疑う事も大事

 科学の定義のひとつに、科学とは疑う学問だと言うのがあるようです。疑って疑ってそれでも疑いきれないものが真実なのだと。確かそう言う感じの言葉を井口博士のブログで読んだのかな? 科学者が疑ってナンボなのは当然だと思います。その疑った結果が今の文明なのですしね。


 で、疑うのと正反対なのが信じると言う事で、信じると言うのは宗教の専売特許的な側面があるじゃないですか。特にキリスト教では『信じる者は救われる』とか言いますしねぇ。

 しかし、信じると言うのは本来簡単に行うべきものではありません。何でも信じていたら簡単に騙されてしまいます。それに、世の中には様々な意見があるので、全てを信じると言う事も出来ないでしょう。


 そもそも、スピ的なものも統一された流れがある訳ではありません。色んな人が色んな事を言っています。大体、科学だって学説がたくさんあって分からない事だらけですし、新発見ひとつで常識がガラッと変わったりします。本当はそのくらい脆いものなんですよね。


 と言う訳で、目に見えないものも本当は信じるより疑う方が大事なんじゃないかなって思うんです。古神道には審神者と言う真実を見極める役割の人がいます。あの人はこんな事を言っているけど、ホントカナ? と思う事が大事。

 まぁ、普通の人はそう言って全く信じない方向に思考が動く訳ですけど、疑った上で疑いきれないものを受け入れるのがスピ趣味の人なんですよね。得心がいったなら信じる。それも大事な事ですよね。


 だから色々遍歴があっていいと思うんです。最初は〇〇教を信じていたけど、こんな経験をして□□主義に目覚めて、その活動をしている内に△△神示と出会ってこれだって思って、今は♡♡運動に賛同していますとか。頑固にひとつものに固執する必要はないんじゃないかな。いや、してもいいのですけどね。


 世の中に色んな話が溢れています。それこそお花畑な内容からすごく悲観的なものまで。私は趣味で楽しんでいるのでどの説もほーんって感じで面白がっていますけど、中の人は真剣な訳ですよ。真剣じゃない人もいるかもですが(汗)。


 見えない世界も人間模様ですよね。個人的には、信じすぎず、疑いすぎずで俯瞰して状況を眺めていられたらなと思います。スピ趣味で様々な知識を得ると、その手の言葉に騙される事も減りますしね。騙される時は騙される気はしますけど(汗)。

 ま、基本的にお金がかかりすぎるところはあかんでしょうな。それを生業にしている人もいますし、無料じゃなきゃおかしいって言うのも極端な気はします。


 結局は直感ですかねぇ。自分の直感を信じる事。勿論それが客観的に見たら間違っている場合もあるでしょうけど、間違って真実に気付くプロセスもありますし。信じなさいって言葉に従うのではなくて、信じるって能動的に動けるかどうか。

 そうやって動いた先にその人それぞれの居場所があるのかなと思ったり。受け身だったとしても、最後に決断したのは自分だと言う自覚は忘れずに。


 最近のスピの流れ、私の見ている感じでは危うくなってきているように感じます。油断していたらよくない流れに流されてしまいそう。主張する人は誰もが自信たっぷりで、納得する前に大量のものを口に詰め込まれているような感じがするんです。

 こう言う時期だからこそ一旦落ち着いてしっかりと情報の精査をして、いらないものは取り込まないようにしないと。食べ物も情報もちゃんと選ばなきゃですよね。

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