握る拳は硬く、奪う悪魔は嗤い笑う。

悠夕

一章 『名無し少女と怪物男』

第1話 『略奪者』

 その日、人々が一番最初に見たものは大きな口だった。

 突如現れた謎の生命体。四足歩行で進行する首から先がないソレは、まず人類から平和という概念を奪って行った。


 ついさっきまでいつも通りの日常を送っていた。

 朝起きて、家族に見送られて、電車に乗って、会社や学校に向かう。

 いつも通りの日常。いつも通りの平穏を謳歌するはずだったのに。


 甲高いブレーキ音。電車は急停止し、同時に怪物になぎ倒され、脱線。

 叫び声がまだ響く間に、道路では車の数台が宙を舞い。

 気づけば火災が起きて、血潮が噴き出し、命が踏みつぶされ、日常は異常と地獄に塗りつぶされていた。

 空に開いた大きな口から、無数の怪物が降り注ぐ。

 その下に人間がいようと、何があろうと。御構い無しに降り立ち、そして命を蹂躙していく。略奪していく。

 立ち向かおうとする男にもケタケタと気味の悪い笑い声をあげながら覆い被さり、四肢を握りつぶし、腹部に開いた大きな口で貪り、喰らい尽くしていく。

 辺りに響くのは怪物の笑い声と、人々の悲鳴が混ざり合った不協和音だった。

 不協和音に怯え、逃げ出した人間ですら無慈悲に食いつぶし、絶望に逃げることも、泣き叫ぶことも忘れた子供でさえも無残に死んだ。

 死んでいく。朽ちていく。色々なモノが奪われていく。

 後にサイレンやヘリのプロペラ音が混ざり始めたあたりで怪物たちは殺され、もしくは何処かへ脱兎のごとく逃げて行き────一旦は、平和が訪れた。


 世の中はソレを、第一次『略奪者ラオブ大進行』と呼ぶ。


 様々なモノを奪い、人々の生活をかき乱した怪物、ラオブ。


 未だ落ち着かない騒ぎの中、地面に転がる両腕を見下ろしながら、声をあげて涙する少年もまた、奪われた者のひとりだった。


「ふざ、けるなよ……なんで俺が、なんで……!!」


 そして音を立てて足早に月日は過ぎていく。

 あれから、早い事十年の月日が経った。未だ怪物連中の襲撃は止まないものの、国の復興は終わり、文化はほんの少し廃れたが、日常生活が送れるほどにはなった頃。


 単刀直入に言えば、日本は無法地帯と化していた。

 道には素行の悪い男や女が座り込み、そして道行く人を睨みつける。

 逃げるように早足で歩いていくまともだった、、、はずの人々が、世間の日陰へと押しやられる悲しい世の中だ。

 人の命の価値は低く、殺しや怪我くらいじゃ訴えたって誰ひとり動かない。

 得をしたのはと言えば、死体を漁るカラスくらいだろうか。路地裏へ飛んで行けば、何かしら新しい死体が転がっていて、食料には困らない。

 まともに働くのが馬鹿で、損をする。何もかもを捨てて欲望のままに生きた方が得をする。そんな世界だ。

 そうさせてしまったのは怪物か、はたまた怪物に襲われるというストレスか────。どっちにしろ若者たちが唱える、『こんな世の中じゃ働くのが馬鹿馬鹿しい』という理論は、否定しきれない事実である。


 そんな街中で、またひとつ死体の山が出来上がっていた。


「んの野郎……畜生……」

 否、死体ではない。積み上がった男四人のうち三人は見事に気絶して、意識のあるひとりは右足の骨が折れているだけ。これくらいならじっとしていれば日常生活へ戻れる範囲の怪我だ。

 そんな悪態を吐く男の額には、『タイヘンキケン! 近寄らないように!』と雑に書き込まれた貼り紙が。

 男の山を横目に過ぎ去る人々は噂する。


 やれ、またあの男がやったんだと。

 やれ、また一瞬で連中を片付けたと。


 やれ、やれ、やれ────噂は尾びれに翼まで生えて、独り歩きどころか飛び去り、どこまでもどこまでも拡がっていく。


 最終的に人々は口を揃え、こう言った。


「この街には怪物が住んでいる」


 と。


 ◇◆◇


 神奈川県某所。夏。

 怪物が訪れたとて毎年蝉は喧しく鳴き叫び、呑気なことだと人々は嘆息する。

 強い日差しが照りつける中、白髪混じりの男は自宅の引き戸を開けて、

「たでーま」

 かったるそうに、家の奥へと声を投げた。

 今では珍しい平屋。かなりの敷地を誇る家は、あまり声が通らない。かったるそうな男の声は誰にも届かないかと思いきや、台所から何やら皺くちゃな顔が飛び出した。

「おかえり、真斗まさと。随分と帰りが遅かったじゃないか」

「あー、くだらないヤツに絡まれてな。少し時間がかかっちまった」

 言いながら、真斗と呼ばれた男は両手に持っていた買い物袋を押し付ける。

 真斗の額に浮かぶ汗は、どうやら暑さからくるものだけではないらしい。袖が捲られた半袖のシャツをパタパタと遊ばせながら、真斗は自室へと向かって行った。

「にしても暑い。なんで連中は平和だけで、暑さまで奪って行ってくれなかったんだか」

 ため息を吐き、襖を勢いよく、音を立てて開く。

 部屋を入ってちょうど向かいに見えるデジタル時計は、八月十日を指している。

 今日であの日から、ちょうど十年。月日が経つのは本当に早いもんだ。

「で、だ。真斗、今回の相手は何人だった?」

「うわ、何処からともなく現れるなよババァ……」

 突然背後から声をかけられ、真斗は引きつった笑みを浮かべながら肩を跳ねさせて。

 ババァ────京子きょうこと距離を取りながら、ため息をもうひとつ。

「四人だよ。なんの問題もなく黙らせてきた」

「そうかい! 流石私の子だ……最高傑作だねぇ」

「へいへい。あんたの子は調子がいいですよ」

 何やらほんの少しズレたような会話を繰り返し、真斗は調子を確かめるように両手を開閉。なんら問題はなく、いつも通りの両手だ。男たちを鎮圧するのにほんの少し力を使いすぎたが、まあ許容範囲だろう。

「しかしまぁ、少しくらいは力の加減ができるように────」

 言って、京子へ気だるげな視線を向けたのと同時。

 真斗の背筋に、寒気が走る。


「────来た」


 誰に向けたわけでもない呟きを後に、真斗は駆け出して。辺りには甲高い、鼓膜を割くほどのサイレンが鳴り響く。

「ちょっと真斗、夕飯はどうするんだい!?」

「帰って来てから食う。俺の分取っといてくれ」

 肩越しに視線をやるだけで応え、真斗は靴を履くのもまどろっこしいのか、裸足のまま家から飛び出した。


「一周年記念大感謝祭ってか」


 真斗が向かう場所は、一体。

 苦笑を浮かべながら仰いだ空には、大きな口が広がっていた。

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握る拳は硬く、奪う悪魔は嗤い笑う。 悠夕 @YH_0417

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