25.劣化版
2021年10月14日木曜日。神奈川県川崎市、市内某所。
午後13時。
覚醒状態を迎えたバジルに、敵う者など存在しない。
今の戦況はその言葉のとおり、ローブの輩はバジルの攻撃を捌くのに精一杯で、防戦一方といっても過言ではない程に攻めあぐねていた。
強気に一歩踏み出したバジルは、目にも止まらぬ速さで二人の男から『片手剣版自在剣』を奪い取り、まだかろうじて刀身が残っていた双剣を二振りし、玄関前にいた二人を撃破した。
「て、テメェ……」
「…………」
形勢が逆転した途端、頭に血がのぼって物事が考えられない。
バジルは日頃の訓練で培った激痛への耐性と、己の力の正しい使い方を一気に心身に叩き込んだせいで、一度戦闘が開始すると、極度の覚醒状態に陥ってしまうようだ。そのため今は、敵影に対する次の一手のことだけが思考回路を支配している。
すると突然、バジルは地面に倒れた二人の腕目がけて剣を振り下ろし――手首ごと自在剣の腕輪を切り離した。
「「――――――――――――――――」」
ただただ長く痛々しい叫びを上げるが、バジルの理性を引き戻すことはできない。彼は切り離した2本の腕を持ち上げ、掌を持ちながら乱雑に上下へ揺すり始める。
最初は手首あたりに採血用の注射針が出ているために落ちてこなかったが、数秒後に剣柄の刀身が消えると、機械の駆動音と肉から物が引き抜かれた音とが混ざり合ったような気色の悪い音が響いた直後に、重々しい腕輪二つが地面へと落下した。
そして、拾い上げた腕輪にそれぞれ柄を装着したのち、両手に嵌め込んだ。
最後に両手でそれぞれ柄を引き抜いて、刀身を生み出す――相変わらず、ローブの輩が使用している時以上に血液の色が黒い。もはや漆黒といっても過言ではなかった。
「わ、わかった! 俺はもう投降する、しますから……殺さないでください⁉」
「……左腕の分は、斬らせて貰うぞ」
ニタァ、とバジルが笑うと、男は畏縮して少しずつ後退する。まるで最後の抵抗といったように、投降すると言いながらもバジルに向かって切先を向けている。
男の目に映っているのは――病的に真っ白い頭髪と僅かに碧く光る双眸、血の滲んだコートに身を包み、黒々とした血液の剣を男に向かって構える、敵意と殺意の権化だ。
彼奴に魅入られてしまったが最後、自分はただでは済まないだろう。現状を顧みた途端に、男の脳裏をよぎったのは生か死か、つまり片腕の喪失か抵抗による斬殺という結果。
自分にはこの二つしか残っていない。諦観した男は、それでもプライドを捨てることができず、仮面の向こうで嘆息したのち、
「クソガキがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」
「…………そうか。なら、逝け」
男は一度背面で構えた刀剣を、バジルの左肩目がけて大振りした。
その刀身は見事にバジルの左肩を抉り、さらに斜めへ斬り裂こうと剣に力を込めるが、噴き出した血液の硬化でまたも進路を絶たれてしまい、剣も抜けないため男は右腕を動かせなくなった。
最初から男の太刀筋を予測していたバジルは、肩の痛みに耐えつつ、左手の剣と右手の剣をそれぞれ外側に向かって水平に構える。
そして次の瞬間、左側の剣は男の右脇腹から入刀して斜め下へ、右側の剣は左脇から入刀して斜め上へと斬り裂いた。
2本の刀剣による剣戟が炸裂した男の身体は、三つに分かれて、上の一つは胴体から湧き出した血液によって、勢いよく地面へ滑り落ちた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おらぁ、さっきの威勢はどうしたんだよぉ⁉」
「いや無理だろ! どうやって3人と戦えばいいんだって……!」
両腕を覆う血液の装甲は恐らく、あと5分と持たない。強度面ではなく、バジルが己の身体に宿した力の性質によって、物理的に継続が不可能なのだ。
