2章 吹奏楽部の白銀笛姫 3節
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夢はいつか覚めるから夢なのであって、覚めない夢があるとすれば、それは死だ。――立木ゆたか(高校生 2000~)
そんな格言を勝手に作りながら、私は今日も、第二手芸部でくすぶっていた。今は姫芽の衣装ではなく、部員のドールの衣装を作っている。花西は今回も、際限なくエッロイエナメルのボディスーツをオーダーしていた。さすがの私といえど、これは割りと苦労するのに。
悠里との時間は、夢のように過ぎていって、結局私は、部活をやめることができていない。悠里ともあれきりだ。
驚くべきことに、スマホを持っていないというし、連絡先の交換はできていない。まあ、吹奏楽部の部室に行けば会えるんだろうけど、なぜかそれは、してはいけないことのような気がしていた。
自分を変える。そんな、口に出すだけなら簡単な言葉を実行に移すのには、どれだけの決意が必要なのだろうか。
結局、多くの人はなんとか自分を変えたいと思いながらも、ずるずると大人になっていってしまい、最後には「もう若くないから」と、流れ着いたその場所を自分の居場所として受け入れていくのかもしれない。
――そんなの、私はイヤだ。モラトリアムまっただ中の私はそう思う訳だけども、実際に私が歩んでいるのは、そのルートだった。そしてたぶん、もう既にどこかで諦めているからこそ、現状に甘んじようとしているのだろう。
変化は辛い。今の私が、自らに杭を打ってこの場所に留まっている状態とするなら、動くためには自らに打った杭を引き抜かなければならない。痛い思いをして、たくさんの血を流して。……そうするぐらいなら、この場に留まっていたい。それは“弱さ”や“怠惰”というよりは、合理的な、人間として当然の考えなんじゃないか、とも思う。でも、それを受け入れてしまっては、私はひとつも進歩できない。ここで成長を止めてしまうことになってしまう。それでいいのだろうか。
「今日、体育あったよね」
春先とはいえ、体育でそれなりに汗はかいた。だから、体操服を着回すなんてことはしたくなかったけど、残念ながら体育系の部活に所属していない私に、ユニフォームのような上等なものはない。
「姫、どうしたんですか?」
ドールの衣装を頼んでいる手前、私を逃したくない花西が声をかけてきた。
「ちょっと気分転換。荷物は置いてくから、このまま逃げたりはしないよ」
逃げ出した前科があるので、しっかり人質を置いていく。
私は体操服の入ったサブバッグだけを手に、部活棟一回の更衣室へと向かった。
面白いことに、この高校の更衣室は、女子のものだけきちんと着替えを置くための棚があり、更衣室としての体裁が整っているものの、男子の更衣室は空き教室を再利用しただけで、あまり更衣室らしい内装をしていない。これにはきちんと理由があって、元々更衣室は女子のものしかなかった。ところがある時、いわゆるモンスターなペアレンツ方が学校に押しかけて「男子に更衣室がないのは男女差別なのではないか」と抗議したところ、新たに男子更衣室が作られた。
とはいえ、実情として男子は女子がいなくなってから、それぞれの教室で着替えているらしく、この男子更衣室はまるで使われていない。なら、これはただ親のクレームを封殺するためだけのお飾りの更衣室なのかといえば、そういうこともなく、唯一、体育系の部活の生徒が使用している。放課後は教室が施錠されるので、更衣室ができる以前は廊下や、部室で着替えていたらしい。しかし、廊下はともかく、体育系の部活の部室は狭いため、そこに部活終わりの男子生徒たちがすし詰めになると、主に臭いの面で地獄絵図になっていたらしい。そこを男子更衣室が救ってくれた、という訳だ。
まあ、女子である私には関係のない話だけども、学校のちょっと面白い歴史を思い出しながら、女子更衣室で体操服に着替える。ちょっとじめっとしているけど、まあ、耐えられる範囲なので我慢した。そして向かうのは、運動場のトラック。陸上部たちが利用している場所だ。
「莉沙、お疲れ」
「おっ、ゆたか。よく来たね。ひとっ走りしに来たの?」
「まあね、気分転換に」
私を出迎えてくれたのは、小見川莉沙。小学校からの付き合いの、いわゆる幼馴染の親友だ。中学から陸上部、特に短距離走を始めて、結構な記録を持っている。さすがに鍛えられているだけあって、すらりと高い身長に、余計な肉の絞られた体型をしているけど、私は莉沙よりも更に身長が高い。……ばりばりインドア派なんですけどね。
私は陸上部に籍を置いてはいないけど、莉沙の友達で、かつ鍛えていなくてもそこそこの記録は出せるから、部員の刺激になるだろう、ということで飛び入り参加を許可してもらっている。この辺りは、実力主義な体育会系らしい。後、平時は生徒会の監査が入らないどころか、普通に生徒会役員も部活をやっているので、かなりゆるいという事情もある。
「よーしっ、じゃあ、僕と競走しようか、競走!」
「長距離ならいいけど、やる?」
「…………なら、遠慮しとくよー」
莉沙は短距離なら敵なしだけど、長距離になれば途端にバテてしまう。そんな生き急いでいるような莉沙だけど、実はのんびり屋で、熱くなるのは体育系だけだ。熱しやすく冷めやすいというか、普段はほんわか、時々情熱的に、っていう感じで、割りと珍しいタイプなのかな、と思う。
