて駐車場にむかう二人とわかれ、タクマとアリエルは歩いて家路につく。
「お風呂で知り合ったの? 人なつこい子だったね」
「うん。えへへ、あの子に髪の毛きれいって言われちゃった」
やたらとうれしそうなアリエル。聞けば、イムラーヴァで髪の毛をほめられたことがなかったという。
「ええ? そうなのか?」
「そうよ。タクマだって、ほめてくれたこと、なかったでしょ?」
「え、いや、それは……」
そういえばそうだったかも知れない。一緒にパーティーを組んで戦っていたころ、そういった話題を口にするのは、まるで口説いているようで、かえって抵抗があったから。話をきいていると、アリエルが容姿にコンプレックスを持っていたらしいことがわかってきて、タクマにしてみれば、これまた意外な事実だった。自分からすれば、好みど真ん中。一緒に歩いていても、羨望の視線さえ感じるのに。
「だって姉さまたちと一緒に、パーティーなんかに出ると……」
「ああ、それでか、なるほど」
アリエルの姉ふたり、フェルナバール王国第一王女と第二王女だが、イムラーヴァでも有名な美女である。こちらの世界で言うところの北欧系、掘りの深い顔立ちで、ひときわ目に付くブロンドに、あまつさえ胸のサイズが規格外である。胸元が開いたドレスなど着た日には、それはほとんど視覚の暴力だった……。確かに彼女たちと比較されては、分が悪いかも。
「むー」
「いてて……」
納得の返事をするシーンではなかったと反省のタクマ。すねたアリエルに腕をつねられた。機嫌を直すために、彼女がどれだけ自分にとって好みなのかを熱弁するはめになった。事実タクマの手のひらには、Cカップがジャストフィットである。
◇
数日後、買い物帰りのアリエルの背から
「アリエルおねえちゃん!」
元気な声とともに、髪の毛をさわってくる子。銭湯で会った希だった。
「希ちゃん、失礼でしょ? ごめんなさい、アリエルさん……」
先日どおりのパターンで謝ってくる母親の文恵。日中の明るさの下で見ると少々老けて見える。いや、この歳ごろの子の親としては、という意味だが。
「いえいえ、気にしてませんから」
「ほら希ちゃん、アリエルさんにご挨拶は?」
「アリエルおねーちゃん、こんにちわ!」
そのまま、世間話をしながら歩く三人。幼稚園に希を迎えに行った帰りだという。
「ちゃんとしつけなければと思っているんですが……ついつい甘やかしてしまって」
困り顔だが、やはり娘を見る目には愛しさがこもっていた。
四つ辻で彼女たちと別れると、道の向こうを歩くタクマの背を見つけた。
「タクマ!」
「おう、お帰り」
タクマの背後から腕を絡ませるアリエル。自分の行動もノゾミちゃんと大して違わないな、などと思う。
「そこで銭湯で会った子に、また会ってね……」
「そうか、ここら辺に住んでるんだな。って当たり前か」
「ね、タクマ、フニンチリョウって何?」
「えーっとね……帰ってからググろう。その方が早い」
アリエルの、世の中全般に関する質問が多いもので、すっかり説明をネットに頼ってしまっているタクマであった。
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