将棋
私は将棋を指すのが大好きである。私は「~戦法」だとか「~流」とか「~定跡」とか、そんなかっこいい用語を口ずさみながら生きる自分の姿に対し無性に憧れてしまうところがあり、そんな自分に将棋はピッタリだったのだ。そこから私はどんどん将棋の魅力に魅かれていき、戦法の解説の書いた本などを買いあさり、将棋を指さない日はないような毎日を過ごしていた。
ではなぜ私は将棋と出逢うことができたか。理由は二つある。一つは弟の存在である。今でも私の良き好敵手なのだが、私が小学四年生くらいになるまではある程度互角に戦えていた。しかし私は中学受験をすることになり、そこからは将棋を指す機会がなくなっていった。そして私が中学受験を終え、一息ついたとき、久しぶりに将棋を指してみた。まさに二年ぶりである。すると困ったことに全く勝つことができない。それどころか戦いにすらならない。これはどうしたものかと弟に問うたところ、彼は私が受験勉強をしている間、ずっと家にあった詰将棋(限られた手数で相手の玉を王手し続けて詰ますもの)を解いていたそうだ。始めはそんなものでこんなに大差がつくものかと思っていたのだが、だんだん弟にすら勝てない自分が情けなくなり、自分も詰将棋の本と簡単な戦法書を買ってきてそれを読み始める。すると自分の視界が急に広がって、さらに将棋を指すのが楽しくなったのである。
二つ目は学校の友達の存在である。「将棋の石田流を勉強している」というから、石田流って何と聞いてみたら、石田流というのは、全ての駒を働かせて勝つ戦法で、石田検校っていう盲目の人が考えた戦法だ、と彼は答えた。初心者である私は、何を言っているのかその時分からなかったのだが、石田流という将棋用語に興味を持ち、自分も得意戦法を見つけようとひたすらパソコンや本で調べ、理解を深めていった。ある時はその友達と将棋を指すこともあり、だんだん勝負になるくらいまで上達したつもりでいる。
そうして僕は弟と学校の友達によって将棋を趣味にする人生を選んだわけだが、ここで言いたいのは、人の人生は案外簡単に変化するということだ。弟が将棋に興味を持たず、学校の友達が違うことを答えていたら、私が将棋を始めることはなかっただろう。
それだけ影響があると思うと、口が話すためについているのか、呼吸のためについているのかますます悩んでしまう。
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