27.学園祭はじまる

 2021年10月22日金曜日。神奈川県川崎市、私立新川学園。

 

 新川学園では、生徒たちが待ちに待った学園祭が開かれていた。

 校内の中等部と高等部でそれぞれ出店の系統が異なるが、それがまた見事なコントラストを演出している。

 正確にいうと、やや質素だが可愛げのある中等部の出店に対して、多少気合の入った店構えでよりリアリティーを意識している高等部といった感じの対比だ。


 高等部のある校舎西棟の2階――バジルやマイのクラスもまた、教室の外観の装飾に手間や金がかかっていることが見て取れる。しかしそれも、店の売り上げを少しでも上げるためだ。


「うしっ……じゃあわたしは抜けるんで、あとはよろしくぅー」


 気怠げに苦笑を浮かべる担任の女性は、堂々と「手伝いは一切しない」と断言した。尤も、誰一人として彼女の手など借りる気はなかったので、女性の宣言に対して不満の声は上がらなかった。


 ちなみに、1年1組の出店の内容は――先日に愛理が悪乗りして提案した『コスプレ大会』と、暁月の提案した『喫茶店』を組み合わせた、その名も「コスプレ喫茶」である。


 コスプレの要素を提案した愛理本人は、数日前に接客の仕事を断ってしまったが、当日の店内の盛り上がりはかなりのものだった。


 なぜなら、一般客や他クラスの生徒の想像以上に、1年1組生のコスプレのクオリティーが高かったからである。

 女子生徒も男子生徒もほとんどがアニメキャラクターのコスプレをしているが、中には単に『ナース』や『メイド』のように、ジャンル別の衣装に身を包んだ生徒もかなり目立っている。


 何よりもバジルが驚いたのは――麻衣が、某18禁ゲームに登場する黒い長髪のヒロインに扮していたことだ。衣装の制服についてもそうだが、顔つきや性格面でも、某ヒロインと相通じるものがあるため、まさに完璧なコスプレだった。

 バジルは目の前の奇跡に感嘆しながら、


「麻衣はすごく似合ってるんだけど……なんで、日和はそのままなの?」


「何を言っているんだジルくん、失礼だろう? これはれっきとした再現だぞ」


「いや、その……黒髪ポニーテールのカツラ被ってるだけでしょ、それ……?」


 バジルは、日和の髪の毛を恐る恐る指さしながら、彼女のコスプレを否定した。

 現在の恵光日和の姿は、まごうことなく黒崎麻衣のそれだった。しかしポニーテールなので正確にはカーマイン・ローレンスの時の姿だが……とにかく日和の場合はコスプレではなく、もはや変装である。


「いや別に、麻衣に扮すること自体はいいよ。でも……どうせしっかりと似せるんなら、胸ももっと一杯に入れ――」


「よし、今すぐ君を屍へと変身させてあげよう」


「日和さんはどんな格好をしても可愛いなぁーっ⁉」


 相変わらずの茶番を繰り広げていると、小さくて忙しない足音を立てながら、小柄な少女がこちらに向かって走ってきた。すると日和は彼女の姿を見た途端、すっと気配を消した。


 風変わりな衣装どころか、手本のごとく綺麗に制服を着用している黒髪の少女は、上目遣いでバジルと麻衣にそれぞれ予定を訊ねる。


「あ、あの、楠森くんと黒崎さん……このあと、暇とか、あるかな……?」


「えっと……ごめん、頼まれごとがあってね。そっちを優先させないとダメなんだ」


「わたしも、あと少しで接客しないといけないし……ごめんね」


「いっ、いえいえ! 気にしないでいいから、本当にっ!」


 二人が申し訳なさそうに首を垂れると、眼前落胆を隠しきれていない愛理は、取り乱しながらも大丈夫だとのたまった。

 彼女の顔色や声の調子から落ち込みようは見て取れるが、なんの保証もない励ましの言葉をかけるのも無粋だと思い、バジルと麻衣は口を噤んだ。


 重たい空気が一気に周囲へ充満し、賑やかな空間の片隅に小さな別の空間を生み出す。その空間を改善する方法なんてあるはずもなく、しばらくは沈黙が続いた。


「……さ、郷さん。俺はそろそろ、行くよ……」


「う、うん。頑張ってね」


 自分のことを厚意で誘おうとしてくれた愛理、しかし彼女の厚意を真っ向から裏切ってしまった。たとえ仕方のないことだとしても、拭いきれない罪悪感がバジルの心を満たしていく。


 少女に対して非常に申し訳なかったが、バジルは逃げるように教室をあとにした。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 本日、バジルやマイの所属する作戦部の同志たちに課せられた任務は、カーン派に所属する新人類たちへの挨拶と過激派に対しての注意喚起、そして校内の警備だ。


