令和3年4月の三六九神示

 今日(※執筆時)ぼうっとスピサイトチェックをしていたら、新しい三六九神事が降ろされていたので転載させて頂きますね。三六九神示はいつも時事問題を絡めた内容になっているのですけど、今回もそう言う内容になっております。

 それでは、早速お読みくださいませ。



 コロナ禍は終息せず、第四波と言うておるな。人民は病争貧の苦渋なく、明るく楽しい暮らしを願っておれど、中々そうはまいらぬのじゃ。今は体主霊従と化した三千年の罪科の浄化の時と申してあるぞ。

 何事もなく平穏な世を願い、神にも祈りておるが、願い通りの祈りの通りにならぬからと神も仏もあるものかと神交信仰の道から離れてゆく者も出来てくるが、まことは神ある故の浄化であり、浄化の為に人間の願いとは逆さまの事も現れて来るのであるぞ。


 されど、人民が災いと思う事によりて世は浄化されてゆくのであり、わざわい転じて福と為す、神のはかりが段々と判りてまいるぞよ。

 それ故、今の世はすぐには善くならずとも、しかと生かされてある事をかみしめて、避けても逃げても迫り来る、病争貧の苦渋や悩み苦しみ悲しみと同居せねばならぬのが浄化の今の世の万民の歩まねばならぬ道。


 形ある物は必ず滅する現の世なるが故に、三千年の間に積み重り、凝り固まった罪科も浮かび上がり、浄化されて消えゆく為に避けても逃げても追いかけて来る病争貧やその他の災害の苦渋であり、生病老死の四苦のある事を受けねばならぬ、越えねばならぬのが必然である現の世であり、様々な苦悩苦渋の招来を悩み悲しむよりも、それによりてつもり積もった罪科や汚れ穢れが浄化されてゆく、浄化のことわりをしかとさとるべきであるぞ。

 この事が少しでも判れば、辛い悲しい中でも、ああ、それでも生命ある事、食って寝てく(大小便)事が出来る。生きる事の原点がひとつひとつ判り、それが喜びとなり、光となりて心の闇を晴らすのじゃぞ。


 人の身は身と魂から成りており、その形ある体は人類発生以来、親から子へ血の繋がりを持って今日まで続いて来たのであり、我は何も悪い事はしておらぬと思いても、その血の中には、どんな因縁遺伝子がひそみておるやも知れず、それが浄化の為に浮かび上がりて来るのであるぞ。その肉体にも肉体を守る為の霊があり、それは自己保存の本能であり、自我や欲の煩悩であり、それをぱくと言うぞ。


 その肉体を器とし、生宮として、八百万の神々、たまを分けて、現の世に生まれる時、産土神の仲介に鎮めるのであり、その御魂は明浄正直、輝けるすみ御魂直霊であり、その中に特技特性も授けてあるぞ。

 その清き神授の御魂のおもいと、自我や欲の魄の思いとが重なって現れておるのが霊止ヒトの心であり、鏡にたとえてあるぞ。


 血の流れの中の悪しき因縁や、あまりにも我が身を守る為とは言え、自我や欲が強いとそれは固い思凝しこりとなり、清き御魂にこびりつき、汚れ穢れとなり、太陽を覆う黒雲の如く清き御魂を押し込めてしまう事となり、そのさまは霊界まで続き、苦しむのであるぞ。

 それ故、現の世に身のある内に色々苦労に会わせ、自我や欲の煩悩を磨かせ、少しでも御魂を奇麗にさせてやろうとするのが御魂の親神の愛であり、時には厳しき試練も体験させて心の岩戸を開かせんとするのであるぞ。


 三千年の間、世の元の国常立大神を東北の方へ押し込めて、自由自在にして来た現の世であり、その原因結果めぐりが浄化の為に浮かび上がる今の世であり、コロナ禍もその現れであるぞ。

 特に西暦二千二十年、ニ二の令和二年より、世の浄化は激しくなりているのであるぞ。


 色々な出来事、病争貧の苦渋もその原因は人間の作ったものであり、色々な悩みもその原因は我が身にある事が判り、色々な悩み苦しみも時節到来、原因あっての結果の当たり前の事であり、身魂の磨きの為である事に氣付いた者は自ずと禊れて、新しい世へ渡る事が出来るのであるぞ。


 御魂と肉体霊、魂魄より起こる心……。


 自分の思った事が総て正しいとは言えぬのであり、困った事を人のせいにしたり、あまりにも我が身をいためつけると魂の勢いが弱るから、これも時節到来の結果と時の流れに身を任せ、自然体で歩みゆくのじゃぞ。

 常に順風満帆では、航海出来ぬ現の世じゃぞ。雨や嵐の中も進まねばならぬのじゃ。その中で御魂の親神は、見守りておるのであるぞ。その事を信じる事が出来れば、必ず闇に光が差して来る、嵐の海もおさまりて来るのじゃぞ。災いと恐れし病争貧も浄めとなり、成長の為であった事が判って来るぞ。


 しかし、それは後で判る事であるが、今の苦しみはその日を迎える道の上である事を忘れぬ事であるぞ。魂は霊主体従の道を求め、魄は体主霊従、目に見えた地位名誉物金に救いを求めるのじゃ。形あるものは滅するのにな……。

 避け難き病争貧も様々な災い悩み苦しみも、この浄化の世であるからやむえぬ事と受け取りて、不安恐怖とも同居しても迷わず、目の前の今為すべき事をひとつひとつと果たしてゆく事であるぞ。

 形ある現の世に不安恐怖あるのは当たり前。受けて立つより、先を案ぜず不安の中に突入じゃ……。便所の底まで落とされた金勝きんかつかねのかみ、守るぞよ。


 言霊神也 ン


 令和三年四月九日 天橋道士龍華斎修聖拝写。



 金勝要神と言うのはトイレの神様で女神様です。黄金色に輝くとても立派な神様なのですね。そう言う神様が見守ってくださるのですから、生きるための苦労も有り難く果たさせて頂きましょう。苦労が報われる日はきますよと仰っておられます。

 こう言う神示が出ると言う事は、まだしばらく苦労する日々が続くと言う事なのでしょう。おかげを落とさないようにして日々精進していきたいものですね。

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