マジック

 マジックほど楽しい遊びはない。誰もがマジックは見たことがあるだろう。そしてその度「どうしてできるんだろう」「不思議でしかない」というふうに感動するわけだ。そこで興味を持ったら家に帰ってYouTubeで「マジック 種明かし」とかいうように検索して、学んだマジックを友達に見せびらかして満足する。すると自分に自信がついてきて、視界がグーッと広がっていくときの快感といったらたいそうなものだ。

 マジックはすなわちサービスであり、見た人が何か手にしているわけではない。しかしマジックは、どんな人にも喜んでもらえるし、必ず興味を持ってもらえるすごい力がある。

また、マジックとは一つの長い歴史でもある。今人々をあっと言わせるマジックの数々は、大昔に生きた人から今を生きる人まで、マジックに興味を持った人々の試行錯誤によって出来上がった集大成である。

 人生がうまくいかなくなったとき、考えるべきは、何か当たり前だと考えていたことが根本的に間違っているケースだ。マジックを例に挙げるとすれば、私はマジシャンがトランプを混ぜたり並べたりするときの動作がいちいちかっこよくて、一瞬にしてマジックのとりこになってしまったわけだが、私が始めにやってみようと思ったのが、トランプを横にスライドさせながらきれいに等間隔で並べる動作である。私は練習すれば何とかなるとばかりに、ひたすら家にあったプラスチック製のトランプで練習していた。しかしいくらやってもできない。そこで「これは何かがおかしい」と考えた私は、パソコンでコツを調べた。そしてある事実を発見したわけだ。つまり、プロが使っているのは紙製のトランプで、プラスチック製のトランプとは異なりパフォーマンスに優れているということだった。私はすぐに紙製のプロが使ってそうなメーカーのトランプを購入し同じようにスライドさせてやった。するときれいにカードが並んでくれるではないか。

こんなふうに、物事には意外と根本的な間違いが多いように思える。マジックにもそういうところはある。「これがあなたの選んだカードですね」とか言っているくせに、実際はそもそもそのカード自体が選んだカードじゃないとか。それでこれだけマジックに感動できるわけだから、よっぽど人間は根本的なところに意識がいかないんだなと思ってしまうのも無理はないだろう。

 たまたま学校に来たマジシャンの方に話を聞く機会があった。その方は、超能力者と自分を比較して異なる点を述べてくださった。ずばりその異なる点とは、超能力者は人間からかけ離れた能力を持っていることを演じる一方で、その方は、見ている観客に対して「自分も同じ人間ですよ」という風にして、観客に寄りそうマジックを心がけているという違いである。

ではこの違いがどこで生じるのかというと、おそらくは観客とのコミニュニケーションの取り方だろう。個人的には観客との会話が少ない方が超能力者に思え、会話が多ければ、同じ人間として受け入れやすくなると思う。

同じマジックをしてもプロのマジシャンと僕なんかが演じるのとでは雲泥の差になってしまう。それは、マジックをする際必要なコミニュニケーションの経験値が少ないからだ。

 これはマジックに限らず多くのことに言える。まずはたくさん人と話してみることが大事である。そして多くのタイプの人と関わりを持ち、コミニュニケーションのスキルを高めることに努めよう。どこかで気付かずにも役立つときが必ずあるはずだから。

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