第5話、治癒魔法使いの講義
いつものやかましい起床から一日が始まって、朝食の前には必ず洗面所で顔を洗う。
朝の洗顔は良い。気持ちがシャキッと引き締まって、寝ぼけた頭も働き始める。本当は熱いシャワーを浴びたいところだけど、この環境では残念ながらそこまでは望めない。
水に濡れた顔を鏡に映す。
鏡に映る自分は一体何か。何度、自問自答したことか。
結局、私は私でしかないんだけど、変わり果てた姿には未だ違和感が付きまとう。
割かし、はっきりとした目鼻立ちに変わりはない。
髪型も自由だし、好きなときに切って貰えるから、昔のままずっとキープできてる。ふわりとしたミディアムヘアーで、髪質は以前よりもキューティクルてんこ盛りになったってくらいに艶やかだ。ここまではいい。
問題は色。元は茶色っぽかった黒髪が、今は紫紺になってるんだ。紫色を帯びた深い紺色。自分でも見惚れるような綺麗な色だ。
髪だけじゃなく、眉なんかも含めて黒から紫紺に変わってしまってる。綺麗だし好きな色ではあるんだけど、これは一体何なのか。
それから肌の色。元は少しだけ日に焼けた健康的な色合いだったはずだけど、今は青白い。病気かと思うくらいに青白い。しかも夏場でも毎日、外でトレーニングしてたのに全く日焼けしなかった。
瞳の色は変わらずに黒だ。どうせなら、黄金色や深紅にでもなってれば面白かったのに。
この変化については、なんとなく想像はつくけど、やっぱり色々と考えてしまう。
まぁ見た目のことはともかく、どう考えても元と一緒の身体じゃないことは確かだ。スキルの影響か身体能力も異常なほど強化されてるし。
さらにだ。ここに来てから結構な日にちが経ってるけど、余り変わったようには見えない。これについては勉強して答えを得てるけど不思議なもんだ。
名前だって今はユカリノーウェ・ニジョーオーファスィ。「にじょうおおはし・ゆかりのうえ」だったのに異世界風に変わってしまった。別に私自身がそう名乗ってるわけじゃなくて、鑑定された結果が改変された名前だから正すことができないんだ。
鏡の前でそんな物思いに耽ってると、フレデリカがからかってくる。
「何をしているのですか? もしかして、また自分に見蕩れていたとか? ユカリって意外とナルシストですよね」
「そんなんじゃないってば。ちょっとお肌の調子が気になるだけよ」
「そうですか? それでしたらいつもと変わらず、綺麗なものですよ。そろそろ行きませんか?」
「うん、分かった」
食堂に移動して、いつもの栄養補給に勤しむ。
相変わらず騒がしい連中もいるけど、気にせずゼノビアとカロリーヌも交えて手早く済ませてしまう。
新入りの冒険者と治癒師ご一行との出会いから数日。
彼女たちとも少しずつ打ち解けてきた。日々トレーニングを一緒にしたり、図書館で勉強したりと、直接戦闘した武闘派の二人以外とも交流を持つことができたんだ。
そんな折、治癒魔法使いの老婆に薬魔法について相談してみた。
「ほう、薬魔法の適性か。そりゃまた珍しい魔法適性じゃのう」
老婆は治癒魔法使いとして、その筋では有名な人だった。
その名はローザベル。当代最高の治癒魔法の使い手だとか、近代の治癒魔法使い全体のレベルを押し上げたとか、様々な功績を積み上げた偉人といってもいい人。
銀髪をひとつにまとめて右肩に垂らした髪型と、いつも浮かべてる悪戯っぽい表情が特徴だ。
まさか図書館の資料で見たことがある人と同一人物だったと分かったときには本気で驚いたし、ちょっと疑った。実は今も少し疑ってるのは内緒だ。だってそんな高名な人が、こんな場末の収容所にいるなんておかしいでしょ。捕まった経緯は聞いてるけど、その後の国の対応にも納得はできない。
おっと、閑話休題ね。
「資料を漁っても、そんな魔法適性は見当たらなくてね。治癒魔法の派生系だとは思うんだけど……知ってる?」
「その魔法適性を持っている奴は知らん。薬魔法自体は治癒魔法適性があれば、誰でも使えるんじゃが。まぁ、予想は付くぞ」
「聞かせて」
私もある程度は予想してるけど、プロの意見はきっと参考になる。
