未来を明るく語る人と災害を訴える人とで二分化している
皆さんは予言と言うと何を思い浮かべるでしょう? 世界大戦? パンデミック? 異常気象? 隕石衝突? 火山の噴火? 大地震? ポールシフト? 食糧危機? 今挙げたもの全てに共通するのは恐怖と不安です。そう、予言とは基本怖いものってイメージですよね。
そうして、その大災害を乗り越えられた人達には楽園が待っている。ある種の飴と鞭で成り立っているものが多いです。かつての神話のように。
怖い予言は警告の意味で広がっていくので、その予言自体が当たる事を目的にしていません。予言を知って行動を変えていけば未来も変わっていくからです。
しかし、その結果予言が外れる事で予言自体の信憑性も薄くなります。それが注目されなくなったら本来の目的も達成されず、意味もなくなってしまいますよね。今一番注目されている2025年7月予言も、本気にしている人以外には全くの無関心か話のネタ程度に捉えている人が多い事でしょう。1999年も2012年も外れているのだからと。
2025年7月の予言、勿論外れて欲しいですし、外れるべき予言です。外させるためにかなり有名になってきているのだと思います。今までのそれらと同じ結果に導かれて欲しいですよね。
ちなみに、実は2024年もヤバいって言われていました。それも外れつつあるみたいですね。中国と台湾の緊張感は増していますけど。どうかウクライナ、パレスチナの次になりませんように。
で、警告予言とは対象的に、未来は明るく恐れるような事は起きないと言う人達もいます。こちらは警告予言が外れた世界線を視ているのかも知れません。今まで予言は人を恐れさせるものばかりでしたけど、ここに来て選択肢が現れたとも言えます。
恐怖で脅して強制的に変えていくか、希望を持って能動的に変わっていくか。どちらにせよ、予言の目的は最悪を回避する事です。
2025年が外れてもまた次の数年先の未来が恐怖予言の対象になる事でしょう。これは人類が変わらない限り続く習性のようなものです。予言を本気にする人が少ないように、予言を契機に生き方を変える人は更に少ない事でしょう。
しかし、今の地球はもう限界が来ています。予言などなくても今までとは違う生き方を模索するべき時に来てますし、気付いている人は今すぐに動くべきでしょうね。
明るい未来も恐怖の未来も、きっとそれを望む人次第で具現化していくのでしょう。今の社会を視ていると、どんどん悪くなっていくように見えてしまいます。だからこそ、何が大事なのかを真剣に考えていかなくてはなりませんね。
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