第二幕:父親(二)

「なっ……なんてことだ……」


 ファイは絶望のあまり、両手を地につけてしまう。

 守和斗が見た指輪の記憶から、パイも準騎士だということはわかった。

 そしてその準騎士リロル正騎士ラロルの力の差は歴然としていた。

 ましてや、正騎士ラロル2人に敵うはずがない。

 だから、ファイが絶望する気持ちはよくわかった。


 だが、守和斗は「まだ希望はあるよ」とファイの肩をたたく。


「彼女は、この指輪のおかげで、とりあえずは逃げることに成功している」


「ほ、本当か!?」


「幻術がけっこう長く効いていたようだから、なにもなければ逃げきれたんだろうけど……」


 語尾を濁らす守和斗に、ファイがしがみつくように迫る。


「な、なにかあったのか!?」


「うん。パイさん、足をけがしているみたいだ。足を引きずっていた」


「くっ……。ああ! でも、彼女は治癒魔法が得意だから……」


「バカね。治癒魔法なんて時間のかかること、その場でできないでしょ」


「なら、少しなら風の魔術で飛ぶことも――」


「ホーント、バカね。魔術を使ったら追跡されちゃうわよ」


「あ……」


 クシィの正論に、ファイはガクッと肩を落とす。

 今は、「バカ」に言い返す気力さえないらしい。


「それからついでに言うと、俺たちが借りている家の持ち主を殺したのも、この第六の2人だね。どうやら、第五のトラクトたちを秘密裏に見張る立場だったみたいで、あの家を拠点にしようとしたらしい。で、その殺害現場に、運悪くパイさんが居合わせてしまって、見つかったみたいだ」


「……あんた、そんなことまでわかるの? 隠し事できなさそうで怖いわ。えーっと、なんて言うんだっけ? ……あ! 『ストーカー』?」


 クシィが顔を顰めて、少し身を引いてみせる。


「おい、誰がストーカーだ。面白がってこっちの言葉を使うな。……だいたい、ここまで細かく読むには、全神経を集中しなければならないから簡単にはできないんだぞ。すごく無防備になって、殺されるまで気づかないぐらい鈍くなるんだから」


「え? ……そんな無防備に、私たちの前でなってよかったわけ?」


「別にかまわないだろう? だって、2人とも俺を殺したりしないどころか、きっと誰かが来ても守ってくれると思ったし」


「なっ! なんで私があんたのことを守らなきゃならないのよ! うぬぼれないでよ!」


 顔を紅潮させて怒鳴るクシィに、守和斗は肩をすくめながら思わず上半身を引いてしまう。


「いや。うぬぼれるというか、ペットはご主人様を守るものだよね?」


「なっ。そ、そういう意味……」


「ん?」


「う、うるさい! ご主人様を放って逃げるペットだっているわよ! むしろ、ご主人様がペットを守るべきでしょ!」


「あ、そう……」


 守和斗は、クシィのよくわからない迫力に負けてうなずいた。

 これ以上の言い合いは藪蛇になりそうだと、今度はひれ伏したままのファイの手をとって立たせる。

 ファイが力なく、それに従う。

 しかし、彼女の顔がうなだれたまま上がらない。

 仕方ないだろう。大事な友人が危険な目に合っているのかもしれないのだ。

 そんな不安を慰めようと、守和斗は彼女の頭をポンポンと優しくたたく。


「あうっ……」


 伏せた顔から微妙な声色がもれた。

 慌てて「すまん」と、守和斗は手を引く。

 つい妹たちと重ねて、同じような慰め方をしてしまった。


(もしかして俺、寂しくなっているのかな……)