「お前さんも知っておるじゃろうが、基本から教えるぞ。まず、全ての魔法には等級がある。第一級から第七級に分類され、第一級は伝説級と言われて文献など記録上には存在するが、実際に使える者は誰もおらん。第二級と第三級は上級魔法とされ、使い手も限られる。特に第二級が使える者は、世界中でも多くても百人程度ではないかと言われておる。むろん、わしは使えるぞ。しかも何種類も使えるんじゃ!」
いい年した老婆がドヤ顔はやめなさい。確かに凄いけど。
「第四級から下は、中級魔法、下級魔法と分類される。ここまではよいな?」
「基本ね、もちろん知ってるわ」
ここまでは魔法全般の基本。私は当然、学習済みだ。
「次に薬魔法についてじゃ。これも基本からいこうかの。薬魔法は最も簡単な第七級であっても、治癒魔法適性が無ければ使えん。ゆえに治癒魔法使いにとって、保存の利く回復薬の作成は重要な仕事のひとつとされておる。治癒師ギルド、治癒魔法使いにとっての義務でもあるんじゃ」
治癒魔法適性の持ち主は珍しいってほどでもないけど、そんなに多くいるわけでもない。
そして治癒魔法は適性がなければ、もっとも簡単な第七級も使えないんで、とても有用な能力として引く手数多なんだ。
ほとんどの治癒魔法使いは街の治癒院で働いていて、世の中の医療を一手に担ってるらしい。その他には冒険者として活動する者や、治癒院じゃなくて軍など国の機関、貴族や大商人のお抱えとして働いてる場合もあるらしい。
ただし、治癒師ギルドに所属してる場合には、義務としてランクに応じた一定数の回復薬をギルドに納入しなければならない決まりがある。
小さな町や旅商人、冒険者なんかには特に必要な物だし、とても大事な仕事だと思う。もちろん、治癒師ギルドに所属するメリットは数多くあるんだけどね。
「薬魔法で作った回復薬にも等級があるわよね? 私は実物を見たことはないけど」
「うむ。魔法と同じく、第一級から第七級までなんじゃが、魔法とは違って伝説級は第一級に加えて第二級もがそうなるんじゃ。理由は知っておるか?」
「いいえ、それは知らないわね。私が見た資料にはなかったことね」
やっぱりここにある資料だけじゃ限界があるみたいだ。本職の人に聞けてよかった。
今の私は資料ばかり読み込んで、頭でっかちになってるのかもね。もっと他の人にも色々話を聞いてみたいところね。
「これが薬魔法の厄介なところなんじゃが、例えばわしが第二級の魔法を使って回復薬を作ったとしよう。すると、出来上がった回復薬の等級は第三級になってしまうんじゃ」
「等級が下がるってこと!? それなら今ある世界最高の回復薬は第三級ってことになるんだ」
「左様。そもそも第三級の回復薬を作れる者も少ないがの。さらに言えば、回復薬は何種類もあるんじゃから目的の第三級が欲しいと思っても、手に入れるのは簡単ではないのじゃ」
そう、回復薬といっても種類は様々ある。
代表的なところだと、まず傷回復薬が挙げられる。その名のとおり、怪我が治るスタンダードな回復薬のことね。魔法と同じ効果があるから、等級によって効果は違うけど一瞬で怪我が治っちゃうファンタジー丸出しの優れものだ。
他には、体力回復薬、魔力回復薬、病気回復薬、状態異常系の各種回復薬がある。この辺も如何にもファンタジー感あってワクワクするわよね。特に病気なんて千差万別なのにどうして治るのか謎すぎる。
「そうか。優れた治癒魔法使いでも、得意不得意があるから、全種類の回復薬で第三級を作るなんて無理なんだ」
「わしでも全部は無理じゃな。それに第三級や第四級の回復薬は、貴重品じゃからな。優先的に王宮や高位貴族、軍に高値で買い取られてしまうんじゃ。上位、中位の回復薬が如何に貴重であるか分かるじゃろ?」
これだけでも治癒魔法適性の有用性が分かるってもんね。
「なるほどねー。それらを踏まえた私の魔法適性は……」
「どんなもんか想像できたかの?」
「薬魔法を使ったときに、等級が下がらない可能性?」
「お前さんは治癒魔法使いとは違うからして、恐らくはそうなるじゃろうな。さらに言えば、全種類を同等に作れるんではないかの。そうでなければ、薬魔法に特化した魔法適性とは言えんじゃろう。その代わりに、普通の治癒魔法は使えんじゃろうがな」
治癒魔法が使えないってのは、回復薬が作れれば特にデメリットにはならないような。
むしろ等級が下がらず、保存が利き、高値で売れる。メリットしかないんじゃ?
