子犬⑥

「ほぅら、だから君は何も掴めない。俺が協力しなきゃ何も出来ない、父親と違って賢くも聡明でもない。生きてる意味ある?」


倒れ伏す私に向かって上から嘲笑を向けてくる声が、意識が落ちてから最初の他人の声だった。

もう頑張る事をやめようかと、この言葉の枷によって何度考えさせられ、心をへし折られただろうか。


私を縛った人物が立ち去ってから暫くすると、また違う誰かが私の傍らに屈み込み、私の長い髪を優しく持ち上げて、目を合わせてにっこりと微笑む。

その笑顔から目を背けると、移動してまた目を合わせてくる。


あまりの鬱陶しさに堪らず、舌打ちをしてからのろのろと立ち上がり、ボロボロになった服に付いた埃を払い、他の神が住まう場所から離れた、誰も居ないビルスキルニルに向かう。


「トールじゃないか、何だあの汚い姿は。穢らわしい」


「何であんな落ちこぼれがオーディン様の息子なんだか、俺の方が余程似合うってのに。オーディン様が居た堪れないな」


「おいこっち見たぞ、行こう。相手にするとロクなことがない」


日常茶飯事な陰口は慣れたが、直接的には関係ない親の陰口は、どうしても看過出来ない。


「貴様ら、オーディンは関係無いだろ!」


神力を雷に変換して3人に放つが、大きく左右に逸れて、反撃に繰り出された氷魔法が、的確に私の胴目掛けて飛来する。

直撃する直前で氷柱が目の前で消え、マントが私を覆って被さり、誰かの腕に抱き寄せられる。


「こらこら、喧嘩は駄目じゃないか。君たちオーディン様の御子息であるトール様を、陰であっても侮辱する事は、不敬罪で極刑だよ。彼は望まないけどね」


あぁ、またこのお節介賢者に横槍を入れられ、また勝手に助けられたと、このなよなよした声と口調で悟る。


「でもユエルさん、こいつは本当にオーディン様の息子なんですか。魔法もロクに使えない落ちこぼれが優遇されてて、俺たちが普通だなんて我慢出来ません」


「そうだよね、君のお父様はオーディン様と張り合っていたけど、賄賂が見つかって処罰された、本物の落ちこぼれ家系だもんね」


「なっ……俺とあいつは関係無いだろ!」


「だよね、直接的な関係は無い。だから普通の待遇がされてるんだ、それに君たちはトールくんの出力の足下にも及ばないでしょ。そんなひょろひょろの魔法で、誰かを殺せるとは思わないかな」


完全に論破されてしまったエリアは、舌打ちしてから2人を引き連れて走り去っていく。

背中に添えられていた手が私の頭の上に移動して、優しく髪を解く様に滑る。


「誰が助けろなんて……」


「すっきりした〜、最近忙しかったからストレス溜まってて。問題児な君のお守りでね」


「本当に一言多い奴だな、そろそろ離せよユエル。男装してて良いのかオカマ」


「酷いな、僕はただ髪が長くて顔が整ってるだけじゃないか。それなのに女って判断されるのはな〜、君も似たようなものだし仲間だね」


「だれが貴様と同じだって? この距離なら外す方が信じられないぞ、お前の褒めた高出力の魔法を食らいたいか?」


「可愛いね」


「忠告はしたからな、霹靂よ!」


マントの中で思い切り魔法を放出するが、魔法障壁を作っていたユエルは、傷ひとつ付かずに防ぎ切る。


「凄い凄い、一撃でこんなにも神力が削がれるなんて。四聖賢になれるよ君なら」


「なれるかよ、俺には才能が無いんだよ」


「でもね、やってやれないことは無いんだよ。君は少しだけマイペースなだけで、努力を継続する才能を持ってる。確かに僕みたいな天才には敵わないだろうけど、君が訓練の後も練習してるのは知ってるからね」


近付きつつあるこの平和の終わりを待ちながら、大人となった私は、幼き頃の記憶を見続け、そしてユエルの顔を最後にしっかりと拝む。


「ユエル様! ギリシャ神軍の侵攻が始まり、破竹の勢いで、既にこの神域の目前に迫りつつあります!」


ヴァルキリーであるブリュンヒルデが音もなく地面に降り立ち、槍を携えた腕に無数の切り傷を付け、オーディンを支える4つの柱のひとつであるユエルに、現状の報告を終える。


「さっ、僕も出ようかな。それで敵は?」


「ゼウス自らが率いており、雷霆の前に私たちヴァルキリーも成す術がありません」


「雷か、なら俺が行く。ゼウスが誰か知らねぇけどよ、鬱憤を晴らさせてもらうからな」


「君はオーディン様の下に行くんだ、この子をお願いするよブリュンヒルデ」


「はい、参りましょうトール様」


徐々に戦線の音が近付き、目視できる程に侵攻を許しており、瞬間的に移動したユエルが、髭の生えたジジイの雷を真正面から受け止める。


「待て、俺は……」


「申し訳ありませんトール様」


ブリュンヒルデに抱えられて戦線から離脱させられ、ユエルの後ろ姿が遠くなっていき、戦火から逃れる為に神域から出た先ですら、待ち構えている敵の姿があった。


ブリュンヒルデが女神の振るう槍を受け止め、弾き飛ばして私の手を取ってまた飛ぶ。

だが、投げられた槍がブリュンヒルデの右翼に命中し、地面に落下してから走り出す。


「ここは私が食い止めます、トール様は先をお急ぎ下さい。このまま真っ直ぐ走って森を抜けると、街があります」


「このまま行けるかよ!」


「早く!」


そう叫んだブリュンヒルデは女神の槍を腕に受けており、額の冷や汗が緊迫した状況を伝える。

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