それでも、装甲は相変わらず堅固な護りで剣戟を弾き続けているが、刀剣との摩擦で火花が散るたび、バジルの体力と理性はもの凄い速さで摩耗していった。
玄関前にいた二人による剣戟で両腕に傷を負い、脳が痺れるほどの痛みと共に、硬化した血液の鉄腕を得たバジル。その驚異の硬度から模造魔剣でさえ傷を付けることはできなかったが、手首から肘の間に装甲を纏っているため、攻撃には使えない。
バジルはひとまず、二人の隙を狙って玄関から道路へと逃れた。空間を広く取ったほうが戦いやすいはずなのだが、今は前と後ろを完全に囲まれている。
逡巡するバジルに、前の一人と後ろの二人はここぞとばかりに斬撃を繰り出してくる。
今は一つ一つの攻撃に対処できているが、これでは埒が明かない。早急に形勢を覆すようなアクションを取らなければ――そう思っていても、防戦一方の膠着状態に変化はなかった。
そのままさらに5分が経過し、バジルの体力はすでに臨界点を突破している。
だがその刹那――――不自然な風刃が、バジルを含む4人を襲撃した。
『ザクザク』と痛ましく淡泊な効果音を響かせながら、目に見えない鋭利な風が絶え間なくバジルたちの身体を斬り裂いていく。
ものを言う暇も痛みに悶える暇も与えられず、ただ一方的に四肢と胴体に浅い傷を彫り込んでいくその風は、その実、頭部と下腹部だけを故意に避けているようだった。
ようやくカマイタチが消え去ったと思えば、次にバジルたちの身体を、強烈な痛みが支配する。
3人のローブの男たちは断続的に嗚咽を漏らしながら悶絶し、殺虫剤をかけられ墜落していく羽虫のごとき動きのまま、地面へ倒れ込んだ。擦過傷と切り傷を、絶叫しながら激しく搔きむしる彼らの姿はあまりに醜く、見るに忍びない。
しかしバジルは、前触れなく頬をはたかれたと言わんばかりの間抜けな表情で、遠くに見える人影をただ見つめていた。
すると向こうから少女が、物騒な長刀を引きずりながら走ってくる。恐らくバジルの顔を見て気が抜けたのだろうが、途中で勢いよくこけてしまった。
「えぇ……マイさん、これはどういうこと?」
バジルは血まみれの右手で、頬の綺麗な一文字を弱々しく撫でながら、眼下に映る少女に恐る恐る訊ねた。
少女は上目遣いでバジルを見つめながら、
「ジルを助けに来た。でも、わたしだってミスはする」
「いや、別に怒ってないけど……」
言い訳染みた謝罪に、バジルは力なく苦笑を浮かべたのちゆっくりとしゃがみ込む。
敵だけでなく自分にも斬撃を見舞ったことへの怒りは確かにあるが、安堵と達成感を孕んだ表情で「あなたを助けに来た」とのたまう少女を、頭ごなしに責めることなんてできるはずもない。
バジルは少女の手を取って、立ち上がらせると、すぐに応援を呼ばせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
午後14時25分。
「楠森くん、お疲れ様です。それと衣類につきましては、申し訳ありません」
「服のことはいいよ。ヴォルカンの企みに気付かなかった俺が悪いんだ……」
「そう自分を責めないでください。誰だって、失敗はするものですよ」
「…………お前きらい」
参謀長の陰湿さにバジルが不服を申し立てると、対面する赤髪の少年もとい参謀長のヴォルカンは、したり顔で鼻を鳴らす。バジルはようやく、ヴォルカンが相容れない存在だということを自覚した。
「それはそうと……僕はこれから用事がありますので、失礼します。楠森くんは、本日はもう帰宅していただいて構いません。いえ、むしろ帰っていただきたいと思います」
「もう少し上手に追い払ってくれないと、さすがに傷付くんだけど……」
「すみません、僕はたいへん慇懃無礼な人間ですので」
「……わかった、もういい。じゃあな」
発言の意図がわからないヴォルカンにうんざりして、バジルは早々に会議室をあとにした。