あとは、私がどの等級まで使えるようになるかの問題ね。これは頑張るしかない。
なんか、どんどん魔法への渇望が強まっていくんだけど。
「早く使ってみたいわね。薬魔法には何かコツみたいなものはある?」
「ふーむ、コツと言えるかどうか。これは魔法全般に言えることなんじゃが、現象や結果を具体的にイメージすることがとても大切なんじゃ。簡単に言ってしまえば、強固なイメージができて、それを実現できる魔力と適性さえあれば、何だって実現可能と思ってよいくらいじゃな」
「イメージねぇ」
「そうじゃ。より具体的でより強固なイメージは、魔法として具現化するときに、より大きな結果をもたらすし、魔力効率も良くなるんじゃ。極端な話、魔法とは全てがイメージと覚えておけ」
「覚えておこうじゃない。うーん、イメージか……」
「あとは実践じゃな」
それが問題ね。
イメージは恐らく問題ない。というより現代日本の知識がある分、まさしく、より具体的かつ強固なイメージが可能だと思う。
傷の修復なら、血小板の働きや炎症、細胞分裂、新しい組織の強度の変化とかね。
科学的な医療知識のない、この世界の治癒魔法使いが作った回復薬で問題ないなら、きっと細かいことなんてどうでもいいレベルで、本当にイメージこそが全てなんだと思う。私のいい加減で中途半端な知識でも、イメージの確立として活用するだけで大きなアドバンテージ足りうるはずだ。
「ありがとう、ローザベルさん。かなり参考になったわ。早く実践してみたいけど、こればっかりはね」
「そうじゃな。わしもお前さんの魔法の結果が気になるんじゃがのう」
「ここを出たら手紙でも出すわ。治癒師ギルドに預ければ、ローザベルさんまで届く?」
まぁ、ここを出るなんて、まだまだ先の話だけどね。それでもその後のことを色々と考えて、予定まで決めておくことは私にとって、きっと良いことだと思う。
「わしらはまだ収容期間も決まっておらんからのう。どっちが先に出れるか分からんが、ギルドにわし宛で出してもらえれば、いずれは受け取れるはずじゃ」
「ならそうするわ。きっと、もの凄い回復薬作れると思うし」
「魔法未経験と言っておった割には自信満々じゃのう」
「ふふっ、魔法はイメージなんでしょ? そういうのは得意なのよね」
「ほう、それは楽しみじゃ」
お互いニヤリと笑うと、悪徳商人同時の会話みたいで、ちょっと嫌だ。
「他にも聞きたいことでもあれば、いつでもわしのところに来い。それから、わしの仲間の治癒師に聞いてみるのも良いじゃろう」
仲間の治癒師といえば、今ここにはいないけど、だいたいローザベルさんと一緒にいるエルフのコレットさん。それから、中年……いや、ちょっと年上のお姉さまのふたりか。
ローザベルさんとは違った見解が聞けるかもしれないし、せっかくだしそうさせて貰おう。特にエルフのコレットさんには聞いてみたいわね。
「ありがとう。遠慮なく、そうさせて貰うわ。あー、早く魔法使いたい!」
ところが、まさかこんなに早く魔法を実践できる機会が訪れることになるなんて、思ってもみなかった事件が起こる。
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