造花のうた
大淀たわら
プロローグ
「よし、完成っと」
パレットに筆を置いてキャンバスを眺めた。
最後まで絵具を置いた花弁の部分。いい質感が出ている。視線を中心から右へ滑らせ、端からさらに斜め下へ。細部の積み重ねは大切だが全体を見ることも忘れてはならない。ディティールを突き詰めることに捉われてしまうと全体のバランスをも狂わせてしまう。全体を眺めて調整し、細部を描き込んでから全体を眺める。ひとふでひとふで塗り重ねつつ俯瞰で各部を整えていく。油彩はそれの繰り返しだ。そうやって世界を構築していく。
ファインダーを覗くみたいに片目をつぶった。
彩りは悪くない。立体感も表現できている。
「いいんじゃないか、な」
思わず自賛が滑り出た。口に手を当て周りを見回す。美術室に影はない。きょろきょろと視線を彷徨わせる私がいるだけだ。自嘲し、もう一度画面に意識を戻す。
うん。
「いいできだ」
凝り固まった背筋を伸ばす。滲み出る欠伸に頬を委ね、校舎の外に目をやった。西の空が、花が咲くように鮮やかだった。
いつも想う。この景色が私の作品だったらどれほど救われただろう。この時間、 この瞬間にしか観賞することの叶わない神の芸術。自分と他人を比較して劣等感に煩わされることもなかったはずだ。
意識が奪われるほど見惚れてしまう。なのに……夕陽は残酷だ。沈むのを待ってくれない。
「今日が、終わる」
今日が終わる。
今日が終わっていく。
地面から突き出た建物の影が、なぜだか不必要に真っ黒に見えた。
身震いし、もう一度自分の作品を見直した。見直して、それから乾燥棚に目を向けた。準備室の扉を見た。古ぼけて、固くて、迫るような厚みがあった。息苦しさに耐え切れず、私はキャンバスに逃げ戻った。スカートの裾を握り締めた。
……いいでき? 本当に?
画布は泥を塗りつけたようだった。
「だめだ」
これじゃあ駄目だ。全然足りない!
理想とする構図。理想とする色彩。理想とするマチエール。
もっとだ、もっとよりよい表現があるはずだ。
出し尽くさなければ、出し尽くさなければ、私のすべてを出し尽くさなければ!
でなければ敵わない。でなければ追いつけない。でなければ、でなければ、でなければ私は! ああ! でも、これ以上、
「私に、何が……」
今日が終わる。今日が終わっていく。
怖い。私は怖い。
ふと気付けば誰かが私を覗いている。剥がれた絵具の割れ目からじっと私を観察している。私は、真っ黒な瞳が恐ろしくなって取り繕うように筆を取る。空いた隙間を覆い隠す。キャンバスを無意味に塗り潰す。
また明日がやってくる。
私は、それが怖い。
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