Epilogue "Cirlastan"
#120 四人目の主人公
白い天井が見える。見たこともない壁紙の部屋で窓からは早朝の冷たい光が差し込んでいた。窓の外には木の葉が陽光に照らされて明るい緑色を見せている。木に隠れてよく見えなかったが、建物を見下ろす情景からここが高めの建物であることがよくわかった。
真っ白のベッドの上に寝かされていた。自分の服も真っ白で着心地が良いものだった。上体だけ起こすと丁度カーテンで仕切られたところを開けて初老の男性が入ってきた。白衣を着て、内に赤色のカーディガンを着ている。穏やかな笑顔でこちらに目を据えた。
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なかなか、上手く言葉が出てこない。寝起き特有の気だるさも相まって、リパライン語で話そうにも考えがまとまらなかった。医師らしき初老の男性は、ばつが悪そうにこちらから目を逸らした。多分誰かから自分がリパライン語を話せるような、話せないような状態であることは聞いているのだろう。だが、顔を合わせた時にいざ話せないと気まずくなる。そんな感じだった。
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医師はこちらに目を戻して答えた。その優しい眼差しには敵意は一つも感じることが出来なかった。安心して尋ねられた。だが、心配は心を急かし、ついつい医師の方に身を乗り出して掴みかかって尋ねるような体勢になってしまった。医師はよろけそうな翠を受け止めてベッドに戻すようにして話を聞こうとしていた。
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医師がそこまで言ったところで誰かが走ってくる音が聞こえた。医師はやれやれという顔で近くにある椅子に座った。なんだろうと音のする方に顔を向けると無造作にドアが開けられる音が聞こえた。そしてカーテンも開けられる。誰が開けたのか確認する暇もなく、誰かが胸に飛び込んできた。
「うわっ……シャリヤ、大丈夫だったのか……。」
銀色の髪は飛び込んできて風でふわりと浮いて、白いベッドの上に広がった。自分の胸にしがみついたままで、顔は見えない。顔を押さえつける強さからは、思いの強さが推し量れる。
いきなりの出来事で困惑しながらも、彼女が生きていたことに安心をすると共にあの状況で計画は無事成功したということを理解できた。
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シャリヤは翠の胸にしがみついたまま、ぼそぼそとつぶやいた。きっと怖い思いをしてきたに違いない。自分に会いたかったに違いない。シャリヤのぬくもりが寝起きで低体温の体に伝わって、彼女が生きているという実感をやっと得られる。出来事を言語という記号で聞いて理解するよりもはっきりと、そして強烈にシャリヤを守ることが出来たことを受け入れられる。その事実を反復するたびに嬉しさと緊張の解放で言い表せないような感情が全身を震わせた。
「あれ……なんだこれ……」
しがみついたシャリヤの髪の上に数滴の水滴がかかる。手で自分の頬を触って初めてそこを伝う水滴に気づいた。そこでやっと自分は泣いているのだと気づいた。
シャリヤも自分の頭に涙が伝っていることに気づいたのか、しがみついたまま顔を上げて自分の顔を見てきた。こちらを見つめる青い目は宝石のような輝きを秘めている。頬は少し赤くなり、桜色の唇は翠が泣いていることに気づいて何かいいたげに少し開いていた。シャリヤの顔を見て全てが愛おしく感じた。
そして、涙も止めどなく出てきた。なんで自分が泣いているのか全く分からなかった。シャリヤを守れたし、人々の無為な戦いを終わらせることも出来た。それなのに、涙が止まらなかった。悲しいわけではない、愛する人を救えたことが自分の全身を感情で震わせて、涙を流させていた。涙で前が見えない状態で、何かが頬を触れた。柔らかい布のような手が頬を撫でて、涙を拭いた。
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呼格も忘れて、シャリヤを抱きしめる。シャリヤは逆に翠の行為に困惑している様子だったが、逆に抱き返してくれた。このまま暖かな温もりを感じ続けていたいと思っていたその時、近くのカーテンが閉じられた。
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咳払いをして、目の前に立っていたのはヒンゲンファール女史であった。いつもどおり落ち着いた色の服に身を包んでいる。流石に今は機関銃など持っていないと信じたい。
医師も居なくなって、窓際のカーテンも閉じられている。部屋のドアは閉められ、病床を区切るカーテンも閉じられていた。居るのは自分とシャリヤとヒンゲンファールだけ、彼女も自分のお見舞いに来たのだろうと思いきや表情は思いつめた様子でこちらを見つめていた。この状況に翠は違和感を覚えた。
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ヒンゲンファールは淡々と説明した。胸にしがみついたままのシャリヤはヒンゲンファールを一瞥してから恥ずかしそうにそそくさと部屋を出ていってしまった。ヒンゲンファールはそれを冷静そうに見送って、先程まで医師が座っていた椅子に座った。
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うむ、とヒンゲンファール女史は頷いた。「八ヶ崎翔太」というと日本人の名前のようだ。異世界人から自分以外の日本人の名前を聞いたことは今まで無い。もしかしたら、自分以外にもここに転移してきている日本人がいるのかもしれない。名字が自分と同じというところが気になるが、
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こ れ は タ 三 ル 言 吾 で す 〇
言 売 で み て ね 〇
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ヒンゲンファールは一枚の紙を差し出した。紙の端が真っ赤に汚れている。どうやらこれは血のようだ。だが、最も驚いたのは書かれている内容だった。
(タミル語と……これは日本語か?)
上から五行はインド先輩から教えてもらったことがあるタミル文字だ。辛うじて読めるがタミル語の知識は全く無いので何を言っているのかさっぱりわからない。だが、最後の二行は日本語っぽい。多分、「これはタミル語です。」「読んでみてね」と書きたかったのだろう。
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よくわからない話だった。シャリヤがイェスカを殺害した?いや、そんなわけがない。彼女は確かに戦場に居てイェスカを手に掛けることは出来なかったはず。というか、そもそもイェスカが死に際にタミル語と日本語を残すこと自体がおかしい。この異世界は言語まで全く別の異世界のはずだ。タミル語と日本語がわかる人間がいる時点で何かがおかしい。
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ヒンゲンファールは椅子から立ち、悲しげに目を瞑った。少しすると、何も言わずにこの場を立ち去ってしまった。
(一体誰なんだ、八ヶ崎翔太って)
ヒンゲンファールの質問、イェスカの自殺と遺書。結果的には何もかも成功と見ていいはずなのに、謎はどんどん深まるばかりであった。だが、調べるすべもない今の状況では何もすることは出来ない。今はそんなことより、さらにこの世界のことを理解し、シャリヤとともに時間を過ごすほうが大切だ。
だがどうしても、気になる。インド先輩のような人物が現れ、転生前の記憶が思い出せず、イェスカが日本語とタミル語を書いた。考えてみればおかしい話の塊だ。
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シャリヤが病室を覗いて、ヒンゲンファールが居なくなったことを確認してから入ってくる。その顔は普段の可愛らしいシャリヤに戻っていた。
(まあ、いいか。)
おかしい話なんて始めれば、この異世界に転生してきたことすらおかしい話なのだ。でも、今自分の周りには自分を愛してくれるシャリヤ、そして多くの仲間達が居る。彼らさえ居れば自分の今の生活は十分だ。
別に気にしなくてもいいだろう。イェスカがタミル語を書いて天変地異が起ころうか?起こらないならそれでいいだろう。当分、変なことに頭を突っ込みたくは無いのだ。
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呼びかけると、シャリヤはまたも抱きついてきた。その白銀の髪を撫でると心が安らいだ
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