バジルが当て付けに扉を乱暴に開け放つと――『ガンッ』と鈍い音と共に、目の前で黒髪の少女が尻もちをついていた。その少女の額は赤く腫れあがっていて、恐らく扉にぶつけてしまったのだろう。
「ご、ごめん……大丈夫?」
「平気。わたしこそ、ごめんなさい」
ゆっくり立ち上がったマイは、唐突に謝罪を口にした。薄っすらと涙を浮かべ、返事に困っているバジルを眺めている彼女の顔は、不安の色でまみれている。
マイの剣の腕は確かなものだが、防戦一方だったバジルを早く助けたい気持ちが暴走して、剣の扱いに迷いが生じてしまい、その結果が先ほどの無差別攻撃だったようだ。彼女の気持ちを汲んでバジルは言い咎めなかったが、マイ自身は今も自責の念に駆られている。どんな形でもいいから、バジルに叱られて許されないと気が済まないのだ。
だがバジルは基本的に、現状をそのまま捉えることを尊んでおり、マイの行為を遡及して言い咎めることなどしたくはない。今のマイの表情を見ても、彼女が何に対して不安を感じているのかなど、彼には見当もつかなかった。
二人はしばらくの間黙って見つめ合っていたが、バジルのほうに限界が来たため、
「じ、じゃあ……俺は帰るよ。また明日」
「……うん。さようなら」
しかしマイは自分の期待を忘却の彼方へと葬って、バジルに対してつたない笑顔を向ける。薄い笑顔というには忍びないが、まだどこか機械らしさを覚える冷たい笑顔だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
2021年10月14日木曜日。神奈川県川崎市、『エコービル』某所。
『まず、あなたたちはカーン派の方々ですか?』
ヴォルカンは目の前の、聴覚以外を封じられた男に、英語で語りかける。
『…………』
『黙秘も結構ですが、話せば明日には解放いたしますよ』
『……本当か?』
『ええ、勿論ですとも』
『……わかった。お前が欲している情報をやるよ』
ヴォルカンの要求を、男は明るい声で了承する。
やり方が強引なようにも感じられるが、今彼が行っているのは紛れもなく「尋問」である。拷問でも良かったが、それはヴォルカンの計画に多少差し支えるため、そこまではしなかった。
男は荒い息を整えると、徐に語り始める。
『俺たちは……アズガルズ様が率いていらっしゃるカーン派の所属だ。ロゲストのほうは全く知らないが、アズガルズ様は自在剣の量産を考えていらっしゃる。尤も、俺みたいな端っこの野郎には具体的なことなんて一つも聞かされないが……あの方が「第二のニコラエル三世」を目指していると聞けば、わかるよな……?』
男の弁舌はひどくぼんやりとしていて、ほとんどが理解し難いものだ。現に、ヴォルカンの両隣で話を聞いていたローレンスと恵光の同志は、一心不乱に言葉を噛み砕いて理解しようとしている。
だがヴォルカンは、先ほどバジルに向けたものと全く同じ……それ以上の得意げな顔を浮かべていた。愉悦で満たされた表情からは、もはや狂気さえ感じられる。
『アレが嫌で逃げて来たにも拘らず、結局は異国の地でアレと同じことをする、なんて……あなたたちカーン派も大概ですね』
すると男はヴォルカンを嘲るように、
『お前らだって、結局はジュエリーハルクの真似事をしてるだけじゃねえか!』
『……もし、僕の言葉が気に障ったのなら謝罪します。ただの確認のつもりでしたので』
『なんだ、そんなに同類扱いが嫌なのか?』
ヴォルカンの態度が急に恭しくなると、男は下卑た笑みを浮かべながら、彼に訊ねる。男の言葉に対するヴォルカンの返事は――失笑だった。
『そうですね、同類扱いされるのはあまり嬉しくありません。何せ、我々のほうが勝っていますので。……それはさておき、約束どおりに明日の午後、あなたたちを解放いたします』
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