23.片腕の魔人

 2021年10月13日水曜日。神奈川県川崎市、『隣人荘』2階、楠森家。

 午前7時15分。


 ジリリリリリリ……。

 鐘を打ち鳴らして起床を告げる時計を、持ち主は耳障りだと言って、右手の甲で叩きつけて制止させる。あまりの勢いだったため、鈍色の鐘は嘆くように細かく震えている。


 料理、朝食、洗顔、更衣を素早く済ませて、いざ学校へ――。


 そう思っていたのだが、バジルは扉を開ける直前に思い止まった。そこで一度朝の静けさに神経を集中させ、先ほどの違和感を確認する。


「やっぱり、下が騒がしいな……」


 下というのは、階下という意味だ。

 楠森家の玄関のちょうど真下辺りから、恐らく2人か3人の忙しない足音が聞こえてくる。この部屋の下は空き家で、普通なら誰も立ち入ることはない。


「な、何かあったのかな……?」


 確認を終え、バジルは乱暴にドアを開け放つと、そのまま柵へぶつかりそうな勢いで外へ飛び出した。


 問題の部屋の前に来て、バジルが数回ノックをすると、突如足音が消えた。きっとバジルでない無関係な人間が注意に来たと思っているのだろう。そうだとわかっていても、なんとなく空気でバジルもそのまま佇んでしまった。


 しかし向こうから足音が近付いてきて、その主が少しだけ扉を開けた、


「……ああ、なんだ、ジルくんか。脅かさないでくれよ」


「それは悪かったけど……何かあった?」


 嘆息と共に安堵した表情を浮かべる日和に、バジルは先ほどの足音について訊ねる。

 すると日和は気まずそうに唸って、なぜかバジルの頭を撫でた。


「わたしたちもパニックになってて……仲間であるジルくんを呼びに行くことを失念していたみたいだ。悪気はなかったんだけど、すまない……」


「謝らないでくれ。俺だって、さっきまで寝てたんだから」


 バジルは、素直に謝罪してきた日和に優しく微笑む。その笑顔に彼女がまた笑顔を返したところで、徐に本題に言及する。


「今日は、恵光の同志がやられた」


「――⁉ ひ、被害の規模は……?」


「幸い、死亡者は出なかったよ。だから最初は心配していなかったんだけど……彼らの証言があまりにも凄まじいものだったから……これから一度ビルへ向かい作戦会議をしたのち、まだ近くにいるだろう犯人を捜索するつもりだ。……勿論、証言を裏付ける目的もある」


 日和は歯がゆそうに奥歯を噛みしめて、バジルに状況説明と命令の概要を話す。彼女が誰かから伝え聞いた話はイコールでバジルの任務であり、バジルもある意味で歯がゆそうな表情を浮かべている。


 全容を隠して説明を述べたことから、普段冷静な日和がかなり動揺していることがわかる。そして話の大凡を聞いただけで時間の猶予がないことも把握できた。


「……わかった。このまま、俺も行くよ」


 制服から私服に着替えている暇なんてない、バジルは険しい面持ちで空き部屋の中へ。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 午前8時10分。


 エコービル地下1階へ向かう途中、急にバジルは気の抜けたことを日和に訊ねた。


「なあ日和、本当に学校を休んでも良かったのか?」


「……君って奴は、いつも意味不明なところで律儀だよね。1日くらいじゃ、何もならないさ」


「いや、欠席日数とかは気にしてないけど……」


 バジルは再び、日和が何かを誤魔化しているように思った。それは時々感じるもので、特にバジル自身から質問した時に多い。大抵は「まだ話さないんなら、今は必要ないのか」と楽観的に捉えているものの、より親しくなってきた最近では、彼女が隠し事をしている事実に少しだけ腹が立っていた。