 いい歳して情けないと恥ずかしくなり、守和斗はごまかすように少し気どって話しを進める。


「えーっと。……それで、どうする?」


「……パイが襲われたのは、どのぐらい前の話なのだ?」


「うーん。2日前かな。あの家主の死体の様子からもまちがいないと思うよ」


「2日前……」


 もし、すでに捕まっていたなら、パイという少女は無事ではないかもしれない。

 逃げのびたとしても、怪我した足でどこまで行けるのか。

 回復魔法が得意と言っても、下手に魔法は使えないならば、怪我は悪化しなかったのか、食べ物はあるのか、魔物に襲われたりしなかったのか……。

 ファイの中に、不安要素はたくさんあるはずだ。


「……よし! パイは、どっちに逃げたのだ?」


 ファイの言葉に、守和斗はある森の方向を指さした。

 それは、偶然にもファイが先ほど示した方向と同じだった。


「ふっふっふっ……。やはり騎士の魂は正しき道を選ぶな」


「偶然でしょうが、バカ騎士」


「バカと言うなハレンチ!」


「あんたこそ、ハレンチ言うな! ……って、なによ。調子でてきたじゃないの」


「ふん。当たり前だ。騎士はいつまでもウジウジと悩んだりはしない」


「バカは単純でいいわね」


「な、なんだと貴様! 貴様に……って、それどころではない。すぐにパイを追わなければ!」


「本当のバカね、あんた。今から森に入ったら夜よ。真っ暗な中を何の用意もなく歩く気? 助ける前に死ぬわよ。まあ、私はあんたが死んでも喜ぶだけだけどね」


「あうっ……」


 敵が近くにいるなら、なるべく魔法の使用は避けたい。

 それに着替えや食料などの用意もいるだろう。

 クシィの言うとおり、今すぐに山に入るなど自殺行為である。


「うーん。それじゃあ、今日はとりあえず小屋に戻って準備をして、ゆっくり休んで明日の早朝に探索しようよ」


「ちょっと! 私がなんで、敵の探索につきあわなきゃいけないのよ! それより私を先に帰してくれるって……」


「クシィさん。ご主人様は誰ですか?」


「で、でも、あいつは敵で――」


「【黒の血脈】の人は、勝者との約束を破るのかな?」


「くっ……。わ、わかったわよ!」


「大丈夫。約束さえ守ってくれれば、クシィさんのことは、命を懸けで守って、きちんと送るから」


「あ、あたりまえよ!」


 真っ赤になったクシィは、クルッと踵を返してスタスタと小屋の方に1人、戻っていってしまう。

 そこまで怒らなくてもいいだろうと思いながら、守和斗は「やれやれ」と肩をすくめる。


 そういえば昔、守和斗の父親が「子供を育てるより、犬猫を育てる方が素直で簡単だ」と言っていたことを思いだす。

 なるほど、わかる気がすると思ってしまう。

 ペットというより、じゃじゃ馬娘の父親気分なのかもしれない。

 よく「年頃の娘の考えは、父親にはわからない」という話も聞くが、こういうことだろうかと考える。


(あ~ぁ。まだ結婚もしていないのに、なんでこんな気分になっているのかなぁ……)


 守和斗は頭をかきながら、もう1人のじゃじゃ馬娘の方を見た。

 するとそっちはそっちで、なぜかこちらをキッと見つめていた。


(……なにを怒っているんだ?)


 まったく本当になにを考えているのかわからないと、守和斗はほとほと困りながら言葉を考える。


「いいのか?」


 すると、その前にファイが開口する。


「……へ? な、なにが?」


 質問の意味が分からず、守和斗は思わずじっと見返してしまう。

 しばらく見つめあった後、ふとファイの方が視線を下にそらした。


「だから、その……パイを助けに行くことだ。貴様は、私を助ける約束はしたが、パイのことは別に――」


「ああ、そういうことか!」


 守和斗は理解したと、パチンッと指を鳴らす。


「だって、ファイさんの大事な友達なんでしょう?」


「うむ。そうだ。……家族と同じぐらい大切な親友だ!」


「なら、仕方ない。助けるのは当たり前でしょう?」


「し、仕方ないって……そ、そんなこともなしに……。危険が増えるかもしれないんだぞ!」


「まあ、確かに余計なことして目立つのは厄介だよ。だから、残酷かもしれないけど、他の仲間まで全部助けるとかは、なしにしてよ」


「わ、わかっている。私とてそこまで図々しくない。それにそれは部隊長の役目だしな。私の小隊の他のメンバーは多分……」


「……そうか」


 そこでまた無意識に、守和斗はファイの頭をポンポンと優しくたたく。


「パイさんは、きっと大丈夫だよ。ファイさんの指輪が、きっとパイさんを逃がしてくれている」


「う、うむ……。あ…その……」


「ん? ……あっ!」


 守和斗は慌ててを引っこめた。

 困ったようにうつむきながら、ファイがどこかモジモジとしている。


「ご、ごめん。嫌だったよね……。つい……」


「いや、その……別にイヤ……とかではない…のだが……けど……そのぉ……」


「……ん?」


 そこに、離れた所からクシィの大声が聞こえてくる。


「ちょっと、なにしてるのよ! 私、お腹すいたんだけど?」


「……はい?」


「だから、お腹すいたの。早く、食事の支度しなさいよ!」


「なっ、なんで俺がすることで決まってるんだよ! こういうのは当番性――」


「なに言っているの! ペットの食事を用意するのは当たり前でしょ、ご主人様・・・・?」


「うぐっ……。ったく……」


 守和斗が、やれやれと肩をすくめてクシィの方に歩きだす。

 一度だけふりかえり、「先に行っているよ」とファイに告げると、まだ急してくるクシィの方に走っていく。


「困るんだ……」


 1人残ったファイは、守和斗から返してもらった指輪を握りしめていた。


「あんなにやさしく、同じことをされたら……思いだしてしまうじゃないか……」


 しかし夕焼けが作る自分の影の中に、彼女は指輪の持主のことではなく別の人を思いだしていた。


「父上……」


 頭に残るぬくもりのせいで、どうしても我慢できなかった涙が一滴だけ影に沁みていった。

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