協力

 氷の塔で、以前ユアン先生がちょっと気になる話をしていたのを、後になって思い出した。それでこうして訪ねてきたのだが、考えてみたらほとんどの事情を話せないことに気が付いた。

 

「……ユアン先生の研究の邪魔をするつもりはありません。もし明かせない部分があれば、もちろんそれは伏せて頂いて結構です」


 今はただ、例え何らかの発見や成果を得られても、それを研究結果として発表する意図はないことを伝えるにとどめた。とにかく、今はどんな些細な情報でも欲しかった。どこに解決の糸口があるかわからないのだから。

 事情を説明するでもなく、そのまま話しを進めようとした僕を、ユアンはただジッと見つめていた。


「ただの興味本位、というわけではなさそうですね」


 僕は思わず口を閉じた。もともとユアンが生涯をかけて研究すると言っていたものを、手伝うならともかく、いきなりやって来てただ教えてくれとは、ずいぶん厚かましいお願いといえる。しかも、こちらはなんの情報も与えていないのだ。


「すみません、先生が大切にしている題材を……でも」

「ああ、違いますよ。責めているわけではないし、むしろこれは歓迎すべきことかもしれない」

「……え?」

「もともと手の付けようもなく、協力者も得られないから放置していたに過ぎません」


 自分で入れたハーブティにがよほど苦かったのか、ユアン先生は少し顰め面をしつつティーカップをしばし傾けた。


「……生涯の題材などと格好いいこと言ってますけど、生涯かけても終わらない、いえ始めることさえ出来ないと、どこかで諦めてたんですよ。だから気軽に話題にしてますし、みんなもたぶん話し半分で聞いていたことでしょう」


 要するに僕は、半分冗談交じりの話に、のこのこ真剣な顔でやって来た特異な人間だったというわけだ。

 彼はおもむろに立ち上がると、下の方にあるロッカーの中から書類を取り出し、その奥の板を手のひらで押して棚を外した。隠し扉のような仕掛けだろう、壁に張り付くようにして隠してあった冊子と、幾つかの古ぼけたメモが出てきた。

 遠目にだが、メモには掠れかけた錬成陣、レシピと思われる材料と配合が小さな文字で書かれているのが見える。


「祖父は十年ほど前に亡くなりましたが、私の祖先は代々有名な薬師の家系だったそうです」


 それでユアン先生も保健の先生をやっているのかな。僕の考えを読んだように、彼は小さく頷いて続けた。


「その祖父が、幾つかの秘伝書を残しましたが……私には、でたらめのレシピにしか思えないのです。祖父は、祖母から譲り受けたと言ってましたが、なにしろ祖母が亡くなった時、祖父はまだ小さかったらしく、その辺がかなりあやふやなのです」


 ユアンのような鳥人は、ドリスタン王国はもちろんモンフォール王国でも見たことがない。数百年前は、ごく少数とはいえ存在したらしいが、今は彼一人の存在しか確認されていないという。

 余談ではあるが、向こうの世界ではちらほらいたように記憶している。滞在した村などには、ほぼ人間しかいなかったが、始めにたどり着いた街にはたくさんの獣人や魔族がいた。

 どこか寂しそうにしているユアンに、そのうち話せるときが来るといいんだけど……。


「これは、そのレシピと錬成陣です」


 ユアン先生は、勿体ぶるでもなくそれらノートを手渡してくれた。ちょっと驚いて見上げると、彼はにっこりと笑って「かまいませんよ」と僕を促した。


「ほとんどは普通の薬のレシピです。少しだけ我が家の秘伝の配合のようなものがあるようですが、現代の方が色々と改良されて良くなってますしね」


 彼からノートを受け取り、おもむろにページを捲った僕は、あることに気が付いた。


「あれ? この文字……」

「ああ、そうなんですよ。呪文用語というか、それもかなり古い様式で書かれてるんですよ」

 

 例えるなら、現代人が古文を読むようなものだ。しかも、もともと呪文用語は普通の文字とは全く別物で、魔法が使える者でも、それほど達者ではないものもいるくらいだ。

 先ほども内容がでたらめだと言っていたように、見慣れない単語も多かったらしく、解読にはかなり苦労したようである。

 僕は、そのレシピをの数々を穴が開くほど見つめていた。


「全部ではありませんが、ノートに挟まっているメモに解読したものが……」


 ユアンの言葉は耳に入ってこなかった。僕は、この文字に確かに見覚えがあったのだ。

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