 しかし日和もまた、意味不明なタイミングで鈍感、もとい考え方の方向性が狂ってしまう。後ろを歩くバジルのほうを振り向いて睥睨しながら、


「そうか。愛理のことを気にしているんだな……?」


「それも、ないことはないけど……」


 日和に対して強気な態度で追及できないバジルもまた、意味深な否定をしてしまう。


 バジルの煮え切らない態度に痺れを切らし、今まで黙っていた女性が、二人の会話に唐突に参加してくる。


「楠森さあ、女子の前で他の女子のこと話すのは、マジで非常識じゃん?」


「江洲さん……あの、言い始めたのは日和ですけど……」


「男は言い訳するんじゃない!」


 断固として女性贔屓の姿勢をとる少女の発言に、バジルは手も足も出なかった。言い訳するなと言われてしまうと、彼の口から出るのは「ごめんなさい」だけである。


 階段を降りるバジルの右側を歩く、ミディアムカットの菫色の髪とザ・女子高生らしさが特徴的な少女は、恵光派の開発部に所属するバジルのクラスメート・江洲えす歌咲かざきだ。

 普段はマイと一緒にいる印象の強い歌咲だが、日和とは幼少の頃からの友人で、とても仲が良いらしい。

 

 そんな歌咲がバジルに対して捲し立てると、ばつが悪そうに日和は嘆息した。


「歌咲、ただジルくんは遠慮しているんだと思うよ。だからいじめないでくれ」


「遠慮って……ハッ、まさか……⁉」


 日和の言葉で、恐らく違う何かを連想した歌咲。

 バジルに対する憤りを帯びた表情の歌咲が、只今何を考えているのか、それを理解するのは容易いことだ。何せ彼女は脳内もザ・女子高生であり、思考パターンも大体は一つの感情で埋め尽くされている。言うまでもなくアレだ。


 日和は、ナイフのように鋭い目つきでバジルを睨みつける歌咲を見た途端、嫌な予感がしたのか大きく咳払いをした。何か意味があると思って、バジルの意識は日和に向く。


「全く……ジルくんが最初から聞いてくれていれば、話は早かったんだけどね」


「いやほら、親しき中にも礼儀ありって言うでしょ……?」


「相変わらずのお人好しめ……」


 緩んだ頬を両手で持ち上げながら嘯くと、日和は小さく深呼吸をしたのち、バジルが聞きたがっていた部分の説明を始める。


「簡単に言うと、あの新川学園もわたしたちの味方なんだよ」


「――ということは、校長が恵光派かローレンス派の人なのか?」


「学校のシステムはそう甘くないんだよ。でも、あながち間違ってはいない。あの学校はマイを生徒会長に置くことで、システムの頂点と生徒の頂点を新人類が掌握し、現在の拠点よりもさらに大きな拠点にするための学校なんだよ。でもわたし自身、マイが頂に達したからといって、何かが変わるとは到底思えないんだけどね」


 日和特有の長ったらしい説明だったが、バジルはなんとなく理解することができた。歌咲は元より知っていたような、気取った態度で誤魔化している。


「内容はわかったけど……聞いてる側からすると、地球侵略を企む悪の輩が、好条件の場所にある建物を強奪した……っていうように聞こえてならない」


 バジルは苦笑いを浮かべ、率直な感想を述べる。


「いや、わたしたちが今の人類にとって悪の輩だというのは、否定しないよ。むしろ、わたしたち新人類には、旧人類のような人間味があまりないみたいだし、それでいいんだろう」


「ひ、日和……」


「ほら。無駄に感心していないで、早く行こう」


 何やら恍惚の表情をしていたバジルの右手を摑んで、日和は少しだけ歩く速度を上げる。


 ――気付けば、すでに地下1階の見慣れたフロアに到着していた。3人はすぐあとに降りてきたエレベーターに乗り込んで、地上を目指す。


          ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「遅くなってしまい、たいへん申し訳ありません」


「日和さん……大丈夫です。ちょうど今から、作戦説明でしたので」


 バジル、日和、歌咲が1階の会議室にやって来た時に、ヴォルカンすでには会議を始めていた。

 たとえ3人だろうと同じ同志であり、彼らを忘却したうえで大事な会議を始めることなど異常極まりない。しかし、この会議の性急さの原因は、会議室に入った瞬間に理解できた。


 入口から左側に見えるスクリーンに――はっきりと、それは映し出されていた。


「ヴォルカン……これ、自在剣なのか?」


「断言はできませんが、恐らくそうだと思われます」


 バジルはスクリーンを指さしながら、唖然とした表情で佇んでいる。


 それは一枚の写真。撮影者は不明だが、内容は3人の黒い服を着た輩と紺色のローブを着た輩が、各々タイマンで剣を交えていた。そのうち右側の黒い服のほうが恵光派の戦闘員で、左側のローブの輩が「赤い人」だと思われる。