「まあ、本気で走る訳じゃなくて、ジョギング感覚でやるつもりなんだけど、それなら莉沙もついて来れるでしょ?一緒に走らない?」
「うん、それならいいよ。……やっぱり、あれ?ストレス溜まっちゃった?」
「別に、明確に辛くなったって訳じゃないけど」
ジョギング感覚と言いつつ、部活で使っているトラックを使わせてもらうからには、そこまで力は抜かず、気合を入れて走る。とはいえ、莉沙のことを考慮して、ある程度はセーブした。
「ゆたかは僕と違って、頭いいからさ。考えることが多いと、悩むことも多くなるよね」
「莉沙も普通に頭いいでしょ。あんたは考えようとしてないだけ」
「たははっ……そうかな。でも、ゆたかは頭いいよ。すっごく」
「…………それは知らないけど」
トラックをぐるぐる回るだけの長距離走は、見える景色が変わらないから退屈で苦手だ、と前に莉沙は言っていた。それに比べて短距離は、0.01秒でもタイムが縮まると、流れる景色の“色”と“空気の味”が変わるから、楽しいんだと莉沙は言う。
でも、普段は部室か家にとじこもっている私にしてみれば、同じ景色の連続でも、トラックを走っていられることが楽しかった。
「はっ、ふぅっ……えへへ、ちょっと疲れてきちゃった」
「無理して合わせなくてもいいのに。……私も、無心で走ってたら、莉沙を置いてきそうになっちゃった」
「いやいや、僕の好きでやってるんだから、付き合わさせてよ。ゆたかさ、陸上部、入ってみたら?」
「……何を今更。そこまで人材不足じゃないでしょ」
「でも、僕は短距離、ゆたかは長距離のエースになれると思うな。称号で言えば……『陸上部の根性鉄人(タフネスマシン)』とかどうかな?」
「絶妙にダサイ」
「たははっ…………」
まあ、今の称号が空前絶後のダサ加減だから、これから変わるならなんでもいい気がしてくるけど。
「でも、しんどいことを続けるのって、よくないと思うな。今は無理ができてるかもしれないけどさ、いつか参っちゃうよ。……ううん、もう結構限界が近いから、こっちに来てくれたんじゃない?」
「莉沙って時々、無駄に鋭いから困るな……。野生の勘?」
「そこは普通に女の勘でいいと思うなぁ。僕、女の子っぽくないけど」
「ただしおっぱいは除く」
「重くて邪魔なんだよ……」
「あんた以上にある人間の前で言うな」
「貧乳になりたいなぁ。ねっ、ゆたか」
「さらっと全貧乳女子を敵に回すな。そして私を共犯者にしようとするな」
……けど、限界が近い、か。
いや、もうきっと私は限界を越えている。ただ、もう子どもではないから、無理ができているんだ。けど、そうやって無理を続けた先には?
「莉沙」
「うん?」
「もしもなんだけど、莉沙は陸上部がなくなったら、どうする?走ること、やめちゃう?」
「んー?いや、そんなことはないかな。先生や先輩のアドバイスをもらうことはできなくなっちゃうし、運動場を使えなくなるけど、他の場所を探して走ると思う。好きなことだからね、部活がなくってもやめられないよ」
「けど、元々は私にスポーツで勝ちたくて、陸上を始めたんでしょ?」
そして、現に莉沙は体力勝負以外では私に圧勝できるほどになっている。
「それはまあ、当初の目的だったよね。でも、手段が目的というか、手段がそのまま生きがいになっちゃったもん。今ではゆたか関係なしに、僕は走るの好きだよ。……それが?」
「じゃあきっと、私は第二手芸部がなくても、ドールを楽しめる……」
「そりゃあそうでしょ。第二手芸部自体、高校から入ったっていうか、作ったんだし」
そして、彼女は。悠里は、吹奏楽部じゃなくても、フルートは演奏できる。きっとそうだ。
「部活、やめたいの?」
「……悩んでる」
「そっか。まあ、僕はゆたかの部活は全然知らないからね。外から何か言うってことはしない方がいいと思うんだけど」
勝手なイメージだけど、体育会系の人っていうのは、その考えの根本に根性論や“押し付けがましい優しさ”があるものだと思う。自分はこう思っているから、きっと他人にとっても同じだ。だから、自分の理屈を押し付ける。
だけれど莉沙は、そういうところがない。自分と他人を明確に分けて考え、相談に乗ってくれても、結局は私自身が結論を出すように言う。そんな彼女が、こんな前置きをしてまで何か言い出そうとするなんて、珍しいと思った。
「義務感だけでやりたくもないことをやり続けるって、相当辛いよね」
「…………うん」
「そんだけ。ゆたかはすっごく我慢強いから、それでもやれちゃうのかもしれないけど。でも、僕は無理そうかな。堪え性がないからねー」
莉沙は、私の我慢の限界が近いということを、見抜いてあえてそう言ったのだろうか。
「莉沙」
「うん?」
「……ありがとね」
「いえいえー。ちょっとでもゆたかの力になれたのなら嬉しいよ」
「ちょっとどころじゃないよ。すごく助かった」
「そっか。でもさー、ということは、アレでしょ。よく女子にあるやつ」
「えっ?」
「自分の中で答えは決まってるのに、あえて人に聞いて、その自分の中の答えをそのまま言ってもらうことで、安心するやーつ」
「…………そういうのさ、思ってても言わないでくれる?」
やっぱり、莉沙はまだまだ空気を読むという能力には長けていないみたいだった。天然さんに求めるスキルではないのかもしれないけど。
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