 バジルは、すでに教室にいなかった暁月と歌咲とは別行動でカーン派の人間を探し、マイと日和は一般人が多く集まる教室で警備をしている。警備といっても、実際に過激派が潜入した際のことを前提としておらず、あくまでも観察が前提のものだ。


 ヴォルカンが言うには、この学園祭の期間中か終了した直後に過激派が行動を起こす可能性が極めて高いらしい。

 その見解は尤もだが、彼らの目的はまだ『魔剣の量産』であって、今すぐに多くの無所属の人々に危害を加えることはしないだろう。

 現に、依然として「赤い人」による殺人事件が頻発する中、彼らが大量殺人を一度にはたらいたことは全くない。それはまだ多くの人間を一斉に相手できるような力を持っていないことの、まさしく証左だと思われる。

 それでも常に厳戒態勢で校内のクラスを巡回するバジルは、着実に任務をこなしていた。


 元々カーン派に所属している人間は少ないうえ、名前が英名且つ家名を「ホワイト」で統一しているので、意外にすんなりと新人類が見つかるのだ。


「――あの、ちょっといいですか?」


「あっ、はーい」


 中等部2年4組に赴いたバジルは、入口手前にいた少女に声をかける。淑やかで清楚な雰囲気を全身に纏った、可愛らしいその少女に、バジルは極力柔らかい口調で訊ねる。


「高校1年の楠森っていうんですけど……このクラスに『ホワイト』さんっていう、外国人の人はいませんか?」


「はいっ。えっとぉ……あの窓際にいる、金色の髪の女の子がそうです」


「ありがとう。それと、急に来てごめんなさい。失礼しますっ」


 あまりに少女が親切に対応してくれたので、腹の奥底から少女への愛情が沸き上がってきたバジルは、無意識に目の前の少女の頭を優しく撫でた。彼女は最初くすぐったそうにしていたが、特に嫌がるような仕草はなく、その後はなぜかバジルに身を委ねていた。


 初対面であるはずのこの少女を愛おしく思ってしまい、若干道を踏み違えそうになったが、バジルは自分自身を制御できるうちに彼女の前から立ち去った。……きっと誰かの妹だろう。



「え、えっとぉ……君が『ホワイト』さん、ですか?」


「……何、どこの野郎?」


 バジルの多少砕けた話し方が癇に障ったのか、金獅子のような黄金色の髪の少女は、あくまでも強気に対応する。

 少女の冷え切った瞳が、ふてぶてしい童顔が、全身から滲み出る警戒心と敵愾心が、一歩踏み込もうとしていたバジルにためらいを生じさせた。

 恐らく彼女は、バジルの苦手とする高飛車な性格の少女だと思われる。


「お、俺は、その……楠森、です。高等部の……」


 まずは自己紹介をしなければならない。ステップを徐々に凝り固めていくと、少女が何か予想外な行動をするかもしれないという妄想が介入し、気付けばバジルは自分で自分の焦燥感を煽ってしまっていた。


「ふうん、楠森…………ああ、ハーブの奴よね」


「は、ハーブって……まあいいや。ところで、お名前はなんて言うんですか?」


 少女がすでにバジルのことを知っていたことが判明し、バジルの不安感は一気に氷解する。このまま本題に入れる、そう思って安堵の表情を浮かべながら、少女にも名前を訊ねた。


「別に、あたしの名前をハーブが知るか否か程度のことで、運命は左右されないでしょ?」


「…………」


 少女が冷笑を浮かべたその刹那にバジルは悟った――この娘は無理だと。


 こんな不毛なやり取りを続けている暇もないので、バジルは捲し立てるように、


「『関東派閥連合』とカーン派は一時同盟を締結したので、本日以降しばらくはエコービルで生活していただきます。また会議を行う場合には必ず連絡を入れますので、その際には会議へ出席していただき、また会議終了後に指示が出た場合はそれに従ってください。以上っ!」


 早々に教室を飛び出した。中等部2年4組は映画鑑賞を行っており、今まではちょうど休憩時間だった。



「……ったく、全部知ってるっつうの」


          ×  ×  ×  ×



「……なあ、それは俺への脅しなのか?」


「否定はしませんが、君にとっては実に良い話だと思いますよ」


「つくづく、お前は嫌な奴だな。お嬢といい歌咲といい、なんでお前の話を愚直に受け止めるかなあ……楠森の感性が間違っていないって、今なら言えるよ、本当に」


「しかし僕だけが、今の君の弱さを正面から否定して、あまつさえその弱さを克服するための方法を、君に提示しているんですよ。……日和さんや代表ならまだしも、君の場合はその形態が異常すぎます」


「…………わかった。それでいい」


「承諾していただけて嬉しいです。早速ですが、一度歌咲さんのところへ向かいましょう。これは僕の憶測ですが、あと数分後には彼が行動を起こしますので」


 紳士だけの密室で話し合った二人は、すぐにその場から姿を消した。

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