 その光景自体は戦闘風景だとすぐに理解できるが、問題はローブの輩が手にしている武器の形状、もとい見た目だ。



 紛うことなき『自在剣』。なぜか片手剣だが、3人が所持していた。



 これは由々しき事態だと、即座に判断できる。魔剣とまで呼ばれた血の剣が、同時に三つも発見されたのだ。外見的な違和感はともかく、その衝撃は計り知れないものだ。


「今回被害を受けたのは、恵光派の方々です。幸いにも大きな怪我はありませんが、彼らは全く歯が立たなかったと嘆いていました。僕らもある意味で、嘆かわしいです」


 バジルにはその意味がよくわからなかったが、日和や歌咲の表情には僅かに敵愾心が滲んでいる。ヴォルカンの発言が怒りを煽るものだと察したが、その意図は不明のままだ。


「学園に通われている方には申し訳ありませんが、本日の作戦への参加をお願いいたします。作戦開始は午後十二時、川崎市内全域で犯人を捜索し、発見次第直ちに拘束してください」


 ヴォルカンの言葉に、同志たちはゆっくりと頷く。

 それぞれが異なった感情を孕んだ了承だが、その中で彼自身に嫌悪しているものはいない。彼の『やり方』はそれだけ妙技なのだ。



 会議が終わったのち、ヴォルカンは別室にバジルだけを呼び出した。


「それで、こんな改まってするような話ってなんだ?」


「楠森くんには、お解りいただけてないでしょうか……この写真のことです」


 そう言って、ヴォルカンは懐から1枚の写真を取り出す。先ほど、バジルや同志たちを震駭させた、例の『片手剣版自在剣』の映った写真だ。


「こ、この写真にさらなる恐怖……心霊の類いか?」


「それはそれで面白そうです。……しかし、これはそういったものと違う類いの脅威です」


 深刻な表情でため息をつくと、察しの悪いバジルに示すように、ヴォルカンが写真のある部分を指さす。それは恵光派の戦闘員とローブの輩が、力強く剣を交えている部分だ。


「ここのところが、一体どうしたんだよ?」


「……双方ともに頭頂部が映り込んでいることから、これが高所から撮影されたものだと理解できます。そしてこの道路は、憶測ですが隣人荘付近の道路でしょう。つまり……」


「新人類じゃない、他の誰かが撮った……?」


「そういうことです」


 最初は言葉の意味がわからなかったバジルは、ようやく事態の深刻さに気が付き戦慄した。


 バジルの恐怖心がヴォルカンの不安と合致するものかはわからないが、とにかくヴォルカンは重々しい口調でこう述べる。


「我々や、ローブの輩が剣を振るっている現場を目撃されたことは、それほど心配していません。それはこの写真の撮影者が、写真をソーシャルネットワーキングサービスのサイトに掲載していないこと、若干写真がぼやけていることなどから、素性が割れる可能性は低いと考えられるからです。問題なのは撮影者の身柄について……少なくとも、撮影者の身の回りに危険が迫っていることは明らかでしょう」


「……珍しく、俺の心配とヴォルカンの心配が同じことだったな。それで?」


「楠森くんには、今回の任務から外れていただき、目撃者の護衛を委託したいと思います」


 ひどく真面目なトーンでヴォルカンは言った。

 無論バジルは抗議しようとするが――きっとこれも、ヴォルカンの作戦なんだと、自分にそう言い聞かせて、口外しそうになった見苦しい言い訳をのみ込んだ。


「でも一つだけ、訊きたいことがある」


「ええ、構いませんよ」


「――その写真は、どうやって手に入れたんですかね……?」


「…………」


 ヴォルカンは何も答えなかったが、最初の口の動きから「秘密です」と言おうとしたのだろう。いや、むしろ腹の立つ言い逃れを聞かずに済んだので、若干安堵の息を漏らすバジル。


 そして作戦開始時刻は、すぐに訪れる――。

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