再会の湖

 湖の近くまでくると、人型に変化したリンが待っていた。

 彼女の案内で、小屋には寄らず湖へ直行することになった。そこには、スラリと背の高い美貌の女性と、リィブが並んで立ち、少し離れた場所にアリソンさんが立っていた。


「……お母さん!」


 カエデはすぐに母親に飛びつくようにして抱きついて、さっきの出来事を報告している。どうやらアリソンさんはリンに事情を聞いていたらしく、彼女を優しく受け止めると「よかったわね」と頷いていた。

 僕は、それを見届けてそのまま湖の方へと歩いて行った。


「……リュシアン、やっと会えたわね」


 声を掛けてきたのは、銀髪で碧の瞳の女性だった。腰まで届く絹のような髪は、よく見ると毛先のほうがうっすらと緑色がかっている。

 ずっと……会ってみたいと思っていた。もし、僕の考えているとおりの人物だとしたら、話したいことが山ほどあったはず、だった。

 でも、声を掛けられた途端、まるで石でも飲んだみたいに声が出なくなった。

 ――彼女がディリィ……コーデリア、僕の……。


「私が誰かということは、もう想像がついているのね」


 微笑むその顔は、母にそっくりだと言われる自分の面影と重なって、推測が確信へと変わった。


「リュシアン、ずっと会いたかったわ」


 長身の彼女は身を屈めるようにして、僕をふんわりと抱きしめてくれた。初めて会う女性ひとなのに、なんだかひどく懐かしい匂いがした。リンと出会った時にも同じように感じたけれど、彼女の場合は、もっと体の奥深くが覚えているようなそんな感覚だった。


「お、お婆様? ほんとうに……?」

「ええ、そうよ。貴方がこちらに来ていたことにも驚いたけれど、ずいぶん大変だったようね。リンが間に合って本当によかった」


 教皇が病床であることをいいことに、なにかよからぬ動きがあることはわかっていたようで、たまたまこちら方面にいたコーデリアに連絡が入ったという。まだ詳しくはわからないが、どうやら彼女たちと教皇には何らかの関わりがあるのだろう。

 リンと僕達が出会ったのは偶然だったけれど、図らずも同じ案件に巻き込まれていたようである。


「……でも、なんだかあの大司教、私よりリュシアンに執着してたみたいで気味が悪かったわ」


 そう言って会話に入って来たカエデは、母親を連れて僕達の方へとやって来た。ちょっと茶化すような口調だったことから、カエデは言うほど気にしていなかったようだが、それを聞いてコーデリアは少し表情を曇らせた。さっとリンと視線を交わしたのは、たぶん僕しか気が付かなかっただろう。

 

「貴女がカエデさんね。初めまして、私はコーデリアよ」

「初めまして、コーデリアさん。こちらは母です」

「アリソンです。この度は娘が、リュシアン君にとてもお世話になって……」


 けれど、それも一瞬のこと。すぐに自己紹介をして、僕の祖母であることを明かした。孫がいるにしてはかなり若いけれど、エルフだということはその姿から判断がつくので、カエデたちはすんなり納得したようだ。なにより、僕とよく似ているということもあったけれど。


「……リィブ、お役に立てなくてすみません」


 コーデリアとカエデたちが話している間、僕はそれまでじっとこちらのやりとりを見ていた湖の乙女に、少し屈むようにして目線を合わせて声を掛けた。初めはどこか不機嫌そうだった彼女たが、コーデリアと僕の再会を喜んでくれているようでちょっとだけ頬を緩ませた。


「リュシアンはわるくないの。そもそも、わらわがこれだけじょうほしてリュシアンだっててをかしたのに、それをうらぎったのはあっちなの。じごうじとくなの」


 ――自業自得。やはりリンの伝言は聞き間違えじゃなかった。

 確かに、僕達……というか、カエデを見送る村人たちの態度を見ると、到底心を入れ替えたとは思えないし、正直なところ、カエデにそんな仕打ちをする村長や彼らを腹立たしく思う。でも、結局のところ井戸は浄化されたはず。

 まさか、あの井戸にまたなにか……。

 すると僕の心を読んだようにリィブはニッコリと笑って首を振った。


「わらわはなにもしない。そう、むしろなにもしないの。だからじごうじごくなの」


 僕が更に口を開こうとすると、リィブはフワッと軽く僕の肩に腕をまわして、キスをするように頬を軽く合わせた。


「リュシアンありがとう。カエデはわらわがしゅごしたいちぞくのまつえいなの。かのじょをたすけてくれてうれしかったの」


 そう言うと、リィブはコーデリアと一言二言話してやがて湖に戻っていった。彼女にとって地上のことは、本来それほど興味のないことである。これほど姿を現していることの方が稀なのだ。彼女の残した言葉は気になるが、少なくともここには彼女の守護を持つアリソンさんやその一族がいるのだから、それほど無茶な仕打ちはしないだろう。……そう信じたい、んだけど。

 精霊や妖精は気まぐれだっていうし、ちょっと心配だけどね。

 僕がしばらく湖の方を見ていると、リンが少し呆れたようにため息を吐いた。そのやり取りを見て、アリソンさんがちょっとだけ苦笑する。


「たぶん、この村は彼女の加護を失うってことでしょうね」


 村人たちは、今回のことからわかるようにリィブをそれほど畏れてもいないし、敬ってもいない。今や聖地の女神でさえ、本当の意味で信仰している者が少なくなっているのだろう。それこそ、僕達の大陸で教会が形骸化しているのと同じで、こちらでも教会の力が弱くなっているのだ。

 だが、人の作った組織がどうであろうと、精霊や神の力が存在する世界なのだ。

 何百年も昔から、あの井戸を始めこの辺りの水源はすべて湖の乙女の恩恵を受けていた。けれど世代を重ねることで、すでにそれを知らない者もいるということである。なにしろ自分が生まれた時から、当然のように清らかな水は身近にあり、それが失われるはずがないと思っているのだから。


「いずれ影響は徐々に現れるでしょうけれど、それこそ自分たちの力で何とかするしかないのでしょうね」


 アリソンさんはそう言って諦めたように肩を竦めた。

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