善の悪と悪の善
世の中にはいい事をしているようで結果的に悪くなったり、悪い事をしてるようで良くなる事もありますよね。薬も強ければ毒になるし、毒も薄めれば薬になるみたいな。
これってだから大事な視点かなと思うんです。いいと言われる事にも悪い部分があり、逆に悪いと言われる事にもそれがあるから良くなっていく事もある。
善の悪の分かりやすい例を挙げると、誰かを溺愛して何でもしてあげる事でその人がダメ人間になると言うのがあると思います。その人の為を思えば突き放したり厳しくする事も大事なんですよね。
その逆で、その人に辛く当たった事で自立心が芽生えて精神的に強くなると言う事もあるのではないかと。まぁ加害者は恨まれるかもですが。
何かをする時に相手の事を考えないと逆効果になる事もある。良かれと思ってした事でも、それが当人の独りよがりになってしまうかも知れない。押し付けの善意は場合によっては悪意よりも厄介だったりします。
善の悪とは、善意で行った事で状況が悪化する事を言うのでしょう。実際、そう言う事は普通にあちこちで起こっているのではないかと思います。嫌がる事はしないと相手の意見に従っていたら病気の発見が遅れて――みたいな事もあるかもですし。
悪の善はその逆ですよね。この場合は結果的にその人にためになっていると言う事で、その行為が行われた時点では嫌がられる訳です。悪意を持って命令したり、罠にかけたり、誹謗中傷をしたり、暴力を振るったり……。
ただ、そう言う嫌がらせをした事で被害者がそれを乗り越えた時に成長している。勿論加害した当人はその結果を悔しがるでしょうし、更に憎しみを募らせる事もあったりするのでしょうけど。
重い愛からの決別、理不尽な悪意からの決別。悪い環境から抜け出せた時、人は心身の強さを得るのでしょうね。それが自立と言う事なのかも知れません。
人は間違う生き物であり、その間違いに気付ける生き物です。間違わないと正しさが分からない場合もあります。何が人生にとって有益になるかは分かりません。逆に言えば、何からでも学べますし、気付けるのです。
だからこそ、特別な修行は必要ありません。修業が必要な人は自然に修行する流れになっていきます。なので、自分から敢えて苦境に身を投じなくていいのです。
ただ日々を誠実に生き、正しいと思った事をして、間違ったらその都度直していけばいいのです。人生は次々に試練を与えてくれます。その試練を全て良い方に受け取っていけるなら、全ては糧になって人間的に成長させてくれる事でしょう。
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