思想的自分史

湿原工房

はじめに

 カクヨムにおいて、2017年8月現在の時点で、未完結の作品を8品も抱えて、これ以上、別枠で作品を書いていいものかどうか、思いもしたのですが、思い立ったそのときに書き始めないと記憶の網をすり抜けていくので、この枠を設けたという次第となります。


 さて、この作品は作品というのもはばかられるような、個人的なもので、私が私を確認しなおす作業として書いていきます。

 私は物事を考える、そしてそれを文章にする、というのが趣味みたいな人間だったのですが、20か21歳あたりを境に思考に没入できないという状況に陥りました。それは当時の私が"忘れ"について考え、その思考の内容を実践しようとしていたことが無関係ではないかもしれません。また、ダダイズムへのシンパシーも関係しているかもしれません。あるいは就職して初めての上司がヒステリックであったことも無関係ではなかったかもしれません。あるいは年齢的な側面もあるかもしれませんし、学生から社会人に移行して生活が変化したことも影響しているでしょう。このように状況が同時的に変わっていった時期でしたから、自分のなかでも何が原因でこうなったのか、明確には究明できていません。

 とにかく、このころを境に思考に没入したり、物事から何かを読み取ったり、また自分がいまどんな感情を持っているのか感じとれなかったりと、そんな状況に陥っており、蛇かなにかが脱皮して、本体はどこかへ消えてしまって、抜け殻だけがここに残っているような状態とも思いましたし、胸を穿ってコンクリートで空白を埋められたような感覚とも思いました。せめて空白のままにしてくれていれば、まだしも気流が何かを思わせてくれたのではないかしら。コンクリート補修したのは誰だか分りませんが。

 と、こんな状況のなか、ふっと過去考えていたことの片鱗が記憶のほうからちらつく、ということがまれにあり、しかし全容は伺えず、探る手も徒に言葉に弄ばれるきり、近づく手段を逸していて、片鱗が鼻で笑えるものであればそもそもそんなことをする必要も感じませんが、今考えていることよりずっと好いもののように映るので、追わずにいるという態度にもなれません。

 つまりはこういう片鱗の本体を釣り上げよう、ということがテーマです。思ってみれば(いや、思ってみずとも)現在連載中の作品は、同じことを別の仕方でしているのです。今後ともよろしくお願いします(図々しい)。おそらくこれは他の作品よりずっと文章が乱雑になると思います。


※そしてこれも他の作品と同様、不定期更新です。

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