秘薬2

 塔の頂上までくると、そこには二人の白衣をきた老人と、それぞれの従僕と思われる少年がいた。

 要人の治療なので、完全に無人で行うというのはやはり無理だったが、立ち合いは少人数で、加えて口の堅い者だけをとお願いしてあった。

 国王が許可を出したとはいえ、やはりこの治療には懐疑的な者も少なくなかったのだろう。特に、僕の斜め後ろにいる貴族の青年とか……。


「それでは準備を始めます」


 僕がソレをフリーバッグから取り出すと、ざわっと周囲が狼狽えるのが分かった。そして、約一名は激高した。


「き、貴様! 何のつもりだ、それは何だ。何をするつもりだ」

「……皆さんで、こちらに王子を移してください」


 ついに貴様呼ばわりされてしまったが、僕は構わず皆に指示を出した。

 ベッドの横に置かれたのは、アンソニー王子の身長に合わせて大きさを調整した長方形の箱。何もない、ただの質素な空の箱である。

 手順等含め、秘密厳守と条件を出したので、手伝いをする従僕風の少年たちは奴隷である。口ばかり動かす誰かなんかより、よっぽどテキパキと働いてくれている。


「やめろ、王子に穢れた手で触れるな奴隷! 貴様、たしかリュシアンだったか、王子を棺桶に入れようとはどういう了見だ」

「……棺桶ではありません。治療に必要な過程なのです」


 見届け役の老人たちは、地位はともかく身分はこの青年よりも下らしく、表立って意見を言うのは難しいようだ。

 ドリスタン王国での行動範囲が、主に学園都市のみだった僕には、これらの光景はわりと衝撃であった。

 学園都市一帯は、学園長と市長が独自の運営をしており、ドリスタン王国の中ではかなり独特の体制が取られていたことがあらためてわかった。

 ちなみに市長というのは、いわゆる通称で正確にはこの地を預かる貴族である。もちろん、その上にはキンバリー辺境伯がいるわけだ。

 もっとも、平等を掲げる学園長と市長が揃って王家に深い縁故があり、そのため貴族社会から大目にみてもらえたという、皮肉な面もあったのだが。


「説明したはずですよ、王子を魔水で満たすための道具です」

「この……学生風情が!」


 さすがの僕も、表情にちょっとだけ「面倒臭いなあ」と出てしまったのだろう。彼は顔を真っ赤にして怒った。先ほどの奴隷の少年に対する態度からも、彼はかなりの権威主義にみえた。

 この場に同席できたのも、あれこれ手を回した結果かもしれない。


「老師! 本当にこのような暴挙を許してもいいのですか? 他国の人間が持ち込んだ、こんなわけのわからない眉唾の薬を、王子に飲ませてもよろしいのですか!」


 彼は同意を求めるように、老医師二人に向かって問いかけたが、彼らはヒソヒソと相談するように額を寄せて、すぐに小さく首を振った。非難するように、青年は「老師!」と叫んだ。

 果たしてこれが、ただの忠誠心からきているのか、はたまた十数年間、ただ指をくわえてみているしかなかった病状を、ポッと出の他所の国の、それもただの学生が治してしまうことを良しとしないのか。

 前者ならばまだ見どころもあるが、後者なら完全に己の役割を逸脱している。医師として、まず大切なのは自らのメンツやプライドなどではなく、患者のはずなのだから。


「お黙りなさい、エイブ。ここは議論する場所ではないわ。あなたは国王陛下の意に背くつもり?」


 静かに、けれど冷たいニーナの声が、にわかに騒がしくなった空間をピシャリと引き締めた。それまで饒舌に回っていた青年の舌は、即座に凍りついた。

 名前、エイブっていうんだ。そういえば今まで名乗らなかったね、紹介もされなかったし。


「これまで治療に携わってくださった方々にも、見届ける権利があると同席を認めましたが、どうやら間違いだったようです。邪魔をするなら今すぐ出ていきなさい」


 それまで居丈高に振る舞っていたエイブは、途端に空気の抜けた風船のようになった。僕の横で、今にもキレそうになっていたエドガーも、ようやく落ち着いて拳を降ろした。

 ドリスタン王国において、身分制度は絶対だ。

 能力、魔力さえあれば、奴隷から市民へ、さらにその上へと逆転のチャンスがあるモンフォール王国とは違って、ドリスタンでは奴隷がなり上がることはまずない。

 そのため身分は絶対で不可侵なものなのだという考え方が定着している。高慢に思える彼の態度も、それほど珍しいことではないのである。


 それはともかく、いつまでも構っていられないので、引き続き準備を続けることにした。

 すでに奴隷の少年たちによってアンソニー王子は、プラスチックのような素材の箱の中に入っていた。頭部が当たる部分は少し傾斜しており、上半身が緩やかに上がっている状態である。

 ベッドの横の小さなサイドテーブルに、大きさの違う薬瓶を三つ並べた。

 一つは普通サイズの青い回復薬、そして大きい瓶と小さい瓶のそれぞれ無色透明のものが、蘇生薬(仮)である。


「エドガー、お願い」

「わかった」


 僕の合図でエドガーが箱の横に跪いて、赤い魔石のついたミスリルのロッドを取り出し、それを構えると、ごく短い呪文を唱えた。

 直後、どよめくような感嘆の声が背後から起こった。

 どこからともなく空中に水球が渦巻き、そこから湧き出るように滔々と水が流れ落ちていったのだ。みるみるうちにアンソニー王子が横たわる箱の中に水が満たされて行った。


「こ、これは一体、なんという魔法なのか……」


 年老いた二人の医師が、思わず競い合って身を乗り出して覗き込み、唸るように呟いていた。

 これが全部、魔水だと説明すると、驚きすぎて言葉も出ない様子であった。もちろんエイブでさえも同様だ。何しろ錬金術で何かと需要が高い魔水は、それ自体も魔法錬金で作る貴重な素材の一つなのだ。

 水位を確認しつつ、僕はエドガーにストップをかけた。

 アンソニー王子の身体が完全に沈み、顔の半分だけが浮いている状態である。服は着たままでも大丈夫だが、念のため患部のみ露出してある。

 回復薬を手に取り、王子の唇に当てた。薄く開いた口にそっと流し込むと、咽喉が上下して無事に嚥下した。


「うん、大丈夫そうだ」


 ちゃんと飲み込めることを確認して、続けて、小さな薬瓶の蓋を開けた。

 後ろに控えるニーナを顧みると、彼女は白くなるほど両手を握りしめて、唇を引き結んだまま静かに頷いた。


「……エドガーは、そちらの大きな瓶をお願い。僕が薬を飲ませたら魔水に注いでね」

「お、おう!」


 緊張しすぎてエドガーの顔がこわばっている。正直なところ、僕にしてもかなりテンパっていたが、主導を握る人間として、狼狽えるわけにはいかなかった。

 それでも一度だけ深呼吸してから、僕は、先ほどのようにアンソニー王子の口に薬を垂らした。エドガーも指示通りに大きな薬瓶を傾け魔水に注ぎ込んでいく。

 そして見守ること数秒、その変化は起こった。

 さすがの僕も、あやうく腰を抜かしそうになった。なぜななら、まるで化学反応でも起こったかのように、一瞬で魔水の色が真っ赤に染まったからだ。

 もちろん、エドガーは後ろにひっくり返ってしまった。

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